八月の閑話休題です。

 

2024年8月のテーマ

「あんまり読む人いないかも…戯曲の本」

 

でおすすめしてまいりました。

戯曲の本って、私自身読んだ数が少ないし、そんなに書くことないかもなって、ちょっと頭をよぎったりもしたのですが、書き始めると意外と思い出す作品もあったりして、記憶の棚の奥深くに仕舞い込まれていた情報が久々に取り出されたというか…"脳活!!"(脳トレの間違いかな???)って感じでした。

また、舞台ありきで書かれているので、普通の小説などよりは制約も多いはず(舞台で再現することを想定した場の設定だとか)と私は考えていたんですが、「ハリー・ポッターと呪いの子」などは場の転換も多いし、スケールの大きなお話もあるなあ…と気づかされました。

 

思い起こせば初めて読んだ戯曲は多分、イプセン「人形の家」シェイクスピア「じゃじゃ馬ならし」

どちらも小中学校で推薦図書の注文受付があったときに、申し込んで買ってもらったもので、毎年推薦図書のラインナップは変わるので、どちらが先に買ったものかはもうわかりません。(記憶が定かではないのに思い出話書いてすみません。)

 

うちでは児童書はいただいたものが中心で、あまり買ってもらいませんでした。本は図書室で借りるものだったのです。

でも学校からくる推薦図書の注文封筒は別。欲しい本を一冊注文させてくれました。そのため、超読みたい本でなくても、タイトルが気になるとか、作者の名前知ってるとかで選んでました。

その結果が、先に挙げた二冊、というわけ。

注文書には戯曲なんて書いてないから、何にも知らずに申し込んで、手元に来たものを開いたら台詞とト書きの本だったのでびっくりしたのと、あまりすぐに読まなかったことだけ覚えています。そもそも、タイトルと作者だけのリストで、内容もよく知らずに注文してたもんな~。「人形の家」はさわりだけ読んで投げ出した気もしてきた…。

 

思い出話はこの辺にして、タイトルの"「『華氏451度』の世界が現実に!」と思ったこと"の話にまいりましょう。

少し前のことですが、SNSで、イヤホンをつけたままラーメンを食べているお客さんに対して、意思の疎通が妨げられるのでできれば取ってほしいとラーメン屋さんが書き込まれていた…というようなニュースが流れました。(ニュースの細かい内容がうろ覚えなので、間違っていたらすみません。)

その時に、「『華氏451度』の世界が現実に!」と思った…というのが今回のお話です。

 

まず前提として、『華氏451度』というのはレイ・ブラッドベリの超有名なSF小説で、以前、私も記事に書いたことがあります。

 

 

この小説の中の人々は、大半が《巻貝》と言われるイヤホンをつけていて、のべつ幕なし放送を聞いており、自宅のリビングには壁一面映し出されるモニターがあって、離れたところにいる知人たちとリモートでつながり、一緒に演劇をしたりしています。

くだんのニュースを聞いたとき、"私たちはとっくに《巻貝》を当たり前のように使用する社会に生きているんだ"と気づいて愕然としてしまいました。

遠くの人たちとつながって一緒に冒険を楽しむソーシャルゲームは、小説の中のモニターでつながって行う演劇と、"役割を演じる(ロールプレイ)"という点でよく似ています。

 

ちなみに、2,3年前にも同じことを感じたことがありました。

コロナでの自粛生活期間に紹介されたストレス解消のための施設の一つに、古くなった家電や瓶などをバットやハンマーで殴って壊す、というコンセプトの施設が紹介されていたのをみた時です。

 

この小説の世界で、まさしくストレス解消の施設として登場しています。

もしかしたら小説を知っている方がそこから着想を得て施設を作られたのかもしれません。が…だとしたら、私にとってはひどく悪趣味に感じてしまいます。未来のディストピアで人々を飼いならすためのシステムの一環として描かれているからです。

 

以前の記事にも書きましたが、この作品が描く世界は、私にとっては暗黒の世界。まさにディストピアなので、作品の中の世界と現実の今の世界が共通すると感じることに、何やら危機感を抱いてしまうのかもしれません。

