これは私個人の感想に過ぎないことではありますが……

前回の研究会での柴田先生は、今まで見た中でも一番雑で、
あまりに柴田先生の「独演会状態」だったと思う。

あんなに雑な、強引な「通訳」を見て、
みんなはどう思ったのだろう。

柴田先生から遠回しに「今のは読み取り手の言葉が入っていました」と
否定されていた読み取り手の人たちは、どう感じたんだろう。

このままで良いと、全員が思っているわけではないでしょう?

あれでいいんだという方たちには、私が言える言葉はないけど、
そう思わない人には伝えたい言葉はたくさんある。

あれを批判したらダメだとか、

受け入れなきゃいけないとか、

信じないのは冷たいとか、

 

否定するのは頭が固いとか、

感動するのが当たり前だとか、

 

必死で練習しなくちゃとか、

そう思わされて苦しい気持ちを抱える人もいる。

それが私は嫌だ。

その人たちに、そんなふうに感じる必要はないと安心してほしい。

そこの輪から居なくなれということじゃなく、
ただ気持ちを楽にして、他の世界も覗いてみてほしい。

もっと普通に、普通の好きなものの話とかを私はしたい。

 


(タイトルの通りの内容なので、今回は真面目めな文体で行きます。)

宝石赤 指談・指筆談って何?という方は、右の記事をどうぞ右矢印 指談を信じる人へ


***

指筆談・介助つきコミュニケーションを取材する方へ、私が伝えたいこと

世にある『指談・指筆談・介助つきコミュニケーション』の新聞記事には、
ほとんどの場合、國學院大學 柴田保之教授のお名前が出ていると思います。

しかし、柴田教授はこれらの手法について、
専門家としてのお仕事(=専門家らしい研究)はしておられません。

そのため柴田教授のご意見は、
これらの手法に対する『専門家の意見』としては参考にできません。

新聞社やテレビ局の方は、柴田教授を『専門家』と思って取材されたと思いますし、
活動内容についても「まさか大きな間違いはないだろう」とお考えになったと思いますが、
残念ながら世の中にはそういう事態もあるのです。

見聞きする情報に対して「ホントに?」と疑問を持つ機会が少ないのは、
マスメディア関係の方に限らない問題だと思います。
実際には、この世にある本や論文には、たくさんの間違いが書かれています。

自分がその分野にたまたま詳しければ、間違いに気付けることもあります。
そういうときの気分は「こりゃひどい」です。

その本のファンから「で…でも面白いからいいんだよ!」と強弁され、
ますます閉口することもあります。
私もしばしば強弁する側です。あとから気付くこともあります。
世界というのはそういうところです。

いいとか悪いでなく、現実というのはそういうものです。
私はその現実を受け止めた上で、どんな道を選ぶのか決めたい。
だから私は「本当のこと」が気になるのだと思います。

以上です。
 

なんか私、集まりに行くとしょっちゅう

自慢(?)を聞かされている気がする…と思って、

最近その理由を考えてたんだけど…。

そういうときの私の反応はたぶん、相手からは

「あれ、なんでこのネタが効かないんだ?」と、

不思議なことのように思われていたんだと思う…。

私に効かなかった理由はとても単純で、

それは私にとっては特に偉大なことじゃなかったからだ。
誰がスゴイとかより、今朝(けさ)何を食べたか話す方が

ずっと偉大で素晴らしくて豊かであるなぁ…という感覚で私は生きていると思うし…。

…なので、次から私にはそういう普通の話題を振っていただきたい!!!と私は思っている。
水戸黄門のモブのようには反応できないので…。

なんか、そういうモブ的な、とりあえずスゴさを見せつける相手であって、

対等な人間とは思われてなかったのかな~~…と考えると、

私がアホみたいで悲しいし………。(おしまい)

ブログに画像載せますよ!と宣言してしまったので、

とりあえず私の作ったボード例の画像を3つ置いておきます。


※原寸の大きい画像は直接リンクできないようなので、アドレスをコピペして飛んで下さい。

 

○ × △

もっと大きい画像は下記アドレス
https://stat.ameba.jp/user_images/20181125/11/othello-iago/84/3a/j/o1040072014309395923.jpg



はい・いいえ・どちらでもない

もっと大きい画像は下記アドレス
https://stat.ameba.jp/user_images/20181125/11/othello-iago/ac/ad/j/o1040072014309395929.jpg



あいうえお表

もっと大きい画像は下記アドレス
https://stat.ameba.jp/user_images/20181125/11/othello-iago/be/c0/j/o1040072014309395927.jpg

 

 

* * *

 

A4一枚に印刷できるサイズ…にしたはず…。

画像の形式はJPEGです。

 

