伯父の命日 |  お転婆山姥今日もゆく

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 人間未満の山姥です。
 早く人間になりたい。

伯父伯母も、父母も、よく夢に出てくる。

いつも、遠い昔に住んでいた古い家と庭、その後親元に戻り住んだ狭くて小さい陰鬱な家とともにである。

 

今朝は、伯母の夢を見た。

 

彼女はもう亡くなる間際の様子で、私は彼女に感謝と、大好きだ、幸せだったと思いを伝えていた。

もう意識がないはずの伯母の顔がほころんで、私の思いに応えてくれた夢だった。

目覚めたあと、握った手の温かさもまだ残っている。

その夢は、2年前、彼女が逝く前の情景と重なる。

 

伯父が3.11の大震災が起きた夜に、心臓発作を起こし、5日後の3月16日に亡くなって12年になる今日。

あの時のICUの様子は、今も鮮やかに蘇る。

職場に連絡が来て、自家発電でやっと最低限の医療を維持している病院の階段を駆け上がった。

伯父の最後は私と私の息子が看取った。

 

もう、この人と別れなければならない・・・余震とは思えぬ激しい揺れが繰り返し起こる中ではあったが、私は怖いと思うことは無かった。意識がなくても、私も守り育ててくれた伯父がそこにいるのだもの。

 

今朝の夢と同じように、私はもう意識のない伯父に、感謝を伝え続けていた。

 

時は過ぎ、同じ病棟の端に私はこの前入院し、手術を受けて回復し、退院した。

いちいち意味づけをする気はないが、私はこの年になっても、彼らに慈しんでもらった歳月とともにあるのだと、改めて感動を覚えている。

 

春になると思い出す情景がある。

暖かい休日は、いつも私を自転車の後ろに乗せ、ゆっくり走って散歩に連れて行ってくれるのだった。

 

屋敷の門を出るとき、必ず私に聞く。

 

「たーちゃん、今日はどっちに行く?」

 

私は、その時の気分で、右や左を指差し、伯父は

「よーし」

と漕ぎ出すのだった。

 

幼い私の写真を、たくさん撮って遺してくれたのも伯父だった。

伯母と一緒の写真がとても多い。好きな写真ばかりで、伯父がカメラ越しに温かく見つめていてくれたことを感じる。

 

     

暮らしのいちいちに、彼らの姿がよみがえる。

傍にいるのだ、と、いつも感じる。