ポリアンナ症候群 | オタントニオのブログ

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趣味は車、レース観戦、ラノベ、アニメ、小説、ゲームなど。発達障害当事者で、当初ADHDだと思われていたが後になって「特定不能の広汎性発達障害」と判明。

というものがあるらしい。

ポリアンナ症候群は、直面した問題に含まれる微細な良い面だけを見て、負の側面から目を逸らすことにより、現実逃避的な自己満足に陥る心的症状のことである。これは、楽天主義の負の側面を表し、現実逃避の一種とされている(出典)。医学用語ではなく、心理学用語として使用されているため、WHOのICD-10などの診断基準には含まれていない(出典)。ポリアンナ症候群は、「なんとかなる」といった無根拠な自信を持ち、現実を直視できない状態を指す(出典)。

現実を直視しているか否かは自分ではわからないが、今の僕はその気質が色濃くある。

 

だいたい周囲の人よりポジティブだし、周囲の人が失敗だと言っていても、得られたものがあるじゃないか、と思って失敗という表現にピンとこないことがよくある。

朝起きたら幸せなことを30個くらいはスラスラ言える。今日も親指から小指まで動く(これで5個!)、そして手首が動く、肩が動く、目がちゃんと見える、立てる、歩ける…なんて調子だ。

そして、今大病を患ったとしても、辛いとかよりも「この病気の経験を積めた!」「病気繋がりで素晴らしい出会いがあるはずだ!」という方向に考え、自分の持つものに満足だと主張するような気がする。

悩む時間なんか必要ない、さっさと考えて次の手を打てばいい、とも思う。

 

まア、自分でも気づいているがポジティブが行き過ぎになっている感はある。

病気になるのはならないよりは当然嫌だが、ポジティブな側面を見て気持ちを上書きする。

 

10年前にうつ病になったときは、おそらく今より全然ネガティブだった。

そこから社会復帰して、障害手帳があったにも関わらず自分の意思で返納し、2回転職し、あらゆる面でステップアップしてきた。

平気かと言われれば、そんなわけもなく、本当に平気なら最初からうつにならずカッ飛ばしてるはずである。

 

僕は本来怒りっぽくせっかちな気質で、言葉に敏感である。

小学校時代、筆記試験の「答えましょう」という文調が「答えなさい」に変わっただけで不愉快だからテストを受けないと騒いだくらい、人の使う言葉にうるさく、失礼だろ!とか言いそうになってしまう。

そんな気質を隠して、いつもニコニコ人の話を何でも受け入れて「いいじゃん!」「ワクワクするね!」と言えるような自分像を後から作り上げた面はある。

それでも障害者雇用ではお金が心許なくて、もっと稼ぐためにかなり無理なペースで社会に適応してガンガン挑戦を続けてきたという自負はある。

 

自分ならできると信じたり、ポジティブにならないと先へは進めなかった。

そんなこんなで、10年間、ポジティブに突き進んだ結果、今の僕は悩んだり不安になったりする感覚が抜け落ちていて、完全にポリアンナ症候群を患っていると言ってもよい状態である。

 

この状態で自分自身はそこそこ調子がいいわけだが、周囲の人は自分ほどポジティブじゃないので、狙ったような関係性に繋がりにくい。

周囲の人を居心地よくするには、周囲の人が不安に感じている僕にはピンとこないものに共感するとか、自分をさらに偽る必要がある。

自分のようにポジティブであってほしい、そうすればラクだから。

けど、もっと多くを望もうという姿勢はうらやましい。自分は現状に満足している。

 

という風に書き出したところで、自分自身はそこそこ調子がいいという自覚も少し疑問である。

体力はあると信じているが、突然対策不能な急激な眠気に襲われたり、休むと言って起き上がれなくなったりするので、無理はしているような気がする。

まア、大人なら誰しもそんなもんだろう、とそれもポジティブに考えてしまう。

 

そんなこんなで、このポジティブさのままでいいのかと思ったのが先週末のことである。

色々調べていたら、以下の記事に辿り着いた。

 

 

サッカーの本田圭佑を例にして、ポジティブ思考に疑問を投げかけている記事だった。

 

僕は本田のことは本田自身にしかわからないと思うが、「メンタルの上げ方として彼のやり方はレアなケース」というところで疑問を持った。

え、こういう考え方ってレアなの?僕にとっては普通なんだけど、という感じ。

 

ちなみに、僕のポジティブ思考に影響を与えた人は、本田圭佑ではなく佐藤琢磨だと思う。

彼をずっと応援していて、F1時代めっちゃ成績の悪い年があったが、その年も常にポジティブな発言だった。

ファンでさえ来年のシートは厳しそうと思う状況なのに、本人は来年もあると信じて次のレースに取り組んでるように見えた。

内心はどうかわからない。けど、表面的にはものすごく自信のあるポジティブな状態に見えた。

 

苦節十数年、インディ500を制してようやくトップドライバーだと認められた佐藤琢磨であるが、思い通りいかないときもポジティブに考えることは彼から学んだ。

けど、彼もインディ500を制した年にスキャンダルに遭い、自分に弱さがあって過ちを犯してしまったと認めていた。

そもそも、そこまで上り詰める人が問題から逃げるわけがない。彼はポジティブな言葉の裏で、しっかりと歯を食いしばっていたはずだ。

そして世界は違うが僕も、何歳になっても自己ベストを更新し続けたいほうで、心の底では現状に満足しているわけではない。

 

だから僕もそろそろポリアンナであるという弱さが露呈して認めるときかもしれない。

 

正直、発達障害だと言われたときと同じくらい、ポリアンナの症状を読むと今の自分に見事に当てはまっている。

繰り返し言うが、僕は本来せっかちで怒りっぽい人間である。

思い通りにならなかったら怒りやすいし、大人になってからは極力表に出さず1人の時間にストレス発散している。

その場ではアンガーマネジメントに務めていて、「ま、ここで怒っても損するだけだ」「たぶん相手はいいことを期待してそう言ってるんだ、いい風に受け取って尊敬しよう」などと、そういう思考の癖を何年も積み重ねてきた結果、人に何を言われても気にならなくなった、いや、気になるけど蓋をするようになった。

 

とはいえ、元のせっかちで怒りっぽい自分を素で出せばいいかというと違う気がする。

どうするかはこれから考えることだ。

 

まずは、なんでもポジティブに捉えてしまうフィルターを少し外していきたい。

なんとなく数学をやっていればネガティブ思考というかギャップ思考になっていく気がする。

というのも、周りの数学をやっている人は飽くなき探究ができる人ばかりで、現状に満足していない。

そこにヒントを感じるし、しっかり数学を学びたい折ではあった。

 

だから、数学問題集を買って問題を解いてみた。面白い。

学生のときは、この数学を使っていい大学に行かないといけないってプレッシャーがあって向き合うのが嫌になっていたが、今はそういうのがないので純粋に問題を解くのが楽しい。

最初は解けないけど自分ならどう解くかを考えているとそのうち解けるようになるのがよい。