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先日Twitterのタイムラインで、発達障害は30代で楽になると聞いたが本当ですか?という20代のツイートと、それに対する多数の反応を見かけた。
そのときは何か考える余裕はなかったが、それからずっと脳裏に残っていることなので、今noteで考えてみる。
個人的な回答は、楽になった。間違いなく。
しかし、それは個人的にたまたまそうなだけなので、20代以前のほうが楽な人、30代以降も楽にならない人、もっと後で発達障害が判明する人、千差万別だと思う。一般論として話すわけではないことを事前に断っておきたい。
それでは、僕が30代で楽になったと感じる理由をいくつか挙げていく。
20代以前は、日々叱られていた。親にも先生にも上司にも、時には同級生や年下にさえ。いじめてくるパターンもあった。
見た目がみんなとそんなに違わないのだから、みんなと同じことを普通にできるはずだと期待され続けたからだろう。えっ、これができない?そんな馬鹿な、叩き込んでやろう、と。
ちなみに、僕の発達障害はASDで、苦手とすることはたくさんあるが、片付けられない、よく物を無くす、道に迷う、何かに集中していると周囲の出来事に気づけない、トイレ後にズボンのチャックを閉められない、などがある。通知表の成績も1か2か5しかないタイプである(たぶん1と2のほうが多かった)。
叱られることが生きづらいというより、対応が多くて忙しいって感じだった。10年も20年も直そうとして、それでも直らなかったことなのに、またここで努力献身を見せなきゃならない。もっと得意なことに時間を使いたい、みたいな。
ところが、どうやら多くの人は20代か30代以上かで態度を変えるらしい。30代になると叱られなくなり、かわりに無関心を食らうようになった。役に立たないなと思った時点でスッと離れていくのだ。
おかげで、それでも残った人は本当に近くにいてほしい人ばかりだったので、明らかに生きやすくなった。
スキルアップを怠ればその人たちも離れていくというプレッシャーはあるが、無駄な努力を繰り返していた非生産的な時代を抜けて、得意磨きに身が入るようになった。
僕は人と話すのが大嫌いだった。相手の反応が想像と違いすぎたり、さっぱり予測できなかったからである。
でも、30代になると、今までに話した人たちがいつの間にかカテゴリ分けされてて、初めて会う人でも二言三言話すとあぁ、あのときのあの人と同じタイプだなって脳が解釈して、あの人と同じパターンで話そうとなり始めた。
そんな感じで話し方がパターン化されると、だんだん人と話すのに抵抗がなくなった。
その最たるものが、初めて彼女ができたことだと思う。29歳のときだったが、僕にとっては最早のタイミングだった。それ以前の対人能力で交際ができたとはとても思えない。そして、その出会いは本当にラッキーだった。
要は自分のペースがあるということである。今無い経験もまだ無くてよい、人と比べなくてもよい、純粋にできると感じたタイミングで取りにいけばよいのである。
紛失に関しても、紛失したときの初動を熟知していたり、片付けも妻ならこう仕舞うを全部記憶したり、大きな箱に全部放り込むなどの自分なりの着地点を見つけたことで徐々に対処可能になった。
先述の話し方の改善により、どうしても無理なことは人を頼れるようにもなった。
これはたぶんかなり少数派感覚だろうが、僕の体力のピークは30代でやってきた。いや、むしろ40代以降に更新していきたいくらいに思っている。
なぜなら、1日のほとんどを物を探したり、苦手なことの対処に追われたり、疲れてダウンしていたような時代が終わり、驚くべきことにきちんと食事を摂れて、運動に時間を充てられるようになったのである。
ちなみに学生時代は、体育の日に体操服を忘れず持っていくことが難しかったし、運動部に入るなんてどころじゃなかった。あと、31歳までは、常に何らかの疾患を抱えていた。
その時代が終わって体力がつき、1日の活動量が増えて生きやすくなったというわけである。
ちなみに、高校生のときの体力を上回ったことは数字でも証明された。
もしかしたら他にもあるかもしれないが、眠くなったのでこの辺にしておこう。思いついたら、また追記予定。