今回はなるべくシンプルに作ろうと思ったので、

「こういう文字もあった方が便利だな~」というときは、

ご自由に書き込んでお使いください音譜 (著作権は主張しません)

 

※詳しい説明はそのうち追記するかも…(しないかも…)

 


コーヒー 指談・指筆談って何?という方は、まず右の記事をご覧下さい→ 指談を信じる人へ

 

* * *

 

今回は、個人的にすごく気にかかっている話…。

 

指談・指筆談で読み取った…とされる内容の中には、ときどき

  • 自傷行為をすることがありますが、実はあんまり痛くないんです」
  • 「同級生に叩かれることがあっても、愛情があれば痛く感じないです」

……というような内容があるのですが、

これは絶対に うのみ にしてはいけない言葉だと私は思っています…。


障害の種類や度合いとは関係なく、
皆あなたと同じ人間なので、痛くないわけがありません

あなたにとって痛いことは、他の人にとっても痛いこと…

もし本当に本人が「平気だ」と言っても、そのままにしては良くないです…。

安全な場所静かで落ち着ける場所に案内するとか、
少しでもストレスを減らすために穏やかに話しかけるとか、
そういった親身で思いやりのある対応が大事なのだと思います。

「本人がそう言ったから」 とそのままにしては、
不安や痛みがどんどん積み重なってしまいます。

もちろん、誰かを助けるということは、
自分に余裕がなければ難しいことです。
助けようとするあまり自分が疲れ切ってしまうこともあります。

だから決して無理はせず、できそうな余裕があるときに、
相手の様子をよく見て手を差し伸べることが、
どんな人間関係の中でも大切なのかな、と思います…虹
 
 


ブーケ2 指談・指筆談って何?という方は、まず右の記事をご覧下さい 指談を信じる人へ

***
今回のブログでは、指筆談(指談)に関する、

「ゆっくり読み取れば間違いは減らせる」

という意見に対する、反対の意見 を書きたいと思います。


まずは簡単に、指筆談(指談)の危険な点を挙げてみます。

・ 介助者が障害者の手を 無意識に 勝手に動かしてしまっているかもしれない

・ 介助者が障害者の手の動きを 無意識に 自分の想像に当てはめてしまっているかもしれない

・ 介助者が自分の筋肉の 無意識の 動きを、障害者のものと勘違いしているかもしれない

(※ここでは 指筆談の読み取り手=介助者という意味で書いています)


さて、あえて 無意識 という言葉を強調して書きましたが、
このように「指筆談の読み取り間違い」「無意識」の結果 起こりうるものです。

たとえば、学校から自分のノートを鞄に入れて持って帰ってきたはずが、
家で開いてみると、表紙が同じ友達のノートだった、というような場合、
ゆっくりノートを入れたとしても、急いで詰め込んだとしても、
間違えていることに気づく確率はほとんど変わらないでしょう。

なぜなら、表紙を見て自分のものだと「無意識に」思い込んだ時点で、
ノートの間違いに気づくきっかけは失われるからです。

「指筆談」でもこれと同じことが起こります。

読み取るという行為そのものに「無意識のミス」
(さっきの例えで言えば、表紙だけを見て自分のノートだと思い込む事
が起こっているので、その動作をゆっくりやっても時間をかけても、
間違いを減らすことには結びつかないのです。

***
似たような誤った意見には「二人で読み取って確認すれば間違いは減らせる」
というものもあります。

これもノートの例えで考えてみると、
持ち主のAさんが「赤い表紙だから私のノートだ!」と考え、
友達のBさんが「そうだね、赤い表紙だから君のノートだ」と同意しても、
同じ赤の表紙のノートがもう一冊あることを二人が知らなかったら、
Aさんが別人のノートを持って帰ってしまうのを止める事はできません。

「表紙を見れば自分のノートは分かる」という無意識の思い込みがある限り、
間違いを減らすことはできないのです。

同様に指筆談でも、同じ「無意識のミス」が起こりうる以上、
二人が確認しても三人が確認しても、
みんながみんなミスをしている可能性が大いにあるのです。

***

ここから先は少し余談です。
「本当に指筆談が障害者の言葉を読み取れているか」を確認するためには、
たとえば次のような実験が考えられます。

1.紙に文字や絵などを書いて障害者の方に見せる。
  このとき介助者(読み取り手)には別室などにいてもらう。

2.紙は中が見えないように隠しておいて、
  介助者に障害者の方が何を見たか読み取ってもらう。

3.最初に紙に書かれたものと一致するか確かめる。

なお、このような簡易的な実験は今までに何度も行われており、
失敗することが多い(紙の文字と読み取った言葉が違う)という結果は、
指筆談などを広めておられる國學院大學・柴田保之教授も認めておられます。

