ブログタイトルフォト '19/ 12 | レールは、こころをつなぐ道。

2019年12月は、 堀川中立売鉄橋を渡る狭軌1型京都市電

東西の中立売通(左)から斜めの鉄橋を渡り、南北の東堀川通(手前)へ向きを変える

 

12月7日(土)・8日(日)開催の「上京区電車物語」チラシに使用されている画像。

 

 

 

撮影場所の現在のストリートビュー

街路樹があり見えにくいが、堀川を直角に渡る道路橋の手前に斜めに渡る鉄橋が掛けられていた。川の石積みには橋脚の跡が残っている。

 

1900(明治33)年の開業当初は線路用地の都合からカーブできず、鉄橋は直角に掛かり、右側にターンテーブルが設置され人力で160度回転させ進行方向を変えていた。

そのため止まり切れずにその先の人家に突っ込む事故も発生し、人家側も頑強な車止めを設置したが事故は続き、京電は住人に対し全線無料の木札を贈呈したのである。

京都の鉄道・バス 写真データベース より

ターンテーブル上の電車は北野方向を向いている。 右方向が京都駅で真横とカメラ方向の2線に分かれていて行き違い線となっている。

「160度向きを変え」となっていて、下立売方向から北行した電車はカメラ方向から進入し、反時計回りに160度方向転換して西へ中立売通を北野方向へ進行していた。

 

そして1908(明治41)年複線化工事で斜めに鉄橋を架け線形を改良し、このターンテーブルは解消された。

 

1895(明治28)年開業の日本最初の電気鉄道である狭軌の京都電気鉄道から、1918(大正7)年に広軌の京都市電に引き継がれ高度経済成長期まで残ったのは3路線で、伏見線と稲荷線は広軌に改軌され1970(昭和45)年まで残ったが、西回りの北野(堀川)線はルート変更問題や経済情勢の変化などで改軌のタイミングを逃し、唯一狭軌のまま1961(昭和36)年まで運転された。

前記事:下立売通を電車が走っていた! ⇒ こちら

 

独自のルートを走っていた北野(堀川)線

 ⑩系統 京都駅~四条西洞院~堀川中立売~北野

 

北野(堀川)線の懐かしい画像は、電車が走っていた北野商店街のHPのチンチン電車ギャラリーに多数あります。 ⇒ こちら