生きております |  お転婆山姥今日もゆく

 お転婆山姥今日もゆく

 人間未満の山姥です。
 早く人間になりたい。

今の夫と結婚してから、彼の髪は私がずっと切っている。

殿方の散髪の頻度はどれくらいかは知らぬが、ウチではひと月半に一度程度だ。

 

私自身、自分の髪は自分で切っている。

田舎に引っ込んでから美容院には行ったことがない。変なところに小器用なため、不便に感じたことは無いが、40肩が酷くて上にも横にも腕が上がらならない時に、娘に頼んだことがある。

 

 

 

あれ以来人に切ってもらったことは無く、娘も相変わらずセルフカットである。

それはどうでもいいのだが、夫の髪を切り続けて、白髪などが混じるようになってきた昨今は、

「ああ・・・この人も年を取るんだ」

という感慨である。

 

それでも今般の私の病気による入院手術騒ぎで、食事に大いに気を付けた結果、夫婦で7キロも体重が減り、見た目が若返った。

どれだけ太っていたのよ、と思うが、勤勉で体を使う仕事の夫は、無理やりな方法で付けた筋肉ではなく、正しく労働で鍛え上げた体躯であり、体重が落ちる前も別に太っては見えなかった。

お腹も出ていないが、それでも本人はダメだダメだと言っていた。それが最近は、ハガネのような体つきで見事である。

私はお腹も足も顔も肉が落ちたが、シワシワにはならず、夫に「知り合った頃に戻った」と言われる(´∀`*)ウフフ。

 

妻となった私が太り続ける歳月を、彼がどんな気持ちで見ていたのかは知らない。

いずれにしても時は流れたのであるが、食事内容は魚メインが多く、最近はお安い刺身用のあれこれを買って来て昆布締めにして、美味い美味いと食べている。

ご飯もおかわりするが、体重は増えない。

 

今までは、「油を飲んでいるようなもの」だったのだとつくづく思う。

フライパンはほぼ使わず、焼きそばなども油をひいて作るのではなく、酒を振りかけ蒸して作る。

揚げ物をすることは一切なくなり、なんと今季は山へ一度も行っていないし、山菜の天ぷらも一切口にしていない。

夫は仕事が超多忙だし、天ぷらは絶対食べすぎるので、行く気もないようだ。

 

この春は異状すぎて、3月のうちに桜が開花してしまったときは愕然とした。

ひと月も早い。

庭は青くなり、あっという間に何もかも茎を伸ばして花をつけている。

我が家で一番後に葉が出てくる楢も、銀色に見える葉を出し、花穂まで垂れて咲いている。

コブシも3月のうちに満開になりとっくに散った。

初夏の風情という印象のある朴ノ木もすっかり葉が出ていて、ついこの前・・・といっても去年なのだが、一年経たずして出ているから歳月のサイクルがおかしくなり、随分早くなっていると錯覚する。

 

ここ数日は朝晩冷え込み、猫のために湯たんぽを復活させた。今朝はマイナス1度で、

「4月はまだまだ、これが普通なのよ」

と寒いことにホッとしている。

 

チオノドクサは今年も律義に芽吹き、気温が高いのであっという間に咲いて散った。

イチゲがフクジュソウより早く咲き、花わさびも同様だったが、ニリンソウとヒトリシズカだけはいつもの時期に芽を出し、葉を茂らせ、昨年より面積を増やして、可憐に咲いている。

 

今だから言うが、昨年

「来年はニリンソウを見られないかもしれない」

と暗澹たる気持ちになっていた。それほど昨年は、身も心も落ちていたのだ。

 

今季は、いつもならとっくに雑草だらけで、放置していた庭が何故かきれいになっている。

山へ行かないからである。

山へ行けば帰宅後その始末にかかりきりなるから、庭の草たちなど何の憂いもなく勝手に生えて繁茂して、その勢いに私はいつも見ないふりをしていたのだが、今年はせっせと抜いている。

ヒメオドリコソウ、アカネ、ハコベ、ハルジオン、ヒメジオンが物凄いが、きれいさっぱり抜いたので、現在庭隅にあるのは、ニリンソウ、イカリソウ、オオバハギボウシ、ハナワサビ、イチゲ、ヒトリシズカ、エンレイソウ、ギョウジャニンニクという山野草ばかりである。

 

山へ行きたいとも特段思わなくなり、私はこの狭い敷地で時々薪割りをし、草をむしり、ミミズやカラスや、庭を横切る猫たちとばかり話しをしている。

これはこれで悪くない、そして日に何度も、いそいそと庭に出るのだ。

 

夫婦とも緩くなった衣服ばかりになった。

前は、きつくなった衣服を

「痩せたらまた着る」

と取っていたが、昨年の入院前に全部棄てた。

今は

「また太ったら丁度良くなる」

と思って緩いまま着用している。

その度

「ビフォーアフター」

を確認し、ニタついている私はめでたいのかもしれない。

夫の髪を切りながら、ふと

「あなたさ、私がいなくなったらどこで髪切るの?」

と聞いてみたくなったがやめた。

私はこの人と猫たちと、今日も生きているし、これからも生きていくのだ。