前回の記事に沢山のコメント、有難う御座います。
諸事情にて、返信はもう少しだけ御待ち下さい。
さて、今回またもや出没したのは此方の言葉と意味を沢山の方々に知って貰いたく、再度投稿する為です。
(昨年9月にも書きました)
脱原発メッセージ集より 一部抜粋
https://sites.google.com/site/livingwithfukushima/literature/critics/yoshida
■支配の常套手段:
「不幸の均霑(きんてん)」プロパガンダ
このことの答えを求めて思いを巡らしていたとき、ある文章に出会い、そこに問題を解く鍵が書かれているのを発見した。以下に紹介する書評がそれである。
権力が民衆を支配するとき権力への怒りの矛先を民衆同士に向かわせ、民衆同士を分断し反目させることが常套手段であることは重々承知していた。
しかし、ここではそのことについてさらに掘り下げて、その支配を可能にする手法とそれを一旦受け入れた民衆の思考・行動について短い文章でありながらはっきりと説明してくれている。
お読みいただきたい。
どくしょ室
『戦争と日本人―テロリズムの子どもたちへ』
加藤陽子 佐高信著 角川学芸出版
近現代史に探る戦争への道
「テロリズムの子どもたちへ」という本書の副題について、著者の一人である加藤陽子はこう述べている。「現実に対する義憤や短慮によって、未熟なものたち―子どもが早まって事を起こし、その結果、本来は歴史が必要とした『大人』の死体が累々と横たわる風景があまりに多かった」
本書は「そのような『子ども』を生み出さない、産み落とさない社会を祈念して書かれた」という。逆に言えば、今の日本の状況が戦争前夜であったテロの時代に似てきたということであろう。
近代日本の歴史を振り返れば、暗殺された政治家にはある共通点がある。外交においては国際協調、内政においては議会重視を唱えた面々が実に多いのだ。排外主義に燃える目からすれば、国際協調や議会重視の姿勢は妥協や屈服と映りやすい。最近の例でいえば、尖閣諸島での中国漁船衝突事件をめぐる世論の反応がまさにそうだった。
こうした排外主義的ナショナリズムを自然発生的なものとみてはいけない。著者が言うように、「『子ども』たちが、権力者の思惑にかなり仕組まれた形の報道を受け、そこに乗っかってテロリストになっていく」構図を見抜く必要がある。
徴兵制研究の著作がある加藤は、「不幸の均霑(きんてん)」というキーワードを使い、近代日本国家が戦争遂行に合意を得ていったプロセスを説明している。わかりやすくいうと、「不幸を公平に分かち合う」と装うことで、国民の不満を吸収する手法だ。
たとえば、徴兵制の歴史は免役条項を外していった、ある意味「公平の歩み」であった、と加藤は言う。もちろん政府の狙いは兵力の拡大にあるのだが、本当のことを言うと国民の支持は得にくい。そこで政府は「特別扱いをなくし平等にする」というレトリックを全面に出した。そうすることで「何であいつらだけ兵役免除なんだ。ずるい」という大衆感情を巧妙に取り込んでいったのである。
このような手口は、現在猛威をふるっている既得権攻撃(公務員叩き、農家叩き、「在日」叩き等々)とまったく同じものだ。人々を分断し争わせるのは、国家が権利のはく奪を行おうとするする際の常とう手段であることを、私たちは歴史から学ぶ必要がある。
「国民の正当な要求を実現しうるシステムが機能不全に陥ると、国民に、本来見てはならない夢を擬似的に見せることで国民の支持を獲得しようとする政治勢力が現れないとも限らない」。加藤のこの指摘はすでに現実のものとなっている。
だからこそ、対談者の佐高信が力説するように“メディアの熱狂に踊らされず、自分の頭でじっくり考える資質″が求められている。本書からは、現在につなげて歴史をみる視点と発想を学びたい。 (I)
『週刊MDS』2011年5月20日第1182号
MDS新聞社発行
この本『戦争と日本人―テロリズムの子どもたちへ』は東京電力福島第一原子力発電所事故以前に書かれたものだが、事故後起きていることがらを何と正確に解き明かしていることだろうか。
権力が民衆に苦痛を受容させるとき正面からそれを要求したのでは反発を買い成功しない。
そこで、非常有事に権力は「不幸の均霑(きんてん)=不幸を公平に分かち合うこと」というレトリックを使ったプロパガンダを流す。
その途端に不思議なように民衆はそれを受け入れ、苦痛を強いる権力に対してではなくその苦痛を少しでも免れようとする同胞に怒りを向けるようになる。
太平洋戦争末期に「欲シガリマセン勝ツマデハ」「一億火ノ玉」「一億玉砕」などのスローガンが流布され、それに異を唱える者たちは「非国民」との罵りと排斥を受けたのが分かりやすい例だ。
■大手を振ってまかり通る
「不幸の均霑」プロパガンダ
放射線量が高い地域の農産品、畜産品、水産品を買わないようにする当然の消費行動を、国や福島県他の自治体や福島JA五連などは「風評被害」と呼び、マスメディアもその語を垂れ流して、被害者の怒りを見当違いの方向に向けて煽り、一方消費者たちに理不尽な罪責感、加害者意識を植え付けている。
正に「不幸の均霑」プロパガンダそのものである。
出来れば上記リンク先で全部読んで頂く事をお薦めします。