どうも( ^_^)/
ビルの五階で妙な動きをしていた者です。
自分でライブをやるばかりで人のをライブハウスまで観に行ったのはすっかり二年ぶりです。
二年前もCIVILIANで、今日も彼らです。
二年前が数千年前に感じるほど、いろいろと溜まっていたものを解き放ってきたような気がします。
CIVILIAN『灯命』リリースツアー
“三千年前の僕等へ”
名古屋公演
アルバム『灯命』と同じく“遥か先の君へ”から始まりました。
昨年に作品をリリースしたアーティストは、誰もが今ここにある切迫した危機感であるとか不安であるとか、はたまた無力感であるとかを描かずにはいられませんでした。
パンデミックが起こった世相の中であまり浮ついたことを歌えない縛りのようなものがあったし、そういう空気にミュージシャンは敏感だったように思えます。
不要不急の娯楽を商売にしているからこそ、なんらか世界に、社会に対して重みをもって受け止めてもらえるものをという意識が強かった。
そうなると自然、作品はドキュメンタリーなものになるわけですが、CIVILIANは少し違うことをやりました。
アルバムの一曲目から未来を描いてみせた。
しかもその3000年後の地球は、人知の及ばないイレギュラーな事態が原因で今にも滅びようとしている。
それはどういうことか。
自分の解釈は「世界はいつか必ず終わるけど、でもきっと今じゃない」というところです。
そこには希望と諦念が矛盾なく両立しています。
人間、死ぬより生きる方がずっと難しい。
絶望するより希望を持つことの方が何倍もしんどい。
こんな世界とっとと終わってくれという、人として健全でさえある呪詛は決して届かず、眠れないまま朝は来るし、八方塞がりのままどういうわけだが身体は前に向かって進んでいくし、そんなどうでもいいのにぜんぜんやめられない人生はある日ぷっつりとあっけなく終わりを迎えます。
『灯命』で描かれた「世界と未来はまだまだなかなかどうして続いていくようだぞ」という、微熱の希望と平熱の絶望は、一年の延期を余儀なくされた今ツアーでようやく皆と共有され、昇華されていったように感じます。
そこに、生まれてきた悲劇を呪う雰囲気はない。
ただただ、祝祭としての音楽が静謐な爆音で鳴り響いていました。
美しい時間でした。
二年前の自分へ、CIVILIANはまた良いライブをしたことを報告できそうです。