今日、ハーフマラソンを2時間29分08秒で完走した。タイム自体は平凡なものだが、7年半前に100m歩くのが目標だったと思うと、果てしない道のりを経て、大復活を果たしたように思う。
しかも、19km地点通過時のタイムは2時間15分フラットだったが、これは高校2年時の学年マラソンで記録した19kmのタイムより14分も早かった。つまり34歳で高校2年のときより元気になれたのである。
さて、まずはなぜ最初100mが目標だったのかを話そう。
2014年1月、僕はうつ病の診断で会社を休職し、実家のこたつで毎日横になっていた。
うつ病は脳の機能障害なので、症状は千差万別、感情の障害に表れる人もいれば身体障害が出る人もいる。僕は身体に出るタイプだった。極度の食欲不振で食事ができない状況が5ヶ月も続き、満足に歩けなくなったのである。
母親が3食こたつにお盆で運んでくれるのを食べるだけで、あとはずっと寝る日々。というか、それもまともに食べられず。玄関の廊下にトイレがあって、そこまで這って行くのが精一杯の体調だった。
でも、仕事のストレスから遠ざかったおかげか、やがて復調してきた。そこで立てた目標が、冒頭の100m歩くだった。
玄関を出て、まずは100m。出来たから次の日は200m。これを地道に積み重ねるのが、当時の治療だった。小さなことから一歩一歩。頭ではわかっていても、そのもどかしさは並大抵ではない。半年で5kmにまで増えた頃に復職。断薬には3年かかった。
その後、咳喘息を患ってしまいランニングのような運動は止められていたが、逆にお勧めされた水泳を始め、そして咳喘息が寛解する一方コロナでプールに行きづらくなるという経緯で、ランニングに興味を持ち始めた。
そして今年3月、Apple Watchの心肺アラートをきっかけに、満を持してランニングを始めた。移動手段以外で走るのは実に17年ぶり。それから10月に至るまで成長を続け、10月23日、TMFのオンラインハーフマラソンに出場した。
ハーフマラソンに出た目的は、実はトレーニングの成果を確かめること以外にもう1つあった。
僕は50m走で10秒を切ったのは小学6年生。当然、運動会の徒競走は毎年ビリ。小5のとき、悔しくて腕を振り上げながら走り、見に来ていた両親に恥ずかしいと叱られたのはよく覚えている。学年マラソンでも中学までは大体ビリ争いだった。
しかし、高校生になると19kmという距離の長さもあってか、一部のガチ勢と多数の真面目に走らない者という構図になり、その恩恵を得て高2で初めて半分より上の順位でフィニッシュした。
そして、意外と走れるんじゃないかと思った俺は、高3の大会でガチ勢に加わることを思いついた。それも、体育の授業の練習はわざと遅く走って、夜の峠を毎日走り込み、本番でいきなり速いというサプライズを決行するつもりだった。
19kmのタイムは高1で2時間46分、高2で2時間29分だったが、高3の目標は2時間切りだった。
ところが、肝心の本番前日に台風が直撃。マラソンコースへの倒木で、本番は中止になり、結局サプライズを起こせぬまま高校生活が終わってしまった。
足が速い自分を同級生みんなに見せつけたかったことよりも、自分の中でコンプレックスを晴らすための計画が未完に終わったことの方がずっと大きく引っかかっていた。2004年の俺は果たしてどれくらい速かったのか。本番中止だろうが1人で19km走ってでもそれを確かめるべきだったが、それは当時の怠慢でやらなかった。
だから、鍛え直していつかもう一度高校最後のマラソンを走るまで、消えないコンプレックスとなった。社会に出てからは忙しさやうつ、咳喘息などでずっと後回しになっていた。
2021年10月23日(土) 晴れ 気温16度
この日が俺にとってもう一度19kmを走る初めての日となった。それも19kmを上回るハーフマラソン。個人的限界への挑戦である。
リベンジに相応しい秋晴れだったが、体調は悪かった。前日の夜、早く寝たが、腹痛で何度も起きてトイレに駆け込んだ。プロジェクト異動の心労があったり、一昨日まで生活リズムが乱れていて午前4時まで起きていたのが災いしたと思う。
もし、2004年のコンプレックスがなければ、昼からの育児もあるしと思って棄権してたと思う。でも、高校最後のマラソン大会に次はもう無いし、天候事情ならともかく、自分の都合で走らないのは自分で許せないなと。単なるワガママだが、思うようなタイムが出なくても最後まで走り抜くことを決意した。