自分でもちょっと過敏に反応してしまうなと思っています。

 

ただ、1953年に書かれたこの作品の中に登場した世界今の世界がずいぶん近いと感じたことで、改めて作者の慧眼に驚かされましたし、作品を通じて作者が当時の世の中に警鐘を鳴らそうとしていたことを思い起こすと、今の世の中に対する不安や怖れを掻き立てられました。

 

というわけで、一人で不安だーと思っていても仕方ないので、ちょっと気持ちを吐き出させていただきました。

それにしても、「華氏451度」という作品は私の中で何やら特別な位置を占めているSF小説らしいです。

 

それではそろそろ来月のテーマとまいりましょう。

 

2024年9月のテーマ

「ちょっと怖い本」

 

でおすすめしたいと思います。

いやー、怖い本はあんまり好きじゃないんですけど、ミステリーホラーとかいろいろジャンルもありますし、先日ちょっと怖いテレビゲーム(面白そうだけど自分では絶対やらない)のさわりをみる機会がありまして、思考がそっち方面に寄ったと思われます。

といっても、私の"怖い"が他の方にとって"怖い"とは限らないわけで…「なんだ、全然怖くないじゃん。」と思われる作品をおすすめしてしまう可能性大なんですけど、そこは暗黙の了解をいただきたく…よろしくお願いいたします。

ご興味ありましたら、またのぞいていただけると幸いです。(*^▽^*)

2024年8月のテーマ

「あんまり読む人いないかも…戯曲の本」

 

第三回は、

「ハリー・ポッターと呪いの子」第一部・第二部<特別リハーサル版>

J・K・ローリング、ジョン・ティファニー&ジャック・ソーン 作、

舞台脚本 ジャック・ソーン、松岡裕子 訳、

静山社、2016年発行

 

 

 

です。

 

Pickで貼ったのは、<愛蔵版>なので、私が読んだ<特別リハーサル版>とは版が違います。

Pickで貼ろうと思って検索してみたら<愛蔵版>の他に<東京版>というのもあって、色んな版のものがあるんだということをたった今知りました。

<東京版>は現在東京でロングラン公演されている舞台の脚本でしょう。

日本人キャストによる舞台「ハリー・ポッターと呪いの子」

本を読んだ後だと、あのシーンをどうやって舞台で再現しているのかとか、気になる~。

 

では軽くあらすじを。

ハリー・ポッターシリーズが完結したときから19年後のお話で、基本的にはハリー達の子供世代が主人公の物語です。ハリーの次男・アルバスがホグワーツに入学する日、列車の中でドラコ(学生時代ハリーと仲が悪かったドラコ・マルフォイ)の息子・スコーピウスと出会います。二人の少年の出会いから、再び魔法界を闇で包もうとする目論見が進行していき、彼らは運命に立ち向かってゆくことになります。

 

この物語は、ハリーの息子のアルバスが主人公だとされているのですが、私はどちらかというとスコーピウスが主人公のような気持で本を読んでいました。

アルバスはハリー・ポッターという魔法界を救った英雄の子という立場に自分の居場所を見いだせず、父親とうまく関係を築けていません。ハリー自身が、赤ん坊の頃に両親と死別して叔母であるペチュニアがいるダーズリー家の居候という不遇の少年時代を送っているので、自分の子供に対してどのように愛情を示せばいいのか分からずにいるのです。

 

一方、スコーピウスの父ドラコの家は純血であるということが誇りの家系で、かつてヴォルデモートに組した家ということもあって、スコーピウスはスコーピウスで自身の生まれや父親との関係について悩んでいます。

ハリー・ポッターシリーズでドラコはハリーと敵対するキャラクターですし、小心者のくせに高慢で、卑怯なところもあったりして、正直、嫌な奴なんですが、ストーリー終盤にかけて、彼の苦しみや苦悩が感じられるシーンもあり、何というか、繊細な子供が無慈悲な大人によって捻じ曲げられてしまったような印象を受けました。

