2026年2月のテーマ

「まとめ版・名作古典」

 

第三回は、

「超訳 自省録(エッセンシャル版)」

マルクス・アウレリウス 作、佐藤けんいち 編訳、

株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン、2021年発行

 

 

です。

 

ローマ帝国において善政をしき繁栄をもたらした皇帝、いわゆる五賢帝最後の皇帝であるマルクス・アウレリウス・アントニヌスの書いた心の記録です。

マルクス・アウレリウス・アントニヌスという皇帝は非常に仕事熱心でまじめ。ストア派の哲学者でもあり、哲人皇帝とも呼ばれています。

彼の書いた「自省録」は誰かに読ませるためのものではなく、自分自身を励ましたり戒めたりするために書いた自問自答の記録ですが、ストア派哲学の教えが存分に含まれており、その内容は我々日本人になじみのある仏教や禅の思想にも通じるところがあります。

「超訳 自省録(エッセンシャル版)」は、そんな「自省録」の中から現代人の心に響く言葉の数々をピックアップし、内容別に集約したものです。

 

基本的に原典主義の私からすると、エッセンスを抜き出して並べ替えてあるというのは形として好きではないのですが、原典がそもそも人に読ませるためのものではないのに後世の人々が彼の言葉を勝手に読んで自らの手本としているわけなので、大勢が活用しやすく編集するのは理にかなっていると思います。

 

この本は、「自省録」がどういった本なのか、マルクス・アウレリウス・アントニヌスがどういう人だったか、ということをはじめに説明してあって、その後に以下のようなテーマに分けて彼の言葉をピックアップしています。

 

Ⅰ. 「いま」を生きよ

Ⅱ. 運命を愛せ

Ⅲ. 精神を強く保て

Ⅳ. 思い込みを捨てよ

Ⅴ. 人の助けを求めよ

Ⅵ. 他人に振り回されるな

Ⅶ. 毎日を人生最後の日として過ごせ

Ⅷ. 自分の道をまっすぐに進め

Ⅸ. 死を想え

 

五賢帝時代はローマ帝国が繁栄した時代ではありますが、マルクス・アウレリウスが皇帝であったころにはその繁栄にも陰りがみえてきます。国のリーダーとして難しい判断を迫られることもたくさんあったでしょうし、まじめな性格ゆえにストレスフルな日々を送っていたことは想像に難くありません。

自問自答を繰り返し、書き綴ることはセラピーの役割を果たしていたとも現代では言われています。

書かれている言葉は平易で私の心にも響くものがたくさんありました。

取り上げられていた言葉のトピックを少しだけ挙げてみますね。

 

・コントロールできるのは現在だけだ

・いつも考えていることが精神をかたちづくる

・想像力が苦痛を増大させる

 

なんか、現代の心理学や自己啓発の本に書いてあるようなことではないですか。それを2000年前に考えて書いていたって、それだけでちょっと衝撃的で感動します。

この本は、以前に岡本太郎さんの「壁を破る言葉」についての記事で私が書いたように、ランダムに開いてそこに書いてある言葉に勇気をもらうというような読み方も効果的だと思います。

 

 

蛇足ですが、この本を読もうと思ったきっかけの話をば…。

 

映画「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリデイ」

2023年・コメディ/ヒューマンドラマ

 

で、堅物教師のハナム先生が授業の教材に使っていたのが、マルクス・アウレリウスの「自省録」でした。

映画では、1970年代アメリカの全寮制の学校でクリスマス休暇に事情があって学校に残らなければならない生徒と教師、職員たちの悲喜こもごもが描かれています。

ハナム先生は生徒たちに「自省録」を読ませますが、生徒からすれば哲学書なんてつまらないしお堅い授業は怠いばかり。

だけど先生は「自省録」は人生の指針になると信じていて、若者にこそ読んでほしいと願っています。

 

「自省録」は良い書物だというハナム先生の言葉に感化されて、軽く内容に触れられる本がないかと探していて見つけたのがこの「超訳 自省録(エッセンシャル版)」でした。

 

