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ライブハウスの最後尾より

邦楽ロックをライブハウスの最後尾から見つめていきます。個人的な創作物の発表も行っていきます。

どうも( ^_^)/

 

愛知県にもゲンキードラッグはありますが行ったことが無い者です。

 

福井では買い物といえばゲンキーらしいです。

 

千歳くんはラムネ瓶のなか

 

福井市を舞台にした“リア充”ラブコメという、あるようで無かったどこか懐かしい新しさを感じるライトノベルです。

 

ラブコメというよりは青春恋愛もの、ラノベというよりは文芸、甘味より酸味、ほんのり苦み、“sailing day”よりは“ロストマン”、丸みより愚直、フォークよりもストレートで勝負したいピッチャーのような印象を与える文体だと思いました。迷いながら間違いながら歩いてくその姿が正しいんだ。

 

 

と、現行の六巻まで読んだのですが、割と読める方だと思っている自分にしてはちょっと時間がかかりました。

 

 

なんとなれば、一巻で一旦「これはあとでいいな」と続きを積んでいたからです。

 

 

どうにもこの物語の主人公千歳朔(ちとせ・さく)の造形が自分には難しく、どうにも2巻に手が伸びませんでした。

 

朔は自他ともに認める高身長好成績運動神経も抜群なイケメンで、同じく美男美女揃いのグループを作って高校でもぶいぶいいわせてるリア充階層(なんだそれ)トップの存在です。

 

思わず書きながら突っ込んでしまいましたが、本当になんだそれです。

 

「学校なんてせせこましい社会の立ち位置よりもお前の人となりを見せろよ一人称の小説の癖に」と思ってしまいました。

 

 

そう、とにかく一巻だけだとほとんど朔の“記号的なリア充”さばかりが強調され、本人が何を考えているのかが分からないのです。

 

一巻の話は、ひきこもりのクラスメイト健太を朔のプロデュースで復帰させるものですが、朔の一人称でありつつ健太の目線で朔が語られるので、内面が謎めいたままです。

 

そして、ふっと漏れるモノローグやセリフがこれです。

 

俺は、正しくこの町に存在しているのだろうか。どこか作りものみたいな世界の片隅で、与えられた役割を上手に演じられているのだろうか。(一巻 P.70より)

『美しく生きられないのなら、死んでいるのと大した違いはない』これが俺の美学だ。(一巻 P.337)

 

「お前、実はリア充じゃないな」って思いました。

 

“現実(リアル)”が“充実”してたら、こんな和製フィリップ・マーロウみたいな語り口になるものかよと思います。

 

まぁ、どうやらコイツもいろいろ抱えているようだということが知れて、少し安心というか、“リア充”という記号を集めて固めて完成した謎合金ロボットなどではない、“人”を描こうとした小説なんだなと知れたのは良かったです。

 

一巻の最後の最後で健太のピンチに颯爽と駆けつけ、熱くたぎった面を見せたのも「おっ」と思いました。

 

しかし正直そこまでガツンと来なかったのもあって、そこで止まってしまいました。

 

このまま2巻は買ったものの読まないままになるのかなと思っていたところ。

 

しばらくして『チラムネ』に頭をやられた友人から「一巻は実質0巻みたいなもので、本当に話が動くのは2巻から」という話を聞けたのが僥倖でした。

 

 

彼の言の通り、2巻からすごく俺の好む展開になって行ったのです。

 

具体的にいうと、千歳朔がどんどん可愛くなります。

 

順を追って読んでいきましょう。

 

 

まず2巻、これは同じ千歳グループ(なんだそれ二回目)の女の子がストーカー被害に遭っているのを助ける話で、朔の家庭事情が明らかになり、彼の作り物めいたキャラクターの一端が明らかになる。ちょっと可愛くなる。

 

ただ、“敵”はまだザコだったので朔もある程度余裕がありました。

 

 

そして3巻。これが個人的に今のところ二番目にお気に入りの巻なのですが、落ち込んだ男の子(朔のこと)を励ますのにBUMP OF CHICKENの『ユグドラシル』を送る令和の女子高生にあるまじき良いセンスをした先輩が進路で大きな困難に直面し助ける話です。

 

ここで遂に朔がどう逆立ちしても敵わない相手に向き合わざるを得なくなり1巻・2巻にあった朔の余裕は消えます。この追い詰められた朔が本当に可愛い。さっきから可愛い連発していますが別にイケメン男子高校生を精神的に追い込む特殊性癖があるわけではないです。彼の人となりが知れて嬉しいくらいの意味です。

 