ふくらはぎにはサポーター、そしてランニングタイツを履いて怪我防止に務めたが、靴だけは普通のウォーキングシューズで走ることにした。2004年の自分なら、高い靴を履いてタイムを上げようなんて考えず、地力で走るだろうと思い。
あと、給水地点は無いしカロリー面も不安だったので、おにぎり3個とペットボトル1本を替えのシャツで腰に巻きつけて臨んだ。汗対策でタオルも持った。日焼け止めは塗り忘れた。
そして、午前9時過ぎにスタート。最初は今お気に入りの音楽を聴きながら走っていたが、やがて「これは僕にとっては高校最後のマラソンなんだ」と思うと、気持ちが2004年に戻った。
大袈裟かもしれないがマジな話で、走ってる間、周りのランナーは同級生だと思っていたし、東京の電通大(当時の第一志望大学)に行ったらこいつらとはさようならだな、とか割と真剣に考えていた。
体調を心配したのは最初の2kmまでで、その後は16km地点までペース管理を心がけながら無心で走り続けた。おにぎりは5km地点で全部食った。そのあと脇腹が痛くなるがこれも勉強と押さえながら走った。
意外と行ける!と思っていた17km地点で異変は起きた。いくら走っても、次の地点が見えてこないのである。タイムは1分/kmほど落ちたが、体感ではそれより遥かに長く感じた。頭では相変わらず、今17歳だから17km地点が長いのか…!と、安直なことを考えていたが。
最後の数kmがとにかく長く、足も徐々に痛くなり始め、19km地点で2時間15分フラット。そこで初めて、ハーフマラソンが20.1kmではなく21.1kmだと気づいた。後1kmだと思っていたのに2kmある。貯金を残していたつもりが、最低限の目標だった2時間30分さえ怪しいような状況に追い込まれていた。
しかしペースを上げるとすぐ脈拍180/分に達する。この脈拍数を超えると一気に体力を持っていかれるので、スレスレのバランスでラストスパートをかけ続けていた。
最終的なゴールタイムは2時間29分08秒。高3のときの目標は19km2時間切りだったから、ハーフマラソンに換算すると2時間13分14秒、それは今回未達に終わったが、冒頭に書いたように高2のときよりぜんぜん速いので、コンプレックス解消に必要な最低限の水準は上回ったと思う。
そして、高校最後のマラソン大会がこれでやっと終わったという感動、そして2014年に100mしか歩けなかった日々からは想像もできないチャレンジを終えたという気持ちになった。
もはや、うつ病だったから体力が無いなんて全く思わない、それどころかうつ病だったおかげで今の体力があるくらいに思っている。
でも、ランニングの挑戦はまだまだ続けたい。人と比べてどうこうはあまり意識したくないが、ハーフマラソンには何度か出て2時間13分14秒という真の目標タイムをクリアしたいし、数年後にはホノルルマラソンのような大会でフルマラソンを完走してみたいと思う。
※ 素人発想メニューであったり、無理なく続けられる程度だったり、個人差もあるので、参考というよりただの個人的な日記です。
30代男性、元々のVO2maxは34.0だった。
3月5日にランニングを始め、最初は
・週末に10km走る
・平日は坂道ダッシュやマンション階段上り下りを日替わりでする
これを実践し、VO2maxは2週間で36.3まで上がったが、ここで両膝を痛めてしまった。
筋肉痛だろうと思っていたが、半月も治らず、整骨院で挫傷という診断を受けてしまった。
走った後のストレッチが大事というのを初めて知った。
そこから脚を徐々に強くしていくため、
・走るのは2日に1回か、3日に1回
・こちらのメニューで走行後ストレッチする
・月1回の10kmマラソン以外の日は、2km程度に抑える。距離は少しずつ伸ばす
・休息日はスクワットやランジなどの筋力トレーニングを行う
これらを心がけることにし、5月1日にVO2maxが40.0まで到達した。
しかし、そこから3ヶ月は40で横ばい。
気温が暑くなったのも影響してたと思うが、この頃は距離を5km→6km→7kmとひたすら増やしていて、7月には毎日10km走れるくらいになっていた。
数字には表れていないが、脚は十分強くなった!あとは速く走れば負荷が上がるはず!