リーダーの心得が書いてあるかと思いきや、一人の人間としての訓戒が詰まっていて、しかも書いた人本人が悩んで自分を励ますために書いたのだと思うと、心理学のプロの先生が描いた本よりも私にはぐっときました。

「いま」を生きる私たちに必要な言葉がたくさん詰まっている本です。おすすめいたします。(*^▽^*)

2026年2月のテーマ

「まとめ版・名作古典」

 

第二回は、

「ドン・キホーテ」

セルバンテス 作、牛島信明 編訳、

岩波少年文庫、1987年発行、2000年新版発行

 

 

 

です。

 

上に貼ったPickは2000年に出た新版です。

表紙の絵はホセ・セグレーリュス『ドン・キホーテ』からとった絵だそうですが、この物語の主人公、ドン・キホーテのイメージがよく表れていると思います。ちなみに挿絵も同じ方の画だそうです。

あと、こちらも見てほしい。

 

 

これは、牛島信明さんが編訳する前の、岩波少年文庫の「ドン・キホーテ」。1951年ってありますからね。

表紙のデザインが全然違うけど、騎士と従者として旅をする二人の物語なので、この物語の表紙絵としては正統派って感じがします。

だけど、主人公のキャラクターこそがこの物語が人気であった要因だと思うので、私的には今の表紙絵の方が好きかな。

 

さて、作品の概要をば。

スペインのラ・マンチャ地方の郷士、アロンソ・キハーノが、大好きな騎士道物語を読みすぎて現実と物語の区別がつかなくなり自らを遍歴の騎士"ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ"と名乗って冒険の旅に出る物語。

近所に住む百姓のサンチョ・パンサを説得してお供にし、やせ馬のロシナンテにまたがって古い甲冑を身に着け、世の中の不正を正すと意気込んで旅に出たとき、ドン・キホーテは五十歳になろうとしていました。

騎士道物語の中に出てくるような怪物退治や麗しの姫君に愛と忠誠をささげるようなことは現実には起こりえないのですが、ドン・キホーテ視点ではそれも可能。次々と降りかかる剣で災厄をはらって…みたいなビジョンでごく普通の物事を普通でなくとらえて突っかかっていくので、トラブル続出なわけです。

初老のおじさんが妄想の冒険騎士物語を繰り広げる中世の滑稽本というところでしょうか。

 

ウィキペディア(2026年2月現在)によると、1605年に前編が、1615年に後編が出版され、発行部数5億冊で歴代の書物で1位だとか…。とにかくすごい人気作だったわけで、前編と後編の間に別の人物が勝手に「ドン・キホーテ」の続編(贋作)を出版してセルバンテスが後編で贋作について無関係であると主張したというエピソードもあります。(この件についてもウィキペディアに書いてあります。)

 

正直なところ、以前の私は、なんで「ドン・キホーテ」がそんなに人気があったのかピンと来てませんでした。

しかし、どうやら「ドン・キホーテ」は私が思っている以上に人気があったらしいと気づいたのです。

例えば、以前にある映画の中で初版本の収集家が「ドン・キホーテ」の初版本は価値があると言っているシーンを見たことがあり、なぜ「ドン・キホーテ」の初版本にプレミア価格がつくのか不思議に思ったことがありました。

また、スペインの画家、パブロ・ピカソが描いたドン・キホーテとサンチョ・パンサの絵を見たこともあります。

映画だか小説だかの登場人物が無謀な挑戦をする人のことをドン・キホーテに例えたりするのを見たこともあります。

そうなると、一度どんな話か読んでみたくなりました。

 

結果として、岩波少年文庫で読んでみたわけですが、読み終わっても私にはやっぱり面白さが分からなかった。

でも、解説を読んでちょっとそれが分かるような気がしたのです。

 

一つには、時代背景として、「騎士道物語」がたいそう流行っていた時に、それをまねる男の滑稽な話として出版されたそうなので、シンプルに面白かったのだと思います。

もう一つは、作者セルバンテスの生涯と重ね合わせて読むと、確かに味わい深い。

 

