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「プロヴァンス古城物語」

高草茂・著(里文出版)。

 

岩波書店の役員だった著者が引退後に、おそらく趣味でずっと収集していたのであろう資料や現地の訪問記録を下にまとめたプロヴァンス地方の城を軸にした歴史読本。フランス中世史がややマイブームなので、ずっと前から買おうかどうしようか迷っていた本を購入して読んでみた。

 

内容は超充実、というか城塞建築史なんてまったく詳しくない(教会建築史以上に)ので、そこは適当に読み飛ばして、その古城にまつわる歴史の部分にフォーカスして読了。カペー朝後半→ヴァロワ朝→ブルボン朝の前半、くらいの歴史は大分頭に入ってきた感じで、つぎのフランス出張が楽しみだ(っていつなんだ)。

 

コロナ禍で読書が進んで、今年は中世史が随分理解できた。そういえばそのものズバリの「ヨーロッパ中世史」を数年前に読んだのがきっかけだったか。もう一度読むと整理できてもっと面白いのかも。

ウィーン・ニコライ弦楽四重奏団

NHK-BSでの録画を視聴。

 

ウィーン・フィルのヘーデンボルグ兄弟が1st VnとVcなんだね。曲目はプロシア王1番とラズモフスキー3番。全員の音色が揃っていて暖かくて、特にVaがうまい。1st Vnはところどころ音程が微妙なんだけど、テンポと音色はなんだか作曲当時の演奏スタイル(って知らないけど多分そうだったんじゃないか劇場)っぽくて、古雅な演奏、という印象。アルバン・ベルクが超高速でガシガシ弾く対極だなぁ。

 

しかしラズモフスキーの3番って1st Vn難しいんだね。弾ける気がしない。

スッキリする話題

約8年、待ち焦がれたこの瞬間!久々にスキッとする話題だね。

 

お願いだから暗黒時代はこの第二幕で終わりにしてね。どうか第三幕以降ありませんように。未完の駄作、でオーケーよ。加筆も補筆も不要よ。

 

それにしても、威勢がいいばっかりでストレス耐性と責任感なさすぎで、長い間居座って挙げ句お腹痛くなったただけの、我々だけじゃなく、自称ウ○ク(シンパはだいたい真の右派じゃない)の連中にとっても何一つしてくれなかった御仁を、当の連中はどう評価するのかね。見ものだ。

 

 

「世紀末ベルリン滞在記」

加藤淳 著。

 

97年からベルリン工科大に入学し、11年間ベルリンにいた著者の過去想起型エッセイ。なんだけど内容はずっしり重い。そこらへんの観光案内本ではなく、かといって自分の体験を悪い意味で普遍化した蛸壺エッセイでもなく、しっかりと足が地についた(というかむしろいい意味で地べたを這いずり回った)経験に基づいた世界と日本の将来像への1つの提言、といて読んだ。著者は経歴(慶応卒⇒ベルリン工科大独文卒)の華やかさと全く逆比例した、良い意味で暗い人、という印象で、暗いという意味は自分に厳しく繊細でナイーブな、感性豊かな人、という感じ。逸話の1つ1つが内田樹的に言えば「街場」感が徹底している。ドイツが直面している、そして日本が近未来に避けて通れない移民社会への1つの提言、それも政治家や学者が高めに掲げるそれ、じゃなくて、市民の目線でいかに他人・異文化・別世界への想像力と感性を持つことが必須であるか、というメッセージが行間から立ち上がる感じ。

 

おそらくそういう問題に詳しくない(これまで興味のなかった)人への配慮で、体験した問題の背景の歴史をかなり丁寧かつ簡便に説明している部分が必ず章の冒頭近辺になるので、詳しい人には言わずもがななんだろうけど、読者の間口を広げる意味ではこういう記述も必要だと思うので、知っている人はそこは飛ばして(自分も飛ばした)読んでも十分。自分が滞在した時期(97-98年)ともオーバーラップがあって、あのときに自分が体験したものとその皮膚感覚を再認識したり、あるいは自分の感性の欠如を認識したり。タイトル含めて軽いタッチの本だが中身はがっしり硬派な本。

