サンタクロースの件
12月23日くらいから今日まで
しばらく考えていた事がある。
皆さんにはどうでもいい事は百も承知でここに記入。
問 サンタクロースは何の為にいる?
これがしばらく僕を悩ます元だった。
製造業でははたらく身分なので、それよりも
会社は来年以降どうなってしまうのか、とか
自分の所持、貯金する金銭面の悩み、そして
その後の人生の生計等の計算や人生設計よりも、
サンタの存在が僕の年末の頭を悩ましていたりした。
自分の人生の現実感よりも架空の人物の事に
時間を割くところが、現実感希薄の現代っ子だ。
さて、サンタクロースは存在するのか、という
点であるが、僕は見たことはないし、
見たことが無い人物をオレが見たことが無いから
いないに決まっている、と決め付けるのも
雑な識見かもしれない。が、往々にして
小学生低学年辺りで、その存在を無いものとする。
仮に、20代後半にして、サンタは必ずマクラ元に吊るした
靴下におもちゃやお菓子を入れてくれるのだ、
と信じて疑わない人物がいるならば、それは偏った人格の
持ち主として扱われる事だろう。
サンタの存在をいるものとするのは、10歳くらいが
限度なのかもしれない。
話は少し変わり、サンタクロースは各国によって
身なりや行動思考が変化するかといわれると、そうでない。
一説には、どこかの企業がイメージとして赤い服を着せた
ところから、あの姿が定着したともあるが、口頭伝承で
少しくらい変化してもいいようにも思う。
たとえば
中国では龍にまたがり数匹の虎を従え武道着(カンフー用)
をきた老師が、少林寺拳法を志す僧たちに新しい靴を
渡しにくるとか、
日本では、着流しの風来坊が腹をすかせた子供達に
金平糖をばら撒くとか、そんな感じでもいい気がするが
僕が知らないだけで、実は伝承により姿を変えた
ダーク且つバイオレンスなサンタが存在するかもしれないが
それはそれでそういうサンタを知れたらうれしい。
ま、時代的にも現代に存在する赤い格好のサンタが
子供におもちゃを与えるくらいがちょうどいいのだろう。
もしくは、格好を各国で変えるほどの個性は、
サンタの存在意義として実はどうでもいいのでは、と考えた。
で、僕の考えはサンタクロースは子供のためでなく
大人の為に存在する人物なのでは、というところに着地する。
サンタクロースを認識する始まりは、両親が本や言葉で
はたまたテレビで存在を伝える事から始まるのだろうが
ここでは年末商戦に一役買っている商業サンタとは別として、
なんで、いつかウソだとわかる人物をわざわざいる者として
扱うのか、というところ。
これはおそらく、いつか虚構の人物だという為に
ウソのスタートをつくるのだ。誰の為にかというと
子供のためであり親である自分達のため。
子供は目が覚めればプレゼントが置かれているという、
夢のような事実を信じるが、こんな思考は社会に出るときまで
引きずってもらっては非常に問題があることであり、
仮にサンタがこの役を受けなくても、子供はいつでも
甘い考えを起こす。ひょっとしたら365日のほとんどが
そのような日なのではという錯覚すら起こすにちがいない。
これを12月25日のみに起こる奇跡と親達は一点に集中させる。
甘い日は年に一日だけ。子供もそういうものだと思い込む。
そして重要なのは、こんな日は世の中にないのだ、と
伝えるのが他ならぬ嘘をついた親。
子供が小学校低学年に成長する間に勿論親も成長する。
この親が現実はそんな甘いものではなく、世の中は
生き馬の目を抜くような所なのだ、と身をもって分かり
また、それを子供に少しずつ伝える義務がある。
これを上手に伝える事によって親は親として成長できたかどうか
と、いわば試金石の役割を持つのである。
その為にも子供に親が少しづつ社会を伝えるスタート
であり子供の夢の終わらせる役割にサンタクロースが
一役荷っているという具合。
一生懸命考えた割りにうまく伝えられなかった。
残念だ。
この時期に食べたくなるチキンの話
大学のサークルに遊びに行った。
夜、皆で食事でもという話になり
それではどこにしようか、と場所を考えるまもなく
後輩達は某鶏肉の揚げ物で有名なチェーン店を挙げ、
学校から店までは距離があるので、そのまま歩き始めた。
道すがら後輩達は自分達がどれだけそのチキンが好きかを
語り始めたのだが、語り口調でピンときた。これは
深夜番組「アメトーク」で芸人がしゃべっている、
リズミカルで永遠に終わらないボケを、皆で真似して
遊んでいるに違いない。
僕の感は当たったようで、またせっかくだからと話にのった。
チキンでおこなう結婚式、バージンロードには食べ終わって
綺麗に洗ったチキンの骨が綺麗にしかれていて、
そこを歩いて二人はやってくる。男性は勿論白いタキシードで
ヒゲとメガネを着用しなければならない。
女性は赤を基調としたドレス。
見渡すと客席には式用の特別バーレル(20ピース)と
コールスローサラダ、マフィン等のサイドメニューが置いてある。
「ケンタッキーの我が家」の曲を一通り歌うと、チキン入刀。
とか、永遠に続くと思われるフライドチキンとそのお店を
用いた、物語を皆で考え大いに笑った。気が付くと
笑っていたのは一部で、終わる事のないフライドチキン話に
