今回は「指筆談は間違ってもいいの?」という点について書いてみます。
(以前にも、ちょっと似たような事を書いたので、その2とします)

 

ベル 指筆談って何?という方は、まず右の記事からどうぞ右矢印指談を信じる人へ (Q&A方式)

 

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私はこのブログで、

「指談・指筆談は間違える可能性がある」

「だから気をつけないと危険だ」

という意見を書いてきました。


それに対して……というワケでは無いのかもしれませんが、

「本物か偽物かというのは、一番重要な事ではない」

という意見があると聞きました。

「心を通わせるため、やろうとしてみる姿勢が大切だ」

……という事のようです。


確かにその意見もわからなくはありません。
私はお正月には神社にお参りしますが、
神様が本当にいるかどうかより、お参りして自分の気を引き締めたり、
目標を確認したりすることが大切なのだと思います。

 

しかし、指筆談もそれと同じに考えてしまっていいのでしょうか?

 

もちろん、ダメ元で試すだけ試してみたい、
たとえ読み取りが間違いでも心の声を聞こうとしたい、
そう考えてやる人もいると思います。

そういう方にとっては、チャレンジすること自体に意味があるのでしょう。

 

しかし、そうではなくて、もっと具体的に、
正確に相手の答えを聞けなければ意味がない、という人も
いるのではないでしょうか?


もし指筆談が「仮に本物でなくても価値があるもの」なら、
まずそれをしっかりと伝えた上で広めてほしいと思います。

 

なぜなら、初めて指筆談を知りに訪れる人の多くは、
正確な答えを読み取りたくて来ると思うからです。

普通に具体的な会話がしたいと思って来た人に、
「本物かどうかは別の話です」と言ってはガッカリしてしまうと思います。

 

ですから、指筆談を広めている方には、
最初に「何を目指してやるのか」を明らかにしてほしいです。
話せない人の言葉を読み取るという重要な話なのですから、
落胆する人はなるべく出してほしくないと思います。(終わり)