幼少期から今日までの彼の『リア充であるからこその困難』も明かされ、その生き方を美しいと感じたし、応援したいキャラになりました。

 

 

はい、この時点ですっかり絆されていますね。

 

思えば、たった一巻十万字超の小説一本で主人公の人間性のすべてを知ろうなんておこがましい話でした。分からないことがたくさんあるのは当然で、それを少しずつ知って行くのが面白いのだと気付かされました。

 

 

で、4巻、人によってはこの巻が2番目に好きという方も多いでしょう。

 

物語は直球の青春スポーツものです。ジャンルが違う! しかしこの巻でついに! 朔が自分自身と全力で向き合うわけです。「頑張れ! 打て! 走れ!」と声援を送りたくなります。

 

 

5巻は4巻の最後でこちらもついにといった風に動き出した朔を巡る恋愛模様を描きつつ、夏休みにみんなで遊ぶ軽いノリの箸休め回、と思わせつつ最後にとんでもない爆弾が破裂する絶句必至の引きを魅せる巻です。この巻を2番目に好きっていう人はなかなか良い趣味です。

 

ここまで来ると、朔の等身大というのか、“リア充”とか“イケメン”とかどうでもよくなってきます。とにかくコイツの物語を読ませてくれ見せてくれ、どうなるのか気になって気になって仕方がないというモードになります。いつの間にか強調されていたはずの記号が邪魔なものになっていく。キャラじゃなくて人間として見たくなってくる。こういう体験ができるというだけでも、5巻で読んでよかったと思いました。

 

 

最新の6巻。さきほどから「2番目に好き」などと書いてきたのは「ここまでついてきた読者は全員6巻を一番好きだと言う」と思っているからです。

 

ここまで溜めて溜めて溜めてきた朔の“本当のところ”が一気呵成に噴火してとんでもないことになる、ちょっと全体的に辛い読み味のある巻なのですが、その分たどりついた答えに納得感があって、「良かったなぁ、良かったなぁ朔」とお前は誰なんだな感想がつい口をついて出るほどでした。

 

 

6巻まででどうやら前半が終わったそうです。ここから続く物語がどう転がるのかがまったく予想も尽きませんが、千歳朔というカッコよく可愛い男に絆された者の一人として、最後まで付いて行こうと思っています。

 

 

 

 

 

 

どうも( ^_^)/

 

たまには暑さに身を委ねようとクーラーを切った部屋でこのブログを書いているものです(2021.9/1)。

 

 

時としてまったくの愚行と思える行為が、無茶な若さを呼び起こすこともあります。

 

古い記憶の名作を聴きました。

 

BUMP OF CHICKEN

FLAME VEIN

 

 

みんなは歌い出す

01.ガラスのブルース

 

日本語ロックバンドのバンプはここから始まりました。

 

メロではおとなしくリズムを刻んでいたベースがサビでいきなり暴れ出します。

 

二番のブレイクからいきなり早くなるドラムが愛おしいです。

 

まだまだギター歴が浅く物怖じしそうになる中で、ひたすら弦を掻き鳴らす情熱だけは負けないヒロさんのストロークにはエールを貰えると同時に応援したくなります。

 

そのすべてのサウンドが、ガラスの目をした猫の歌うブルースに寄り添い高め、共に絶唱するのです。

 

 

 

 

来るはずないの分かってた

02.くだらない唄

 

 

スイートな音色で重ねられたギターからズンズンとバンドアンサンブルが立ち上がってくるノスタルジックでファンタジックなミディアムポップソング。

 

子供のスキップみたいに、軽やかに跳ねたいけどいまいち跳ねきれないぎこちなさが良いです。

 

甘く苦く服に沁み込んだタンポポの匂いも、いつか消えていく。その後の話は“続・くだらない唄”へ。

 

 

 

 

青いスカート似合う女の子

03.アルエ

 

 

最初期の大名曲。なんか妙に音が引っ込んでマイクがハウりかけてるけど、こんな音は狙って作れないという意味で、後にこのレコーディングバージョンのままシングルカットされたのも納得です。

 

 

制作のきっかけがきっかけなので、エヴァと引っ掛けずには語れなかった歌詞ですが、もう新劇場版も完結しましたからね。

 

そろそろこの歌も、爆裂に青臭い青春野郎で男気溢れる少年とハートに包帯を巻いた儚げな女の子の物語を描いたラブソング的な捉え方をされても良き、なのではないかと思います。

 

 

 

 

たとえば日陰で揺れるその花を何故か愛しく思い

04.リトルブレイバー

 

 

 

このアルバムの聴きどころは『音の割れ』です。

 