大半の後輩はうんざりして、それぞれの話をしていた。
それはそうと、一つ疑問がある。
この時期になるとどうしてあのチキンが食べたくなるんだろう。
僕はあのチキンの油っぽさが苦手で、二つ食べると胃もたれを
起こしてしまう。それ故一年の内350日位はたとえCMを
見ても、他人が美味しそうに食べていても、食べたくはならない。
が、この時期だけは、その胃もたれの辛さも忘れ
あのチキンが食べたくなってしまうのだ。
これぞケンタッキー周期。
ひょっとしたらあのチキンには太古の昔から人間の
記憶に刻まれている何らかの味覚や嗅覚を歓喜させる成分が
配合されていて、それは冬、特にこの時期に照準を絞り
うまみの記憶を呼び起こす事ができる、そんな極めて特殊な
スパイスが配合されているのではないか、そんな想像もしてしまう。
これはケンタッキー七不思議に挙げられるケンタッキーDNA
それでも買うのはナンだし、家にも鶏肉があるから
休日を使ってあのチキンの味を再現してみるのも
いいかもしれない。
日曜大ケンタッキーもしくはケンタッキーDIY
略してKFCDIY アルファベット順に並べてCDIKFY
意味付けをしてDICKY F ディッキー エフ
ディッキー:取り外しできるワイシャツの硬い胸当て
ドレスやジャケットの下に着てブラウスのように
見せる婦人用の前飾り 《英口語》壊れそうな 弱い
エフ:《略》Fahrenheit:意味『遺伝』
略しつなげると、弱い遺伝 劣性遺伝
ウィキペディアより『劣性』:
往々にして劣性という語感から「劣った性質」と見なされるが、
そのような意味はなく、単に表現型として表れやすいかどうかを
意味するものである。また、園芸植物などでは往々にして
劣勢形質の方が喜ばれる形質である
Yahoo知恵袋より、
「優性遺伝子」と「劣性遺伝子」とは
何を基に決定するのでしょうか?
の質問に対してのベストアンサーの一部抜粋。
遺伝子の組み合わせで、
その形質が表面に現れる方を優性、現れない方を劣性とします。
話を戻し、都合よくまとめると
表面に現れない劣性遺伝子を持った『DICKY F』
という名のスパイス。これを使う事によって一年に一度
特に冬、12月20日~25日に掛けて、かつて食べた
チキンの味を思い出すかのごとく、フライドチキンに
対しての欲求を高める事ができる。
残念ながら。チキンに使用しているスパイスは
企業秘密であり公表できないようになっている。
その為に『DICKY F』を使用していると断言は出来ないが
このような結果を導き出す事にいたった。
これを、ケンタッキー問答、と言う。
サンタの弁当屋 追々記
以前、日記で書いた入り口に踊って歌う二体のサンタクロースが
置いてある弁当屋に小さな変化が生まれた。
一体は動かないように電源を抜いてしまったのだ。
入り口で二体が踊って歌っているのは不気味でしょうがない。
これはお店の為にもなる。僕のささやかな願いが叶ったと思った。
と、安心していたのもつかの間。
幾日かすると動く方のサンタクロースの右腕には
弁当とペットボトルが入っていると思われるビニール袋がくくりつけられ、
左手には『おでんはじめました』と書かれた紙が貼り付けられている。
今までと動きは変わらないのに、忘年会ではしゃぎすぎた
お父さんのように見えてしまうのが不思議だ。
「さんた苦労す(サンタクロース)が帰ってきました」そんなギャグを言って
笑いやその他感性に敏感な娘に、わざと聞こえるようなため息をつかれてしまうんだろう。
場の空気を変えようと「さんた(サンタと海苔弁当三段に重ねた事を指す言葉遊び)
のプレゼントです」とか言って、今後絶縁に近い接し方をされるに違いない。
もっというと、聞こえるようなため息の仕方は妻と同じ嫌な癖だなと思いながら
父は小さく眠るのだろう。翌日の弁当は冷えて硬くなった
海苔弁当(買ってきたパックのまま)だろう。ちょっと想像しすぎた。
話は戻り
更に動かない方のサンタクロースの足元にはゴリッとしたアメリカンデザインの
フライドポテトのキャラクター(小サイズ)が置かれるようになった。
これがまた不気味な置物で、円錐の紙袋から極太のフライドポテトが突き出ていて、
デザイン上髪の毛を意識している感じだ。紙袋部分の中央にはぎょろりとした目玉、
アメリカの意識でそれはファニーなのかもしれないが、左右別々の方向をにらみつけている。
それだけでは飽き足らず鷲鼻の下にある大きくあけた口からはでろっとベロが垂れている。
クレイジーを形にするとこういうふうになるんだな、と思えるシロモノだ。
見る人が見ると、悪魔の使いか等に見えて卒倒してしまうかもしれない。
観察していると、動く方のサンタは右のに置かれる日もあれば左の日もある。
そしてきちんと動かない方には悪魔のしもべが置かれている。
更にその前には造花が三本ほど植えてある花壇。
みんなで知恵を絞りいい方向に持っていこうとしているのだろうけれど、
残念ながらやればやるほど逆のベクトルに位置する店頭POPになっていく。
都会的なセンスとか市場調査を重ねた戦略的なPOPよりも
こういう味わい深いお店のほうが僕は好きだ。来年にはこの店なくなってしまいそうな気配だが。