終療したのに |  お転婆山姥今日もゆく

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 人間未満の山姥です。
 早く人間になりたい。

本来であれば、退院後2回目の診察で通院も終了だったのだが、その2回目の前に脂っこいものを食べてお腹が下ったと告げたところ、

「もう一度来てください」

と2月14日の予約となった。

 

バレンタインデーだなぁ・・・と妄想する。

この日が最後になるだろうから、先生に何かお礼をしたいなぁ・・・でも、そういう心づけは規則上ダメだろうなぁ・・・でもなぁ・・・せめてお礼の言葉を・・・でもなぁ・・・患者さんが次々控えている忙しい診察時間に、こちらの都合で関係ない話をしてはご迷惑だろうしなぁ・・・・。

 

私は何をしに病院へ行くのだろうと、正気に戻った。

 

その診察を数日後に控えたある日、急に右わき腹が痛くなった。

右の背中も痛い。これは、何だ?何の痛みだ?

背中は忘れもしない、帯状疱疹の痛みである。

痛みはしばらく残ることが多いそうだが、唐突だった。

それよりも、右わき腹だ。

今回の手術で、私のお腹には新たに4つの傷痕が付いた。

みぞおちの上に2センチ、お臍の窪みのすぐ上に2.5センチ、右肋骨の下から5センチほどお腹側にも1センチ、同じ肋骨下、お臍からほぼ水平、丁度くびれが出来るあたりに1センチである。その肋骨下の傷と傷の間の腹部が痛いのだ。

 

術後、私はメスを入れたところはほぼ痛まずにいたので、今更そこら辺が痛むのは意外だった。

摘出された臓器があったあたりでもある。

「接合部の・・・」

なんて、「術後に心配される事例」を思い出す。

 

いやいやいやいや、そんなことは無い。

食べたものを振り返るが、特段変わったものはない。

そもそもこれは患部の痛みなのだろうか、帯状疱疹後神経痛だろうか。

どちらともわかりかねるのであった。

 

診察当日。

先生はいつもと変わらず穏やかである。が、そのタイミングでまた痛みが来た。

 

「いかがですか?」

「実は・・・数日前に…」

こういう痛みがあった、と話し、

「今現在、痛いんです」

 

先生は意外そうな顔になった。

診察台に横になるように言われ、触診される。

 

「おそらく蠕動痛と思いますが、前回の痛みはどのくらい続きました?」

「数分でしたが、忘れたころにまた痛かったりしました」

「臓器には、悪いものはなかったので、心配ないと思いますが・・・」

 

術後、何度尋ねられても

「痛い」と言わなかった(痛くなかったし)私が、今頃になって言うものだから、先生も複雑な顔をしていた。

結局3月7日にまた来るように言われ、念のためにと

「ブスコパン」を処方された。

 

そして7日。

痛みはその後起きず、この日で

「終療」

となった。

 

先生に改めてお礼を言ったものの、なかなか気の利いたことが言えず、ただただ頭を下げて帰宅した。

 

思い起こせば発病した11月から4か月も過ぎている。手術からも3か月だ。時間の速さが恐ろしい。

何だかその日は気が抜けてしまって、やたらとあくびが出て、欲も得もなくベッドに潜り込んだ。

 

すっかり春の気配で、日常が戻った途端、前記事の通り私は手首を怪我して、1週間後また外科に行ったのであった。

受け付けは一番で、外科外来の待合に座っていたら、診察時間開始前に先生が私の横を通り、

「えっ?」

という顔をした。

 

ペコリと頭を下げた。

 

受付時に看護師さんに事情を説明していたのであるが、この日の先生は予約診療がメインなので、時間がかかると言われていた。

が、先生がまもなく出てきて、診察室ではなく、そのまま私の横に座って手首の腫れと痛みの様子を診てくださり、すぐにレントゲンを撮るように言われた。

 

出来上がった写真を先生は何度もくまなく見ていたが、骨に異状はなく、痛みや腫れが酷くなったり、痺れなどが起きるようになったら次は整形を受診するように言われた。

私が思った通りで、あいにく整形外科は昨年末で常勤医が辞めてしまい、週一、金曜日だけ医大から医師が来るとの話である。

 

そこで世話になることは無いだろうと思い、腫れも引いて来て、痛みはまだかなりあるが、家事炊事はいつも通りできるようになった。

未練たらしく思われたのではないか・・・と懊悩しつつ、先生は身なり構わないタイプのようで、髪が伸びてぼさぼさしているし、無精ひげも相変わらずマスクの隙から見えている。

忙しいんだろうな・・・と案じつつ、この人は医療に専心しているのだと、改めて敬服するのであった。