常識的に考えれば音がバリバリに割れちゃうのはあまり良いことではありません(敢えてそうやって録る場合もある)。

 

機材がショボい。録音環境が悪い。ミキシングとマスタリングのスケジュールが地獄。などなど理由は無限に思いつきますが、それがバンドの若さと奇跡のマッチングを果たしこうした名盤が生まれたのは奇跡としか言いようがありません。

 

メロディアスと抑えどころを忘れたバンドサウンドの相乗効果が目の覚めるようなカタルシスを呼び起こす“リトルブレイバー”にもそれが満載です。

 

 

 

頼むぜ我らがスラッガー

05.ノーヒットノーラン

 

 

たとえば藤原基央氏が、家で野球を観ているときにでもこの歌詞を思い付いたとして、当時17か18歳くらいの少年が「望まれ、求められ、期待をかけられる重圧」をここまで切実に書けるのは、敢えて表現するなら異常ともいえます。

 

でも彼はバンドのフロントマンとしてそういう立場にいたんですね。

 

当時はインディーズがちょっとしたブームだったのかもしれませんが、十代のバンドが全国流通のCDデビューするというのは中々な事件であるのは間違いないはずです。

 

ライトからすぐ逃げたい

 

やってみると分かるんですが、ライブハウスの照明って慣れないうちは真冬だろうがクソ暑いです。お客さんもいてド緊張してる中、藤原さんは当時作詞作曲ボーカルリードギターまでを務めるバンドマスターです。四番でエースで監督みたいなスラッガーだったわけです。

 

なんてことを考えながら聴き入ってしまいました。

 

 

 

 

君がほんとに笑って泣けるような二人になろう

06.とっておきの唄

 

 

 

直球のラブソング。ただのポップでは終わらずギターは思いっきりブルースな音も使ってカッコ良く仕上げています。

 

そのカッコ良さが、可愛い。

 

本当に本意気なラブソングをやり切るのが恥ずかしくて、「いや、これだってロックだし」と、照れ隠しにこんな音になっているように思えてならないのです。

 

魔法のアルバムは続き続いて“新世界”の思い切った≪ベイビーアイラブユーだぜ≫にまで至ります。本当に地図にもない遠いところまで来たのではないでしょうか。

 

 

 

Prove Yourself.

07.ナイフ

 

 

重心が下がり、腰の入った良いアンサンブルです。

 

歌が始まった後のギターの音色からは今に繋がる宇宙的な雰囲気も感じます。

 

サビ前のリフはOasisリスペクトがあるような無いような気がします。まぁ愚直ですよ。どこまでもその時の全力を出し切る姿勢が土の匂いをさせます。

 

途中、咳をしていたり、最後のサビの畳みかける歌詞はブレスがちょっと浅かったのか苦しそうだったり、とてつもない切迫感です。

 

 

彼らのナイフは未だ鋭いです。切りたいものだけを切り裂ける鋭さを手に入れました。燃えるような情熱は、多くの人を包み込む温もりも備えるようになりました。

どうも( ^_^)/

 

Arc(円環)とArk(方舟)の違いを最近知った者です。

 

こっちは、Arcです。

 

 

 

・Arc

 

不老不死(厳密には違う)になった女の一生を描いた抒情的な物語です。

 

不老不死になるきっかけが、死体を加工し芸術作品に仕上げるボディ=ワークスという仕事に就いたことで、すでにある程度の“下地”ができあがっていた社会での話というのが面白かったです。

 

プスティネーション(ボディ=ワークスの下準備工程)の手順は、まず腐敗を止めるための死体の防腐処理からはじまる。つぎに死体を切り開き、皮膚や脂肪をめくり取って、その下に隠された人体の構造を露わにする。そののち、組織内の水分と脂肪がアセトンに置き換わるまで何度もアルコールとアセトンの溶液に浸す。それから死体はポリマー風呂に浸けられ、まわりから空気を抜かれる。組織内のアセトンは陰圧をかけられて低温度で沸騰し、気化する。それによって液体ポリマーが筋肉や血管や神経に入り込みすべての細胞に合成樹脂が滲みこむ。

 

 そこまでいって死体はポーズを取らせる用意が整い、そのあと熱やガスで重合(じゅうごう)鎖が交差結合して硬化するまで固められる。そのころには死体はすべての毛細血管と神経と筋線維が保存された合成樹脂の立体像に変わっている。(P.19-20より)

 

長々と引用したのは、つまりこれが「生命から神秘性を奪い取る行為」だと思ったからです。

 

ここまでの処理を施した死体は芸術のためのキャンバスや粘土や石膏と同じ“モノ”になる。

 

