お転婆山姥今日もゆく

 お転婆山姥今日もゆく

 人間未満の山姥です。
 早く人間になりたい。

少し前に息子から

 

「S・Kくんって覚えてる?」

 

と問い合わせが来た。

息子が幼稚園の頃同じクラスだった子で、すっかり忘れていたけれど、たちどころに思いだせるのが我ながら不思議である。

なんでも、仕事の客で、息子は忘れていたのだが、

「結婚するのでアルバムを整理していたら、R君の写真も出てきて・・・」

ということ。

先方が覚えていて声をかけて来たそうだ。

 

「覚えてるよ、ぽっちゃりした色白の子だったよ」

と返事をすると、

「今も色白でぽっちゃりだ」

 

息子はその幼稚園に、年長の夏休みが終わってから転園したので、半年ちょっとの付き合いしかない。S・Kくんとは小学校も別であったのに、彼もよく覚えてくれていたものだ。

 

「アンタは転園したその日から友達が出来て、それは7人組と呼ばれていたのだけど、元気な子たちばかりで、S・Kくんはそのグループではなかったけど、別に仲が悪いとかそういうのではなく、毎日楽しそうだったな」

 

「そういえばそうだった」

 

仙台から盛岡に転居し、自宅から近くて空きがある、娘も年少で入園できるところ、ということで、特段の予備知識もなくその幼稚園に決めたのだが、その後、息子と娘それぞれのクラスで歓迎会を開いていただき、度肝を抜かれた。

 

というのも、親の職業である・・・。

 

ご主人が、医者か県庁勤務、というのが物凄く多く、母親ご自身も医者や、教員、そういう人がひしめいていた。

元局アナ、が2人いたし、たしかに話し方がアナウンサーのそれだった。

一番大きい百貨店の宝飾品売り場主任(キャリア15年)とか、劇団員、チェリスト、あるいは社長夫人・・・。

 

娘のクラスはハイソの割合がもっと多くて、毎日のお迎え時には、赤の高級外車で乗り付け、あるいは服やブランドバックや帽子、傘に至るまでそれぞれが競っているかのような人たちも一部にいたらしい。

というのも、私はブランド品に全く興味がなく、ゆえに知らなかったからなのだが、私がそれを視認してもそれがなんというブランドなのか興味が全く無いのと、覚える気もないからであり、ゆえに変なさや当てや羨望や僻み妬みとは無縁であったことは幸いというべきか。

ともかく、子も母も楽しい幼稚園から学童期ではあった。

私は当時はサラリーマンの妻。ときどきリンゴ農家さんでアルバイトという生活。

 

そうそう、息子を覚えていてくれたS・Kくんのお母さんは 

 

ジャズピアニスト 

 

だったそうです。