しかし「だから使ってはいけない」とは私は思いません。

大事なのは「ミスが多く起こっているかもしれない」と知る事です。
そして、その危険を講演会などで最初に知らせる事です。

知った上で・知らせた上で「間違いでも構わない」と深い覚悟をし、
大切な人のために使うのであれば、それはその人の自由だと思います。

ですが「間違いである可能性」だけは隠さないでほしいと願っています。

また、最初に述べたように「○○すれば間違いを減らせる」
という考えには誤りがあることも多い
ので、
その点も決して忘れずに考えてほしいと思っています。(終)

※最後の方の内容については、以前詳しく書いたので下にリンクしておきます。

右矢印指談の読み取りは間違ってもいい?
http://ameblo.jp/othello-iago/entry-12157082151.html

右矢印指筆談は間違ってもいい? その2
http://ameblo.jp/othello-iago/entry-12217288612.html

 

クローバー指談・指筆談って何?という方は、まず右の記事をご覧下さい→ 指談を信じる人へ

***
危険な指筆談・指談について意見を交わしているとき、
「そうである事」 と 「そう見える事」 
区別のつけ方が不十分だな、と感じるケースがありました。

そこで今回は、この二つの区別について書きたいと思います。

まず「そう見える事」とは、手品に例えると、
「空中からコインを取り出したように見える」といった事です。

当然、手品にはタネがあると一般の人は知っていますから、
「空中からコインを取り出したように見える」としても、
「実際に空中からコインを取り出した」わけではない、と理解できます。

しかし、これをやったのが手品師でなくて『超能力者』だったらどうでしょう?

「私は超能力者で、空中からコインを取り出せる力があります」と言って、
その人が空中からコインを取り出した「ように見えた」場合、
その人は本当に超能力者だと言えるでしょうか?

一つ目の可能性としては、
もちろん「本物の超能力者である」という可能性もあるでしょう。
にわかには信じられないファンタジーのような話ではありますが、
世の中には不思議なこともありますから、可能性がゼロとは言えません。

もう一つの見方は「本物の超能力者ではない」という可能性です。
なぜなら私たちは、コインを空中から取り出した「ように見える」手品師が、
この世界には存在することを知っているからです。
手品師にできる事であれば「超能力者を名乗る手品師」にも同じ事ができるはずです。

つまり、ここでは「あの人は超能力者である」という見方と、
「あの人は超能力者のように見える(が、実際には違う)という
二つの見方が考えられるという事になります。

しかし、この二つの見方が区別できない人はどう考えるでしょうか?

「そう見える事」イコール「そうである事」と考える事は、
確かに必ずしも誤りではありません。
「男のように見える人」は、だいたいの場合は「男である」でしょうし、
「おいしそうに見える料理」は、だいたいは「おいしい料理である」と思います。

ですが、物事には必ず例外があります。
「男性に見えるけど実は女性」「おいしそうだけど実はマズイ料理」
といったケースも十分ありえるワケです。

しかし先ほども述べたように、二つの見方があるという事実を忘れてしまい、
「男に見えるから男である」「おいしそうに見えるからおいしいんだ」
といったふうに『見えることイコール事実』と考えてしまう間違いも人間には起こります。

***

ここで話を指筆談(指談)に戻しましょう。

ある人が指筆談でコミュニケーションが取れている「ように見える」事はあると思います。

でも、それを理由に「実際に指談でコミュニケーションが取れている」
と断定しても大丈夫でしょうか?
実際には「そう見えるけど違う」という可能性はないでしょうか?

人はしばしば、実際にはない『合図』を読み取ってしまう事があります。
実際は隣の人がにらまれたのに、自分に向けられた視線だと勘違いする、
また、偶然当たってしまった手を自分への攻撃だと勘違いする、
こういった錯覚は人間にはよくある事です。

ですから指筆談においても似たような事が起こり、
「指筆談で言葉を読み取れているように見える(が、実際には違う)
という状態になっている可能性も考えられるわけです。

実際に「そうである」のか、それとも「そう見える」だけなのか、
確かめるには、公平な実験や記録を重ねていく事が大切だと思います。

けれど、残念なことに、今の指筆談(指談)の周囲では、
「ちゃんとそう見えるんだから良いじゃないか」という誤解が
いくらか広がってしまっているように思います。

本当にそうならいいけど、実際は違ったら……?
その可能性を考えて私は「きちんと確かめてほしい」と心配しています。

柴田保之先生ご自身も「テストをすると失敗する」と述べておられます。
そうであるなら「できているように見えるだけ」という可能性にも
しっかりと向き合って、指談を使う人に注意を促してほしいです……。

指筆談を使う方たちの間で「そう見える事」ばかりが注目され、
「そうである事」が置き去りされてしまわないよう願っております。

(終わり)
 