その子供であるスコーピウスは、父親と同じような繊細さの感じられる、心根の優しい少年で、その優しさは母親への愛や友達との信頼関係があったればこそだと思います。

上手く説明できませんが、私はスコーピウスを"こうだったかもしれないドラコ"というような見方をして読んでしまっていたのです。"もし父親の呪縛から逃れられていたら…"、"もしハリーと友達になれていたら…"、ドラコ・マルフォイは"こうだったかもしれない"という感じで。

 

基本的にはアルバスとスコーピウスが中心のお話ではありますが、親子関係のもつれも含めて、この物語には親になったハリーやロン、ハーマイオニー、ドラコ…おなじみのキャラクターたちが登場し、ただの脇役ではなく物語に深くかかわっています。

彼らのその後について知りたい、という方にもその点ご満足いただけると思います。

 

また、第一回、第二回でおすすめした作品よりも場面転換がたくさんあって、演劇としてこの場面をどのように舞台へ昇華していくのか、想像もつきません。

ハリー・ポッターと言えば映画で魔法が映像化されているのを観て心ときめいたものでしたが、舞台ではどうやって様々な魔法を再現するのかも気になるところです。

 

実は初めてこの本の存在を知ったとき、ハリー・ポッターの続編がなぜ舞台の脚本なのか?小説ではだめなの?と、疑問に思いました。

私にとっては、戯曲よりも小説の方がずっとなじみ深くて読みやすかったので。

でも当たり前のことですけれど、舞台で演じる作品だから戯曲なわけで、"舞台のために"ハリー・ポッターの新作を書いたということなんですよね。

ハリー・ポッターの世界をずっと映画でみてきた身としては、映像化してほしいな~と思いましたが、映像化の予定はないそうです。あくまで舞台のために描かれたお話なんですね。

戯曲は小説と違って読む気にならないな~という方でも、ハリー・ポッターシリーズが好きというなら、読んでみて楽しめると思います。そして、一度読んでみれば、そんなに戯曲って読みにくくないかもって感じていただけると思います。

先に紹介した二作品に比べると長いと思いますが、読みやすさでいうと一番かもなので、戯曲は敬遠しがちという方もぜひチャレンジしてみてください。おすすめいたします。(*^▽^*)

2024年8月のテーマ

「あんまり読む人いないかも…戯曲の本」

 

第二回は、

「夏の夜の夢」

ウィリアム・シェイクスピア 作、小田島雄志 訳、

白水uブックス、1983年発行

 

 

です。

 

白水uブックスではシェイクスピア全集を出していて、近所の図書館でおいてあるきちんとした(っていう言い方もどうかと思いますが、原作の通り戯曲の形で翻訳されている)シェイクスピアの作品は大体このシリーズです。

もっと新しい、あるいは別の出版社さんが出したシェイクスピア全集があろうかと思いますが、上記のような理由で私の読むシェイクスピアは白水uブックスの全集なのです。

 

さて、有名な作品ですので説明不要かもしれませんが、あらすじをば。

アテネの有力者・シューシュースヒポリタという女性と結婚を間近に控えた日、シューシュースの元にとあるカップルが嘆願に訪れます。娘・ハーミアは父の決めた婚約者・ディミートリアスではなく、自らが愛する男性・ライサンダーと結婚したいので父を説得してくださいと。しかし、その場にいた父親やディミートリアス、シューシュースは"娘は父親の決めた相手と結婚するもの"との考えを曲げず、「ディミートリアスと結婚するか、一生純潔を守って独身で過ごすか、それが嫌なら親不孝の名のもとに死ぬかだ」と言い渡されてしまいます。

困った二人は駆け落ちすることにしてアテネ近郊の森で待ち合わせます。

この計画を聞いたディミートリアスに思いを寄せる女性・ヘレナがディミートリアスに告げたため、二組の男女が森へと向かいます。

一方森では妖精王のオーベロンタイテーニアが夫婦げんかの真っ最中。何とかして妻に一泡吹かせてやりたいオーベロンがたまたま出会った男女の会話を聞いて策略を思いつき、いたずらな妖精パックに実行させるのですが、パックの勘違いで予想外の展開に。三組のカップルのすれ違いを描いた喜劇です。

 

私が初めてこの作品を知ったのは中学生の時に「ガラスの仮面」を読んだときです。主人公のマヤが舞台で妖精パックの役をやるんですよね。そのうち実際の「夏の夜の夢」を読もうと思っていて、実際に読んだのは成人してからでした。

実際に読んでみると漫画ではすごくすごく省略してあったんだなってわかりました。

そりゃそうだよね。

 

とにかく、登場人物が多い!

