長年寺~田舎にこんな大きな寺~ | のめしこき日記

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 長野氏の墓(来迎寺:高崎市浜川町)、長野業盛の墓(高崎北高校近く)を見て、長野氏最盛時の業政(業正:なりまさ)の墓を見たいと思っていました。

 長野業政の墓は高崎市下室田町の長年寺にあります。下室田町は平成18年に高崎市に編入された、市街地からかなり離れた地です。

 

 そこにあるので、小さな寺だと思っていたのですが、あに図らんや、大きなお寺です。

 本堂にはこの石橋を渡って、

 石段を上るとあります。

 

 いやあ、大きい。しかも木がふんだんに使われて。

 

 戦国時代の文亀元年(1501年)に長野業政の祖父・業尚(なりひさ)により開かれ、五百年以上の歴史があります。

 現在の堂宇は昭和30年に再建されました。現在ならこれだけの建物を木材で作るととんでもない金額になりそうです。

 この場所は高崎・前橋から吾妻郡を経て、長野善光寺に向かう信州街道と大温泉地草津にも街道が通っていますし、烏川の渡河点に成立した宿場だったそうです。宿経営その他で住民は潤ったでしょうし、寺は(想像ですが)渡河点に関所を設けて通行税がたくさん上がったのでしょう。

 

 途中で宗派や所在地が変わることがありますが、長年寺は500年間ずっと曹洞宗の寺として現在に至ります。