そして、私が面白く感じなかったのは、物語に起承転結や原因と結果、すっきりとした結末といったものを求めてしまっていたからだと思いました。

旅物語ならば、旅の目的があって、終着点が設定されているもの(「指輪物語」みたいなのを想像してもらうとわかりやすいと思います。)…という思い込みがあったので、それがないドン・キホーテの旅は私にとって座りの悪い椅子みたいに落ち着かないものでした。

滑稽な旅物語といえば十返舎一九「東海道中膝栗毛」なんかがありますが、旅の初めと終わりの地点が大体決まっていて、そこに到達するまでの過程で滑稽なドタバタ劇が起きるというお話です。この場合はドタバタ劇が面白くて読むものだと思うので、旅の終着点は「指輪物語」のようには重要ではない。

そういう意味では「ドン・キホーテ」は「東海道中膝栗毛」寄りの楽しみ方をされていた作品なのかもしれません。

けど、「ドン・キホーテ」には目的地もないわけで、さらに型から外れている気がしてとらえどころがありませんでした。

これは決して編集された訳者の方の問題ではなくて、そもそもの原作がドン・キホーテの巻き起こすトラブルの数々を楽しむものなんだと思います。

 

ちなみに、岩波少年文庫の「ドン・キホーテ」は、原作の前後編のメインストーリーの部分を凝縮して一つの旅にまとめた作品になっています。

原作では前後編でドン・キホーテは三回旅に出ており、メインのストーリーとは関係ない挿話もいくつもあるようです。

私のように物語に起承転結を求めてしまうタイプの方は、原作の完訳版で読んだらたぶん苦痛だと思います。

理想主義者で純粋で熱い男だが騎士の妄想にとらわれて突っ走るドン・キホーテと現実主義者で学はないけど生きる知恵を発揮するサンチョ・パンサはキャラクターとして対照的で、二人が抱えることになるトラブルには常に二通りのものの見方がされているような気がします。善悪がはっきりしておらず、白黒つけるというような内容ではない。

「ドン・キホーテ」は単なる滑稽な物語ではないという気がしてまいりました。

私の方が、本に追い付いていなかった…今はそんな気持ちです。

 

というわけで、ストーリーがあってないようなもの…に見える「ドン・キホーテ」。

私のように起承転結のある物語が好きな方には、凝縮版の方が向いていると思います。

お試しで読んでみたいという方にも同じく岩波少年文庫をおすすめします。

「ドン・キホーテ」の人気の要因が知りたいという方、ぜひともお試しあれ。おすすめいたします。(*^▽^*)

 

 

 

2026年2月のテーマ

「まとめ版・名作古典」

 

第一回は、

「やさしいダンテ<神曲>」

阿刀田高 作、

角川書店、2008年発行

 

 

です。

 

私が読んだのは、Pickの上の単行本の方。下の文庫版は装丁が違っててこれもいいですね。

ダンテ「神曲」といえば、西洋の地獄のイメージを確立した作品といっても過言ではないと思います。

中世以降ヨーロッパの宗教絵画に描かれる地獄の描写には「神曲<地獄篇>」に書かれていることをビジュアル化しているものがたくさんあります。

 

まず、ダンテと彼の作品「神曲」の概要からまいりたいと思います。

ダンテ・アリギエーリは13世紀~14世紀のフィレンツェ出身の詩人で哲学者で政治家です。

「神曲」は<地獄篇>・<煉獄篇>・<天国篇>の三部からなる長編叙事詩。作者のダンテ自身が古代ローマの詩人・ヴェルギリウスに導かれて死後の世界を巡る物語になっています。イタリア・トスカーナ語で書かれたイタリア文学の傑作だそうな。

 

そんなわけで、「神曲」は「ホメーロス」などと同様に物語ではあるけど詩なので、現代の日本人である我々には読みなれない形式の文学なのです。さらに、作者のダンテは詩人であると同時に哲学者で政治家という何足ものわらじを履いているので(表現として適切ではない気もしますがご容赦を。)、おそらくですが、そもそも難解な書物なのではないかと思います。(偏見です。)