あらすじからは省いちゃったんですけど、劇中劇をするアテネの市民役者の集団も出てくるし、妖精たちもいるし…大体、誰が主人公なのかもあいまいで…。

 

また、喜劇だからわざとなのかもしれないけれど、言葉のチョイスがおかしいと感じる部分もいっぱいあって、読み始めた時には、私にはシェイクスピアの文学って理解できないかも…と思いました。

舞台はアテネなんだけど、時代はあやふやで、ヘラクレスのようなギリシャの英雄の名前が急に出てきたかと思うと、罵り言葉にダッタン女なんて出てきたりする。(ダッタン人とは中国の文献などに出てくるモンゴル人の呼称です。)

シューシュースのことをみんな"公爵"って呼ぶ。

アテネで公爵とはこれいかに?

つまりは、やっぱり、全部が喜劇になっているんだと最終的には納得しました。

吉本新喜劇みたいなもので、いちいち全部がネタになってるわけです。

 

あと、解説の部分を読むのが、この全集を読むときには楽しみの一つなんですけど、作品の制作年代やこれまでにどれくらい上演されたか、などのお話が載っていて興味深いです。

この本の解説では、「夏の夜の夢」が上流貴族の結婚のお祝いに上演されたのち、劇場でも上演されるようになったとみられているとあり、おめでたい席で演じられる作品としては確かにぴったりの喜劇かもしれないなと再び納得。

 

最後に、この作品ではシェイクスピアの時代には女性の地位が低かったんだなあ…と感じる台詞がちらほら出てきます。

妖精王のオーベロンとテイターニアは対等な力関係のようですが、オーベロンはそれに不満。自分のわがままを通したくて喧嘩になっている。

読んでいていい気分ではありませんでしたが、結局最後には大団円。

私が女性だからか、段々と威張ってる男性がちっちゃく見える現象も…。

登場人物の、少なくとも人間の女性陣にとって満足のいく結果となっているところに絶妙のバランス感覚を感じました。

男性女性のどちらかにおもねるような内容では、結婚式という場ではふさわしくないですもんね。

 

というわけで、シェイクスピアの本の紹介とは思えないようなことをいっぱい書いてしまいましたが、そんな風に読んでみてもええやん…てなわけでおすすめいたします。(*^▽^*)

2024年8月のテーマ

「あんまり読む人いないかも…戯曲の本」

 

第一回は、

「ねずみとり」

アガサ・クリスティー 作、鳴海四郎 訳、

クリスティー文庫、2004年発行

 

 

です。

 

やはり、戯曲の本で書くなら一番目は「ねずみとり」でしょう。

私がクリスティー大好きなこともありますが、"演劇史上類をみないロングランを誇るミステリ劇"(文庫解説より)ですから。

文庫解説によると、"1952年の初演から半世紀以上のロングラン"で、"今も世界記録を更新している伝説の舞台""公演回数二万回以上"とあります。

クリスティーの全作品を網羅したクリスティー文庫で、戯曲集は七冊。

中には一冊の中に複数の作品が収録されているものもありますが、「ねずみとり」は丸々一冊分一つのお話です。

 

あらすじは、若夫婦が開いたばかりの山荘に、大雪の中、予約の客が4人、立ち往生した旅行者1人、刑事が1人やってきます。雪のせいでかんづめになったところに、ラジオからはロンドンでおきた殺人事件のニュースが繰り返し流れ…やがて舞台は暗転し…。マザーグースの歌に絡めた事件の真相とは…。

