下立売通を電車が走っていた! | レールは、こころをつなぐ道。

下立売(しもだちうり、しもたちうり)通は京都御苑の南西角となる烏丸丸太町(からすままるたまち)の一つ北の烏丸下立売の信号から、西へ山陰線花園駅付近を通り嵯峨付近まで続く長く細い通りですが…

 

これは先日の記事で

 

木屋町通を…」「寺町通を…」に続き、今回は第3弾「下立売通を電車が走っていた!」

 

京都市電が全線廃止されてから41年、京都市電を知らない若い人には当然「何のこと?」でしょうが…

 

この3線は狭軌の京都電気鉄道が日本最初の電気鉄道として開業し、広軌の京都市電に買収されたあと、昭和の初めまでに並走する広い道路が整備され市電が開業し廃止となっているので…

 

京都市電を知っている人でもこの三つの通りを電車が走っていたことを知る人はとても少ないのです。

ちなみに木屋町通、寺町通は河原町通に、下立売通は丸太町通に京都市電が開業しました。

 

出町線の記事に記載した様に、日本最初の電気鉄道、京都電気鉄道が1895(明治28)年に伏見京橋~七条停車場(京都駅)を経由して岡崎周辺で開催された第4回内国勧業博覧会会場を結ぶため開業した同じ年に、引き続き木屋町二条から西へ、二条寺町から北へ、寺町丸太町から再び西へ、烏丸丸太町~烏丸下立売~府庁前~堀川下立売~堀川中立売まで開通させました。

その後、1900(明治33)年には堀川中立売から西へ、北野天満宮の手前の下ノ森まで開通し、天満宮の参詣客の足となりましたが、開通当初は堀川中立売の堀川通から中立売通へ曲がる用地が確保できず東側にターンテーブルを設置し人力で160度ほど方向転換させて進行方向を変えていました。


 

下立売通を電車が走ったのは、東端の烏丸通から東堀川通までのわずか650mほどの区間でしたが中ほどには京都府庁があり、開通当時はまだ市政制度が確立されていなく府知事が市長を兼務していて、丸太町通も未整備だったので、京都府庁前の下立売通を電車が走るのは当然であったと想像できます。この区間の道幅が広いのはその名残です。

京都府庁舎と京都電気鉄道
京都府立歴史学・歴彩館 京の記憶アーカイブ より


京都電気鉄道は堀川下立売から南へ堀川沿いに四条堀川~四条西洞院~京都駅と結ぶ西回り線と呼ばれる路線も着工し、1904(明治37)年には、下立売通を東から来ていた東回り線と結んで環状線を開通させました。

これにより京都駅から北野天満宮への利便性が高まりました。


京都市電に買収された後、東回り線はじめ京都電気鉄道が敷設した狭軌路線は相次ぎ廃止されましたが、この西回り線は狭軌のまま北野(堀川)線として京都駅~北野天満宮を1961(昭和36)年まで走りました。

北野(堀川)線 ⇒ 京都市電ロマン4

 

12月7日(土)・8日(日)上京区総合庁舎で開催の「上京区電車物語」では上京区を走っていた電車の資料が多数展示されます。 ⇒ こちら