なんて思ってた矢先に、2度目の挫傷。
再びメニューを考え直した。
・2〜3日に1回、2km+1kmを全力で走る
・走行後ストレッチはこちらのメニューに変える
・休息日は全身の筋トレをする
すると短時間でメキメキ効果が現れ、涼しくなったのも影響して、42.9まで上がったので最後の追い込み。
・2〜3日に1回、インターバル走(6分走→2分歩→5分走→2分歩→4分走→…と1分ずつ減らしていく)をする
これで43.6まで上がった。
まだまだ伸びしろを感じるので、これからも続けようと思う。目標ラインは52.0。
今後しばらくインターバル走のやり方を距離で区切るとか、歩くのを軽いジョグに変えるなど、色々工夫していこうと思う。
仕事がフルリモートになって早1年半。僕自身は入社した2018年からずっと週1以上でリモートワークしてたので、もう3年くらい…いや、2010〜2012年の前職時代にもサテライトオフィス型のリモートワークをしていたので、それ以上か。
それくらいになると、もう同僚に相談したりDMを送る程度の心理的障壁はほぼゼロである。
しかし今週、なんとなく入社2年目の同僚に聞いてみたら、彼はオンラインでの相談は障壁しかないという回答だった。その理由を言葉で引き出すまでには至らなかったが。
僕自身には障壁がないので、寄り添って共感することは出来ないが、どうすれば彼の障壁がなくなるのか?とか、逆に自分はなぜ障壁を感じないのかを、できる範囲で考察したい。
予想の1つは、「初歩的な相談をしたら悪い評価に繋がるんじゃないか」という怖れの可能性である。
これはリモートじゃなくてもありがちなことだが、リモートの場合は対面で深く知り合う機会とかなんとなくその場に一緒にいるみたいなことが大幅に減るので、周りがフォローしてくれないからより一層「ちゃんとしなきゃ」となりそうである。
大前提として、彼について無知無能だとは全く思わない。むしろ僕の方から相談して助けてもらうことも少なからずあるし、確かに経験年数はこちらの方が長いが、僕にとってみれば先輩だろうが後輩だろうが、誰とでも上位下位の関係ではなく、足りないものを埋め合う関係性だと認識している。
また、自分が無知・無能だと思われる怖れもほとんど感じていない。自分の出せる価値は自分が一番よく知っている。
だから僕の場合、初歩的な相談でもお構いなしでするし、何か書くときの「読んだ人にバカだと思われるかも」みたいな抵抗感も一切無い。唯一気を付けているのは、嘘の情報を人に教えないことである。
正しい裏付けがあることはどんどん発信したほうが、チーム全体に知識の定着を促進し、好奇心を触発し、自分の得意苦手をより正確に知ってもらうことにも繋がる。
また、現役の発信者のレベルが低いと思ってもらえた方が、高いと思われるより、「私もやってみたい」と思ってくれる率は間違いなく上がるので、いいことづくめである。
ところが彼の場合、そういう状態じゃないかもしれない。2年目で、まだ自分の価値を周りに認めてもらおうと思っている最中で、一時的にでもそれが落ちることを怖れているのかも、と。