 

今回おすすめする阿刀田高さんの「やさしいダンテ<神曲>」は、ただダンテの「神曲」を散文形式の物語としてまとめてあるという本ではなくて、日本人が読んで理解しやすいようにまとめてくれている本です。

まず、"日本人でダンテ・アリギエーリという人について詳しい人って多くない"という前提に立って、ダンテってどんな人だっけ?というところから入っていき、「神曲」が何ですごいとされているのかということまで軽い筆致で紹介してくれます。

いざ、「神曲」の世界をダイジェストで語っていく中にも、筆者自身の疑問とか突っ込みとかが随所に散らばっていてとても読みやすいです。作者目線(日本人目線)で書いてあるのがよかったです。

あと、文章もやさしい。読みやすいです。

「神曲」の中で、ダンテは死んでしまった歴史上の有名人にたくさん出会います。えー、こんな人が地獄行きなの?って思っちゃうような人もいたりして。キリスト教的に罪人ってのが、仏教徒(信心深くはないですが)の私にはピンとこないことも…。

 

私がこの本を図書館でみつけたのはまったくの偶然でしたが、以前から海外ミステリーや、西洋の有名な宗教絵画の解説なんかでダンテの「神曲」に言及されていることが時々あって、ざっくりでいいから内容を読んでみたいと思っていたので、本当に幸運だったと思います。

 

阿刀田高さんの本は若いころにいくつか読んだことがありましたが、ミステリーとか日本の古典作品の解説みたいな本だったように記憶しています。

今回「やさしいダンテ<神曲>」のことを書こうと思ってちょっと調べてみたら、他にも世界の古典ダイジェストの本を出されていることが分かったので、そのうち読んでみたいなあと思っています。(「コーラン」とか「聖書」の本もありました。)

 

ダンテの「神曲」、難しそう。読んだことない。でもちょっと興味あるかな。

…って方におすすめの一冊です。

単に散文形式で物語としてまとめただけの本とは一味違う、阿刀田高さんのダイジェスト版古典のこの作品。おすすめいたします。(*^▽^*)

一月の閑話休題です。

 

2026年1月のテーマ

「『しゃばけ』まつり」

 

でおすすめしてまいりました。

 

「しゃばけ」シリーズは現在20冊以上出ています。

タイトルにシリーズ何作品目か書いてないのは、何冊目から読んでも楽しめるようになっているから順番にこだわらなくても大丈夫ということのようですが、私は順番通りに読みたい派なので順番通りに読んでいます。

実をいうと、この記事を書いている時点でまだ文庫の最新作にまで行きついていません。(いつも何冊かを併読しているのもあり…。)

ですが、記事を書くにあたって候補に困ることはありませんでした。

ほんわかした雰囲気で読んでいると安心するシリーズですが、読みながら、または読んだ後、"物事はうつろっていくもの。今あるものが永遠に続いていくことはない。"といつも感じます。

仏教の教えや哲学みたい(例えば「平家物語」の導入…"祇園精舎の鐘の声…"的な。)なことを書いちゃいました、寂しいとか悲しいとか、むなしいとか…諸行無常という感じではなく、新しいことが起こる予感、いい方向への変化、登場人物たちの成長…みたいなポジティブなイメージとセットです。

自分の未来に対しても同じように、変化をポジティブにとらえたいと思いつつ、今後も「しゃばけ」の世界を堪能したいと思います。

 

では、タイトルのお話にまいりましょう。

「冬の図書館は懐かしい話」です。この記事を書いている今日、数か月ぶりに図書館に行ってきましたら、平日の午前中なのに妙に混んでおりまして、駐車場にもたくさん車が停まっていました。

小さいお子さんを連れたお母さん方も何組か見かけたので、どうやら図書館で時々開催されている絵本の読み聞かせ講座か子育てママさんたちの交流会があったのかもしれません。(私も昔行ってました。)

