どうも( ^_^)/
帰ってきたウルトラマンが好きだった者です。
今作の彼は地球を帰ってくる場所だと思ってくれたんでしょうか。
シン・ウルトラマン
機能美と筋肉美、引き算のデザインを追求した故・成田亨さんを最大限にリスペクトした“シン”のウルトラマンが降り立ったとき、目を奪われたのはそこに刻まれた皺でした。
皺が寄っている。
CGでわざわざ皺を描いている。
すごい。
ウルトラマンの中には、人間がいるのだと思いました。
それはウルトラマンと同化した神永新二ということだけではもちろんなくて、作品の精神的な部分で「ウルトラマンの中には“人間”がいる」という話です。
映画は『シン・ゴジラ』から引き続きといった感じで、庵野さんや樋口監督が好き勝手に遊んでいます。
「そこでこうくるかぁ」とか「そっちにいくのかぁ」とか、いわゆるオタクが創ったマニアックな映画をドでかい予算と座組で観させられる喜びに浸りながら、散りばめられたメッセージはそこそこにシニカルです。
簡単に書いてしまえば「我々地球人はウルトラマンに愛してもらえるような存在なんだろうか」と思ってしまう。
ウルトラマン、気持ちは嬉しいが我らはそんなに立派でもなければ大した伸びしろがあるようにも思えないぞ、と、卑屈になるでもなく自然と気持ちが沸き上がってきます。
とはいえ、映画の世界の中では人間もウルトラマンのようになれる可能性が描かれます。
このあけっぴろげというか、ある種の野放図さすら感じる希望の提示は、まさしく空想特撮映画の爽快さで「もっと観たい!」というところで終わる観客のコントロール力も含めて、最上のエンタメ作品であると思いました。
あんまり内容に踏み込むとすぐネタバレになってしまうのですが、予告編にもある要素から抜き出していくと、ザラブ星人の扱いが上手かった。
今作のウルトラマンは、もちろん美しきヒーローではあるんですが、同時に、他の禍威獣(怪獣)や外星人たちと同じく理解の及ばない部分が多くある、いってしまえば不気味で怖い存在です。
これもある面での原点回帰なのでしょうが、そこを『ニセウルトラマン』として暗躍するザラブ星人が補強してくる。
それがザラブであれウルトラマンであれ、つまり偽物/本物・悪性/善性の違いなど些末で、彼らが戦い暴れ回ったあとに残るのは大きな瓦礫であり、その巨大な破壊力の前に地球人は基本的になす術がない。
ウルトラマンは、力を前にしてひれ伏してしまう我々の弱さを暴いてしまうわけです。
それもまた、彼の罪だったのかもしれません。
少しだけ、強くなりたいと思いました。