ちなみに、僕は相談を受ける側に立っても、相談で人を悪く評価することはほぼ無い。そもそも交流が楽しいので、そのきっかけを作ってくれる人には感謝第一だし、その上で知ってることなら「そうそう、こうなんだよね」(復習)、知らないことなら「僕も知らなかった!」とか「一緒に調べてみよう!」(習得)と、どっちに転んでも自分にとって有益なので、その瞬間を楽しんでいる。
でも、時間は有限なので、相談対応をサクッと終わらせたり待たせたりすることは残念ながらあると思う。それはもう、相談者側ではなくこちら側の都合である。
次の予想が、忙しい相手に相談して嫌がられるとか、言葉遣いを間違って怒らせるとか、そういう相手からの印象が下がる怖れの可能性である。
この感覚は僕も持っているし、毎回気をつけて人と接しているつもりで、メールの文面も時間あるときは神経症のように何十回も読み返す。相手の手元にいつまでも残る物には、それくらい気をつけた方がよいと知っている。
だが一方、僕は3歩で忘れるトリ頭の持ち主で、それがうまく作用して心理的障壁を下げていると思う。
送信して次の作業に取り掛かると、たちまち何もかも忘れて次のことに没頭してしまう。だからSNSで既読や返信を気にしたこともほとんどない。意中の相手に振り向いて欲しい!みたいなドッキドキの送信時でさえ、5分後には送ったことさえ忘れている性質だ。
だからこそ、嫌われる不安が瞬間的に発生したとしても生理的に持続しないため、毎回ニュートラルな心理状態で誰にでもDMを送れてしまうのだ。
また、ASDという発達障害があるため、第一印象は良くても徐々に相手が違和感を感じて相手からの印象が下がる(こちらは飄々としていることが多い)というのは、往々によくあることだった。それが僕にとって人付き合いの自然現象なので、今ではすっかり慣れてしまい、一時的に相手からの印象が下がることには臆さなくなった。
自分のすべきことを誠心誠意ドロくさく続けていれば、そのうち相手から「この人はそういう人なんだな」って思われて、最終的にうまく相互補完の関係が出来上がると確信している。
また、やりとりの数が多くなればなるほど、ロードバランサ的に「こっちでは期待通りじゃなかったけど、こっちは上手くいった」と、トータルで1日の成果に満足してしまう節もある。
これについては、障壁を感じている彼の僕との違いは、「トリ頭じゃない」に尽きるのではないだろうか。複数の事柄の進捗をちゃんと把握し、常に向上心がある人なのであろう。これはこちらが見習いたい部分だ。
長々と書いたが、こちらの一方的な考察なので、どれくらい合ってるのかは彼から言葉で聞かないことにはわからない。
また、僕にとっても今ある程度経験を積んだ上での話なので、2年目の頃にどうだったかは実はあまり覚えていない。僕はサテライトオフィス型のリモートワークを始めた2010年が、ちょうど新卒2年目だった。その頃、確かに何かの障壁は感じていた気がする。でなければ今みたいにフレンドリーに本社へ電話して常に笑っていたはずである。
仮に上記考察が的を得ていたとして、自分にできる最善手は、僕自身が活発に交流している背中を見せ、また「意外と初歩的な話を時々している」「案外この人も抜けている」と思ってもらって、少しでも安心させることではないだろうか。後者は意識しなくても抜けてしまうのだが、完璧にできないからこそ人生は楽しい。それらは引き続き取り組んでいくつもりである。