にしても、いつもより人が多い。

図書館に入って外の寒さがふっと緩んだ瞬間、「そうか、明日雪の予報だから今日のうちに来てる人が多いのかも。」と思い至りました。実は私がその理由で今日図書館に行ったから。

うちから図書館までは車の距離なうえ山の上に建っているので、雪の日に行くのは正直怖いです。

なるほどなるほど…なんて思いながら目当ての本を探しているうちに、去年の夏に図書館に来た時のことをブログに書いたなと思い出しました。

では冬の図書館はどうか、というのが今回のテーマです。(前置きが長くてすみません。)

 

 

私にとって冬の図書館といえば、遥か昔に通っていた高校の図書室を思い起こさせます。

校舎脇の古いコンクリート造りの建物の二階にあって(一階は食堂でした)、渡り廊下を通っていくときに吹き抜ける風が冷たかったこと!入ってすぐの貸し出しカウンターの前に石油ストーブが置いてあって、入った途端にあったかさが染みる…だけどあったかいのはそこだけで、奥の本棚の辺りは冷え込んでて薄暗かったなあ。

司書の先生は国語のおじいちゃん先生で、かなりの変人だったと記憶しています。図書室にはよく行ったけど、特に交流はなかったです。

ストーブの横には回転ラックがあって、なぜか講談社学術文庫の古典文学が置いてありました。人気の本とか、おすすめの本とかではなかった。ですが、ストーブの横なので見るともなしに見ているうちに読んでみたくなり、「今昔物語」とか「雨月物語」を借りました(この文庫は原文と現代語訳が併記されているのですが、現代語訳の部分だけ読んでました。)。今思えばおじいちゃん先生(国語教諭)の策略だったのかも…。

古い本とかもいっぱいあった(坪内逍遥訳のシェイクスピア「クレオパトラとアントニー」をパラ読みした記憶あり。)ので、図書館のにおい=古い本のにおい(古本屋の本についたにおいとは違います。タバコのにおいとかついてる本は嫌だ。吸わないので。)が今も好きなのは学生時代の図書室の記憶にルーツがあるのでしょう。

図書館といえばいまだに高校の図書室のイメージが出てきてしまうくらい、あの場所が好きだったんだなあ…と気づきました。

 

大人になってからは、大きな図書館にも行くことができるようになりました。

ずっと明るくて居心地がよくて、興味深い本がたくさん置いてある立派な図書館も利用したことがあるのに、振り返ってみれば冬の寒い日にあたたかい図書館に足を踏み入れた時に思い出すのは、きまって古ぼけた高校の図書室。北風にさらされた渡り廊下の後の、石油ストーブの暖かさなのです。

夏の図書館が、うだるような暑さの中からひんやりした館内に入ることでリラックスすると同時にしゃきっとする場所なのに対して、冬の図書館は懐かしい記憶を思い出すノスタルジックな場所だった…というわけです。

いやー、年を取ってきたせいか、ちょっとしたことでノスタルジーに浸ってしまう。

「しゃばけ」で感じたみたいに、私も未来を見据えないとと改めて思いました。

このブログを覗いてくださっている方でしたら、きっと本好きだと思います。

たぶん図書館や本屋さんはなじみの場所でしょう。自分にとって思い出深い図書館をちょっと思い出してみませんか。

 

さて、それでは来月のテーマの話にまいりましょう。

 

2026年2月のテーマ

「まとめ版・名作古典」

 

でおすすめしたいと思います。

ずーっと以前にブログで書いたことがあるのですが、私は海外作品を読むときに、できるだけ完訳版で読みたいと思っています。とはいえ、古典の名作は長くて難しいものもあるので、児童文学の棚の完訳版を探すことも多いのです。

しかし、古典の名作の中には、古すぎて作者不詳だとか、口伝の物語を分かりやすくまとめてくれたもの(例えばホメーロスの「イーリアス」とか「ギリシャ神話」の本とか。)もありますし、長すぎる、もしくは難解すぎてちょっと興味あるくらいでは手を出せない本もあります。

