クローバー指談・指筆談って何?という方は、まず右の記事をご覧下さい→ 指談を信じる人へ

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危険な指筆談・指談について意見を交わしているとき、
「そうである事」 と 「そう見える事」 
区別のつけ方が不十分だな、と感じるケースがありました。

そこで今回は、この二つの区別について書きたいと思います。

まず「そう見える事」とは、手品に例えると、
「空中からコインを取り出したように見える」といった事です。

当然、手品にはタネがあると一般の人は知っていますから、
「空中からコインを取り出したように見える」としても、
「実際に空中からコインを取り出した」わけではない、と理解できます。

しかし、これをやったのが手品師でなくて『超能力者』だったらどうでしょう?

「私は超能力者で、空中からコインを取り出せる力があります」と言って、
その人が空中からコインを取り出した「ように見えた」場合、
その人は本当に超能力者だと言えるでしょうか?

一つ目の可能性としては、
もちろん「本物の超能力者である」という可能性もあるでしょう。
にわかには信じられないファンタジーのような話ではありますが、
世の中には不思議なこともありますから、可能性がゼロとは言えません。

もう一つの見方は「本物の超能力者ではない」という可能性です。
なぜなら私たちは、コインを空中から取り出した「ように見える」手品師が、
この世界には存在することを知っているからです。
手品師にできる事であれば「超能力者を名乗る手品師」にも同じ事ができるはずです。

つまり、ここでは「あの人は超能力者である」という見方と、
「あの人は超能力者のように見える(が、実際には違う)という
二つの見方が考えられるという事になります。

しかし、この二つの見方が区別できない人はどう考えるでしょうか?

「そう見える事」イコール「そうである事」と考える事は、
確かに必ずしも誤りではありません。
「男のように見える人」は、だいたいの場合は「男である」でしょうし、
「おいしそうに見える料理」は、だいたいは「おいしい料理である」と思います。

ですが、物事には必ず例外があります。
「男性に見えるけど実は女性」「おいしそうだけど実はマズイ料理」
といったケースも十分ありえるワケです。

しかし先ほども述べたように、二つの見方があるという事実を忘れてしまい、
「男に見えるから男である」「おいしそうに見えるからおいしいんだ」
といったふうに『見えることイコール事実』と考えてしまう間違いも人間には起こります。

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ここで話を指筆談(指談)に戻しましょう。

ある人が指筆談でコミュニケーションが取れている「ように見える」事はあると思います。

でも、それを理由に「実際に指談でコミュニケーションが取れている」
と断定しても大丈夫でしょうか?
実際には「そう見えるけど違う」という可能性はないでしょうか?

人はしばしば、実際にはない『合図』を読み取ってしまう事があります。
実際は隣の人がにらまれたのに、自分に向けられた視線だと勘違いする、
また、偶然当たってしまった手を自分への攻撃だと勘違いする、
こういった錯覚は人間にはよくある事です。

ですから指筆談においても似たような事が起こり、
「指筆談で言葉を読み取れているように見える(が、実際には違う)
という状態になっている可能性も考えられるわけです。

実際に「そうである」のか、それとも「そう見える」だけなのか、
確かめるには、公平な実験や記録を重ねていく事が大切だと思います。

けれど、残念なことに、今の指筆談(指談)の周囲では、
「ちゃんとそう見えるんだから良いじゃないか」という誤解が
いくらか広がってしまっているように思います。

本当にそうならいいけど、実際は違ったら……?
その可能性を考えて私は「きちんと確かめてほしい」と心配しています。

柴田保之先生ご自身も「テストをすると失敗する」と述べておられます。
そうであるなら「できているように見えるだけ」という可能性にも
しっかりと向き合って、指談を使う人に注意を促してほしいです……。

指筆談を使う方たちの間で「そう見える事」ばかりが注目され、
「そうである事」が置き去りされてしまわないよう願っております。

(終わり)