髪を切ってもらった |  お転婆山姥今日もゆく

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 人間未満の山姥です。
 早く人間になりたい。

自我というものが目覚めたあたりから、人は自分の顔について意識する。

で、どんなに幼くても、自分より可愛い格好していたり、リボンをつけていたり、ひらひらさせていたりする子が近くに来ると、心中穏やかではない。

 

似合う似合わないは別にして、他人の目を気にするようになる。

 

大分後になって、

「着飾る=プラス」

ではないことを知るのだが、それは他人によって知ることと、己で自覚することと両方ある。

 

で、顔はもうどうしようもないので髪型の話。

 

ワタシはずっとセミロングで定着している。↓↓


 

コレは、一年ほど前今より少し痩せていた時に、大分頑張って整え、化粧もしたときに思いっきり作り笑顔で撮った写真なので、普段とは当然違う。頑張っても色々残念で、白黒に加工して、シミシワタルミをごまかしたり、それでもやっぱり残念で、ついにはハートで顔を隠し、そのような点も頑張ったのを白状しておく。

リアルのワタシを知ってるひとは

「・・・・・

 ・・・・・・

  ・・・・・・・ ぷっ・・・」


 

ロングだとちょっと始末に負えない。ショートだと

「子供にしか見えない」

 

もともと毛が細く、癖もあり、雨の日などウネウネと酷いのだ。

まっすぐが好きなので、ヘアアイロンで必死にまっすぐにする。

一度、大枚はたいてストレートパーマをかけたのだが、一週間と持たなかった。

 

「くせ毛の人は、根元がそもそも歪んでいる」

 

根元がゆがんでいる・・・

コンポンが歪んでいる??

 

性格もそうだと言いたいのだな!!

 

一人ボケ突っ込みしつつ、否定しない。

 

話が逸れた。

とにかくシャギーの入ったセミロング。髪は全て自分で切っている。

最近でこそオットに

 

「後ろの一番下のラインだけ切って頂戴」

と頼むが、彼はもっと切りたいようでいつも

「ダメ」

とワタシに叱られる。

 

仕事を辞めてからの身なりの構わなさは、目を覆うほどである。

 

みっこさんに初めて会った日など、オバの怪我だの入院だのでくたびれ果てていて、マスクにひっつめ髪という

「ただの薄汚れたババア」

であった。

化粧などするはずもない。病棟はマスク着用であったし。

マスクに慣れると

「化粧しなくていいし、顔隠せるし、メガネで変装できるし、こりゃいいわ」

と益々ダラシナクなるのであった。

 

髪だけでもきちんとしていると、ずいぶん印象も違うと思うのだが、昨年来、悲しい事情で自分ではどうにもできなくなってきた。


肩が痛くて腕が上がらず、

「髪結えない・・・」

ドライヤーも

「こっち側しかかけられない」


最近ナンボか良くなってきたが、まだ途上である。

盛岡に行くのに、ナンボなんでも髪を整え、化粧もしたのだが実に久しぶりであった。


娘にそういう事を愚痴ると

「髪切ってあげようか」

と言われる。

美容師でもなんでもないのだが、娘も何故か

「髪は自分で切る」

人なのだ。


短めのワンレンである。


高校から大学までは、ずいぶん長かった。成人式後にバッサリと切った。

で、現在もそのままである。


自分で切るのは

「頭いじられたくないんだよね」

という理由で、それはワタシも同じだ。


 

今回娘に切ってもらおうと思ったのは

「とにかく肩が」

「治るまで短くした方が良いんじゃない」

「・・・」

「大丈夫だから」

 

「んじゃ、こんなイメージでお願い♡」

 

 


 

(^▽^;) ちょっと・・・無理じゃね????

 

「切るよー」


 

で、こうなった。

 

 


 

 


 

・・・(-_\)(/_-)三( ゚Д゚)・・・


 

問題はワタシの歳と顔に尽きる・・・

で、アイロンで髪を整えてくれながら色々薀蓄を語る娘。


「アイロンのかけ方ひとつでだいぶ違うよ」

「アンタはずいぶんツヤツヤしてるけど、何かつけてるの?」

「つけてないよ。あのね、こうやって・・・」

と実演する。

「ちょっと触ってみ」


触る。


「髪がしっとりして、水蒸気上がる感じワカル?」


「あー、ワカル」


「この時にこうやって・・・キューティクルを伸ばしてやるといいんだよ」


なんだかよく解らぬが、とにかくキューティクルは大事だそうだよ、皆様。


で、

「可愛くなった」

「若返った」

「能年ちゃんみたい」

などとは、相成らぬのは当然であり、髪が短いとシャンプーも楽だねぇ♪。

それが一番の感想である。