○○歴史の旅・2選

イギリス、ドイツ、と読んで、このシリーズなかなかいいな、と思ったので、フランスとイタリアを購入&読了。

 

フランスのほうはかなり硬派な構成で、聖人とフランス王朝にゆかりの場所と寺院をめぐる旅。普通の(凡百の)観光旅行ではなかなか行かないであろう、マニアックだけどフランス史に重要な街が紹介されていて、読み応え十分。以前読んだフランス王朝史三部作を傍らにおいて王様の名前と何をやったか(治世として)を確認しながら読み進むとさらに重層的な理解ができて○。

 

イタリアのほうはそこそこに肩の力を抜いた構成だが、ローマ在住でナポリ大東洋学部で永年教鞭をとった著者がイタリア2000年の歴史をいい意味で大雑把に縦断しながらポイントを解説していて、これはこれで佳作。シチリアに思った以上に紙面を割いていたが、いかにシチリア島がギリシャ文明の強い影響にあったか再確認できて、これはぜひともシチリアに行かねば、と思った次第。もっともローマも未訪問だしナポリもまだなので、まずはその辺からなのかもしれないけど(一応名誉をために言うと、ミラノ・ヴェローナ・クレモナ・ボローニャ・フィレンツェ・ヴェネツィアは行った。ボローニャ・フィレンツェ・ヴェネツィアは2回)。

 

ということで歴史の旅シリーズはこれで終了かな。スイスとかスペインとかあると面白そうなんだけど。

ポリーニ・ベートーヴェン30-32番演奏会

2019年9月のヘラクレス・ザールのライブ。BS録画。

 

巨匠の剛速球の名演、というか、とにかく物凄いものを聴いたな、という印象。31番冒頭の主旋律は相変わらず涙がでるくらい美しいし、32番の最後は寄せては返すキラキラと輝く大波、という趣で、こんなにいい曲だったのか!と。いや、いい曲なのは十分知っていたけど、本人のグラモフォンの録音よりもずっとずっと名演。42年生まれなので77歳のときのコンサートか・・・。もうパッとみるとポリーニとわからないくらいの老人だし、歩くのもゆっくりだけど、ピアノの前では余人を持って代えがたい犯し難い威厳がある。あの大曲をほとんど休憩もせず暗譜で弾くんだから・・・。まだまだ演奏会やってほしい。前回のライヴは23歳のときだからもう4半世紀前(ペトルーシュカとウェーベルンのソナタとショパンの3番だったような?)。若い時の超人ぶりとはまた一味違う、別の超人。もう一度ライヴで聴きたいなぁ。

 

弾いたピアノはスタインウェイのFabrriniというブランドで、どうやらミケランジェリの調律師もしていたジュゼッペ・ファブリーにという人が特別な仕様のピアノらしく、ポリーニ愛用の品、とのこと。問答無用でよく鳴る、でもバカ鳴りじゃなくてキラキラ輝く轟音だな。

「ある一生」

ローベルト・ゼーターラー著。

 

チロルの山村で生まれて育って、徴兵と抑留以外でその村から出たことのない男性の一生を淡々とした筆致で書いた本。3時間で読める長さだが、なんだか読後感はずっしり重い。自分は「人生に意味はないから、一生かけて意味あるものに近づける」という信条で生きてるつもりだが、意味を意識的に求めずに、しかしある意味をもたせられる、という好例なのかも。すごく気に入った、というわけではないが、もうちょっとゼーターラーの著作を読んでみようかな、という気になった。

バンジャマン・アラール オルガン&チェンバロ演奏会

バッハ大好きなフランス人で、絶対に殴ったり蹴ったりしないジャン・レノって感じの鍵盤奏者による演奏会。会場は「品のいいコンサートならここ」とも言うべき武蔵野市民文化会館。武蔵野市民、羨ましいぞ。

 

演目はオールバッハで、番組冒頭のインタビューでもバッハ愛が炸裂してた。チェンバロはクリアで強い佳い音、一方のオルガンは温かいやはりいい音。コロナが終わればぜひ生で聴いてみたい。バッハの鍵盤楽曲全曲録音、なる巨大プロジェクトも進行しているみたいで、CD探してみないと。