だもんで、コンパクトに内容をまとめてある本の方がよいと思うこともありまして、今回はそういった"名作古典の入門編"として読んだ本をおすすめしてみたいと思います。

ご興味ありましたら覗いていただけると幸いです。(*^▽^*)

 

 

 

 

2026年1月のテーマ

「『しゃばけ』まつり」

 

第三回は、

「すえずえ」(しゃばけ13)

畠中恵 作、

新潮文庫、2016年発行

 

 

 

です。

 

上の二つが文庫版、一番下が単行本です。

どちらのデザインも可愛い。

 

さて、概要は…江戸の日本橋にある廻船問屋(かいせんどんや)兼薬種問屋(やくしゅどんや)の長崎屋は妖と縁が深い。人ながら妖を見ることができる虚弱体質の若だんなのいる離れには、本性は妖である仁吉佐助という兄やたちのほか、あまたの妖たちが集っています。寝付いてばかりで外出もままならない若だんなですが、人の世の困りごとに妖がらみの出来事まで、妖たちと協力して解き明かしていきます。

 

前回の記事で「若だんなと妖たちのいる長崎屋の離れは楽園のようだ」というようなことを書きました。

 

 

「しゃばけ」シリーズは「サザエさん」「ちびまる子ちゃん」のように基本的に時間の流れがない作品ではなくて、時間の流れがある作品です。

シリーズが進むにつれて、若だんなの幼馴染である栄吉は菓子作りの修行に行ってしまうし、日限りの親分は親になるし、若だんなの兄の松之助は所帯を持ちます。

物事は少しずつ変化していき、新たに知り合った人や妖がどんどん「しゃばけ」ファミリーに加わっていきます。

 

つまり、長崎屋の離れという楽園もいつかはなくなってしまうということを、読者は理解しているのです。

ただしそれは、今ではない。若だんなの寿命が尽きるか、時間がうんと流れた後か…。

シリーズの中では常に緩やかな変化はあるけれど、長崎屋の離れという場所が急になくなってしまうことはないだろうと、私はそんな気持ちで読んでいます。

 

タイトルの「すえずえ」"先のこと、将来。"というような意味です。

この作品には、登場人物たちが己の"これまで"と"これから"を考えて、"これから"のために行動したり決断したりする短編が詰まっています。

 

修行中の栄吉が恋と修行とのはざまで悩む「栄吉の来年」

妖払いで有名な高僧・寛朝(かんちょう)が珍しくも江戸を離れる「寛朝の明日」

主の留守に長崎屋が乗っ取られそうになる「おたえの、とこしえ」

若だんなの縁談に長崎屋の離れが揺れる「仁吉と佐助の千年」

妖達の新たな生活が始まる「妖達の来月」

 

私のお気に入りは、「妖達の来月」。もらった贈り物に感激する貧乏神・金次がとてもいいです。

あと、「寛朝の明日」に出てくる"猫じゃ猫じゃ"は想像しただけでにやけちゃいます。猫又(ねこまた)達の盆踊りみたいなものなんですが、手ぬぐいを被るのが正式なんだそうで、本筋の結末よりも気になってしまいました。

 

でも、メインのお話は「仁吉と佐助の千年」で描かれる若だんなの縁談です。

若だんなが嫁を取るということは、長崎屋の離れにこれまでのように妖たちが集まることはできなくなるということ。

妖達も困るし、若だんなも困る。だけど、そのことで先に書いたように"長崎屋の離れという楽園"がずっと続くというわけではないとみんな意識せざるを得なくなります。

嫁取りをきっかけに妖達とのこれからについて考え、若だんなが出した結論は…さすがです。

 

新たな未来のために決断する物語たちは、シリーズの中で転換点の一つのように私には感じられます。

それだけにおすすめしたい一作です。前回の「えどさがし」と同様に、シリーズの中で初めて手に取ってしまうと味わいが薄れてしまうと思いますので、先に何冊か読んでから手に取ることをおすすめいたします。(*^▽^*)