クローバー指談・指筆談って何?という方は、まず右の記事をご覧下さい 指談を信じる人へ

***

 今回のブログ記事は「ビジネスと関連する指談・指筆談」への注意喚起です。


 一人一人が信じる分には問題の少ない 『考え』 も、ビジネスが関係するとトラブルに発展しやすいものです。また、ビジネスになることで「やめどき」を失ってしまい、トラブルが拡大してしまうおそれも考えられます。
 ですから 『指談・指筆談』 についても、ビジネス(営利活動)と直接的に結びついているものに関しては、厳しめに見ることが必要だろうと私は考えました。
 
 以下に書きます2つのケースでは、指談・指筆談が「有料のセミナーや講演」の付加価値(宣伝)として使用されています。また、指談・指筆談によって書かれたとされる詩集も販売されています。
 悪意なき人を批判するのは心が重いことですが、障害者のコミュニティなどで金銭トラブルが発生してほしくないという願いから、具体的にお名前をあげさせていただく事にいたしました。
 

---------------------------------------------------
● 神原英子さん
 http://www.kouenergy.com/

 詩集(神原康弥さん名義)
 『コウヤのロマン さくさくさく』 Office Oharada
 『大すきなママへ』 廣済堂出版

● 溝呂木真理さん
 https://www.kouenirai.com/profile/6377

 詩集(溝呂木梨穂さん名義)
 『らりるれろのまほう』 Office Oharada
 『約束の大地 想いも言葉も持っている』 青林堂
---------------------------------------------------


 もちろん、商品やサービスの対価として金銭を得ること自体は何ら問題ないと思います。しかし、金銭を得るという事は金額に見合った正確性が求められる行為であるとも考えます。そして現状、指談・指筆談の正確さを保証する物はありません。
 そのため 『指談・指筆談を使って得られる情報や文章』 に対してお金を支払うことは、買い手の損害(お金だけでなく時間も失ってしまう)となる可能性が考えられます。
 こういった考えから、上記のような警鐘を記させていただきました。ご理解いただければ幸いです……。

 

 

 

はじめまして、どろろんです。

 

このブログには「指談・指筆談」について書いた記事が多くあります。

多すぎてどこから読もうか迷ってしまう方もいると思うので、

ここではいくつかオススメの記事をピックアップしたいと思います。

 

・最初はこれがオススメ(私の基本的な意見です)

右矢印指談を信じる人へ (Q&A方式)

 

・自分で使うだけでなく指筆談を誰かに教えたい人に

右矢印指筆談を伝えたい人へ

 

・私のブログを読んで悩んでしまった方へ

右矢印結局、指談は使ってもいい?

 

・私と意見の違う人に、お願いしたいこと

右矢印指筆談:違う意見を遠ざけないで…

 

 

今回は「指筆談は間違ってもいいの?」という点について書いてみます。
(以前にも、ちょっと似たような事を書いたので、その2とします)

 

ベル 指筆談って何?という方は、まず右の記事からどうぞ右矢印指談を信じる人へ (Q&A方式)

 

@@@


私はこのブログで、

「指談・指筆談は間違える可能性がある」

「だから気をつけないと危険だ」

という意見を書いてきました。


それに対して……というワケでは無いのかもしれませんが、

「本物か偽物かというのは、一番重要な事ではない」

という意見があると聞きました。

「心を通わせるため、やろうとしてみる姿勢が大切だ」

……という事のようです。


確かにその意見もわからなくはありません。
私はお正月には神社にお参りしますが、
神様が本当にいるかどうかより、お参りして自分の気を引き締めたり、
目標を確認したりすることが大切なのだと思います。

 

しかし、指筆談もそれと同じに考えてしまっていいのでしょうか?

 

もちろん、ダメ元で試すだけ試してみたい、
たとえ読み取りが間違いでも心の声を聞こうとしたい、
そう考えてやる人もいると思います。

そういう方にとっては、チャレンジすること自体に意味があるのでしょう。

 

しかし、そうではなくて、もっと具体的に、
正確に相手の答えを聞けなければ意味がない、という人も
いるのではないでしょうか?


もし指筆談が「仮に本物でなくても価値があるもの」なら、
まずそれをしっかりと伝えた上で広めてほしいと思います。

 

なぜなら、初めて指筆談を知りに訪れる人の多くは、
正確な答えを読み取りたくて来ると思うからです。

普通に具体的な会話がしたいと思って来た人に、
「本物かどうかは別の話です」と言ってはガッカリしてしまうと思います。

 

ですから、指筆談を広めている方には、
最初に「何を目指してやるのか」を明らかにしてほしいです。
話せない人の言葉を読み取るという重要な話なのですから、
落胆する人はなるべく出してほしくないと思います。(終わり)