最近読んだ本3つ

「5人目の旅人たち」(広田すみれ)

 

日本一くだらないけど日本一面白い番組に関する日本一真面目な社会学的考察。要するに「水曜どうでしょう」がなぜあんなに人気なのか、という問題を社会学的に解析した、ということ。極めて真面目な学術書で、単に水曜どうでしょうのノリで読んだ人はがっかりしちゃうと思う。僕には面白かった。でも自分はどうでしょう好きとしてはかなりマイナーなほうだ、ということが理解できた。どうでしょうファンの方はもっと大人しくて弱々しいんだね・・・・。一読の価値はあると思う本。

 

「専門知はもういらないのか」(トム・ニコルズ)

これはもう今年一番の社会学・教育学・政治科学の評論。まるで自分が体験したことをベースに書いたのか、と思うくらい。逆に言えば、今自分や大学や社会が直面している問題はもはや全世界的(少なくともアメリカでは極めてそこかしこにある)だ、ということが実感。反知性主義の源が「自己愛」「権威への反抗」「数学(ほとんど算数)の弱さ」にある、ということ。これを読んだ日本人は「アメリカってだからダメなんだね」と思うんだろうが、同じ問題がすでに顕在化している、ということにどれだけの日本人が気づくんだろうか。

 

「モンテレッジオ 小さな村の旅する本屋の物語」(内田洋子)

トスカーナ州の超山の中の限界集落であるモンテレッジオ村が、実はイタリア(北イタリア)の書店・本の流通の起源になっている、という驚愕の事実を知ることができた、素晴らしい取材をまとめた本。超一級のネタで、ヴェネツィアの古書店を訪問したことを契機にこの事実を知った著者(ミラノ在住)が何度も村を訪問していろいろな人(古老?)に取材した結果をまとめている。読後感そのものはいいんだが、残念なのは特に前半、著者の思い入れが強すぎて(溢れすぎて?)筆致がやたらウェットであること。ちょっとこの筆致は好みじゃないんだなぁ。後半はいささかウェット感が減ってちょうどいい筆致になってさらに末尾のエピソードは感動的ですらあるので、結果的に読後感はいいんだけど。

 

 

「もし僕らの言葉がウィスキーであったなら」

村上春樹著(ここで僕を知っている人なら卒倒するかも)。

 

FBでやっていたブックカバーチャレンジで友人が紹介していたのに心惹かれて。あと、ぼくが1月にスコットランド(エディンバラだけだけど)に行って、文字通りスコットランドに心をわしづかみにされた、というのもある。エディンバラで呑んだウィスキーも、ロンドンで呑んだウィスキーも、それはそれは美味しかった。で、読んでみた。

 

著者がスコットランドのアイラ島とアイルランドを2週間休暇で訪れたときに訪問した蒸溜所やパブでの思い出をひとすくい、2つの短いエッセイにまとめたもの。小説ほどハルキ臭がしなくて(まぁ恥ずかしながら告白すると、学生時代は当時出ていたハルキ小説はあらかた読んだものです・・・。ねじまき鳥から読まなくなったんじゃなかったか)、でもそこここにやっぱりハルキ・ムラカミワールドがあって。80年代後半から90年代前半に大学生だった人は、ああいうのに魅了されたんだよね。今読むと鼻白むというかやりすぎっていうかカッコつけすぎというか・・・、だけど。

 

まぁでもエッセイは2つとも良質だった。ウィスキー好きの人なら読んで損はない。もっともアイラ島のシングルモルトウイスキーは当時(H14年)でこそ、あまり有名じゃなかったかもしれないけど、今では登場するもの全部(?たぶん)日本で飲めるので、希少感はない。それでもウィスキーをとりまく空気、ウィスキーをかかわるひとたちの息吹、そういうものが行間から立ち上ってくるのがわかるんじゃないだろうか。ひとはなぜ旅をするのか、という最後の一文は普遍的な意義があるように思う。

 

で、今回ぼくはちょっとハルキをレスペクトして、ハルキ風の文章にしてみようと努力してみたんだ(笑。漢字をへらして、口語文風にするのがコツ?)。