長年寺(高崎市下室田)に伺った主目的は戦国時代の上州を治めた長野氏の墓を観ることでした。
長年寺の創建は戦国時代の文亀元年(1501年)と言われ、長野業尚(ながのなりひさ:長野業正の祖父)が白井雙林寺(渋川市中郷)三世住職曇英恵応を招いて開きました。
7基の五輪塔中央が長野業尚(なりひさ)、その右隣が長野業政(なりまさ)。
長年寺の長野氏系図には説明板の長野業続(なりつぐ?)が居ないのです。他の系図を探しても居ないのです。きっと過去帳のみに出てくる名前なのでしょう。
余談ですが、系図中氏業(うじなり)は業盛(なりもり)のことです。