即身仏やミイラといった文化から、今一歩先を行ったような、非常に科学的な仕業だと感じました。

 

小説もまたひとつの芸術ですが、なんであれ、人の意図した手が加えられた造形物からは「言葉にならない神秘性」が剥ぎ取られ、どこまでも鑑賞され、言葉を尽くされ、批評される物体になるのだなと思ったのです。

 

そうやって、いわば『命の正体』を明らかにした先に待つのが、不老不死であり、我々はそういう形の未来に刻一刻と向かっているのではないかと、そんな感想を持ちました。

 

 

・紙の動物園

 

アメリカに渡った中国人家族の物語です。

 

英語を話せない主人公の母親は、折り紙に命を吹き込む不思議な力を持っていますが、英語社会に順応できないことをもって子供からは嫌われてしまう。

 

ケン・リュウというと現在もっとも勢いのあるSF作家というイメージばかり持っていましたが、こうした人情味というか、関係しあう人のありさまを描くストーリーテラーなのだなと認識を改めた次第です。

 

作者の出世作であることも頷ける、見事な作品でした。

 

 

・母の記憶に

 

余命二年の母親が、子供の成長を見るために相対性理論を利用して節目ごとに会いに来る物語。

 

短編の良いところは、敢えて細かい説明を省いて「これはこういう話だから」とぶつけられるです。どこか夢見心地、絵本をめくるような幻想の雰囲気がありました。

 

 

・もののあはれ

 

地球人類滅亡の土壇場で恒星間移動の移民船にどうにか乗り込めた最後の日本人を主人公にした物語です。

 

ぼくらの有り様は、他人の命がおりなす網のなかでどこにしがみついているかで定められている。

 

主人公の大翔が最後の瞬間自分の役割を碁石にたとえたこの一文が好きです。

 

そこに置いたら、チェスのようには動かせない。囲まれ奪われても、将棋のように戦場に復帰できるわけでもない。

 

そこに置かれたことに、ある種忍従し、耐え、自分を活かす道を決める。

 

日本人が書くより日本人を描いた物語かもしれません。

 

 

・存在(プレゼンス)

 

遠隔存在(テレプレゼンス)装置という機械で、終末期の家族を見舞うことができるようになった世界での話。

 

「そうなったらどうするか」というより「すでにそうなりつつある現在をどう見るか」というタイプの話だと思いました。

 

 

・結縄(けつじょう)

 

古代、文字は無かった。契約や盟約を交わす必要があれば、大きな事柄には大きな結び目をこしらえ、小さな事柄には小さな結び目をこしらえた。結び目の数は契約上の数量に応じていた。記録にはそれで十分だった。

 

という、結縄文字を使う中国奥地の少数民族と、それを使い一攫千金を狙うアメリカ人の物語でした。

 

文化の簒奪、文明の押し付け、近年の気候変動でもっとも割を食うのは現代文明の恩恵を全く受けていない第三世界からだという話にも通じてくるオチです。

 

最初はカチンとくるばかりでしたが、よく考えたら今こうしている俺(第一世界の民衆)の存在が、こういうやるせない物語を作ったのだと思い直しました。

 

 

・ランニング・シューズ

 

これもまた第三世界で低賃金労働にいそしむ少女を主人公にした作品。彼女の魂は彼女自身も履けないシューズに乗り移り、世界を巡り、一人の少年の足へと届けられます。

 

描かれたのは魂の自由か、はたまた幻想の虜囚の妄想か。

 

 

・草を結びて環(たま)を銜(くわ)えん

 

明から清に移行していく時代かと思われる中国の時代劇です。なんとなく芥川龍之介っぽい辛めの童話といった趣きを感じました。

 

「あたしは自分が願っているように生きるのを止めたくないんだ」

どこの少年漫画の主人公だというセリフを吐くのが纏足の芸者だというんだから、気風が良いにもほどがあります。

 

主人公、緑の鶸(マヒワ)の伝説は、小さな少女雀によって、小さくしかし偉大に語られ続けるのです。

 

 

・良い狩りを

 

日本のケン・リュウフリークが一押しする名作だというのは、読んでみれば分かりました。

 

日本の、広くアジア人の琴線に触れそうな「ジャンルの横断」が華麗に繰り広げられ、短編でありながら二時間の映画を観終わったような満足感を得られるからです。

 

ある種の闇鍋SFは、アメリカでは評価されないんでしょうか。

 

科学という魔法を人が使いこなした時代に紡がれる、新たなサイバーパンクです。

 

 

 

 

映画の公開は終わってしまいましたが、ケン・リュウも絶賛しているらしく、いつか必ず観ようと思います。