 

クリスティーのミステリーに登場する要素がバランス良く配合されたストーリーになっていて、お話としてとても面白いです。

舞台演劇なので、お話が展開する場(この場合は山荘の広間)が限られている中で、こちらの出口は図書室につながっていて、こちらは台所、二階への階段…と細かい舞台設定がまず書かれており、キャラクターの風貌、立ち位置、何を手に取り、どこに座るかまで、細かく指示が書いてあります。

私の場合、普通の小説を読んでいるときは脳内イメージでテレビドラマみたいに再現されてお話を読み進めるのですが、戯曲だと、舞台のお芝居の形で再現されるので不思議です。

読書する分にはイメージなので、舞台の配置を気にしながら読み進めなくてもいいはずなんですが、休日の昼にテレビ放送されている吉本新喜劇を子供の頃から良く観ていたせいか、同じようなイメージになってしまいます。(決してお笑い風になってしまうわけではありません。)

もしかしたら、ミュージカルの舞台や演劇の舞台を見慣れている方だとより鮮やかで華麗な舞台演劇として脳内再生されるかもしれませんね。

 

映像でみせるドラマと違って舞台ではリアルで生々しい表現というよりは象徴的な表現が主体になるのかなと思います。

ミステリーだの殺人事件だのを扱った作品でも、残虐性よりも謎解きの色合いが濃く、目の前で演じられている臨場感が程よいスリルを与えてくれるのではないか、そこがロングラン足りえる人気の秘密なのではないか、と個人的には思っています。

 

クリスティーの戯曲作品にはポアロが主人公のミステリー劇「ブラック・コーヒー」なんかも有名です(以前、「ブラック・コーヒー(小説版)」の記事を書きました)が、ポアロ好きの私でも、クリスティーの戯曲ナンバーワンは「ねずみとり」だと思います。

舞台脚本家としてのクリスティーの一面を、ぜひ味わっていただきたいと思います。

おすすめいたします。(*^▽^*)

 

 

七月の閑話休題です。

 

2024年7月のテーマ

「いっぱいある!海外刑事ドラマ」

 

でおすすめしてまいりました。

 

なるべくいろんな国のドラマについて書きたいと思った結果、どれもちょっと古いドラマになっってしまい、観ようと思っても探すのが難しいかもなラインナップになってしまって反省しています。

それにしても刑事ドラマって本当にたくさんあって、一度シリーズを観始めてしまうとはまることが多いです。

古くは「刑事コロンボ」(アメリカ)、「刑事モース」(イギリス)、以前記事で書いたことがある「マクベス巡査」も刑事ではないけれど警察官でした。

最近のものでは「刑事ルーサー」(イギリス)も、主演のイドリス・エルバさんがかっこよかった!

ミステリードラマでは、警察官ではない主人公のもの(いわゆる素人探偵)も数多いですが、刑事もののドラマは王道というか、廃れないジャンルだと思います。

これからも個性的な刑事のミステリードラマを発掘したいと思っています。

機会があればまた書きたいです。

 

さて、タイトルの『好きなものについて熱く語る人はかっこいいと思う話』にまいりましょう。

記事によく書いてしまうので、お気づきの方もおられると思いますが、本を読んでいて、「この作者○○がすごく好きなんだなあ」という気持ちが文章からあふれている作品は大抵、私にとって面白いです。

 

もっとも、自分が苦手な分野、もしくは嫌いな分野についての話だったり、全く興味を持てない分野の話の場合は、そもそも本を手に取らないので、出会いません。

なので、果たして苦手な分野について熱く語る作者の本を読んだときに、その分野に興味を持ったり、その意見に共感したりできるかは定かではありません。あしからず。

あくまでも、ある程度の関心は持てる分野についてのお話だと思ってください。

 

なぜ面白いと感じるのかを言葉にすると、特定の分野に関して知識が豊富で、それを分かりやすく説明してくれるから。

そして、本だと作者と自分との間に距離があるので、圧を感じないで説明を受け入れられるから。

 

これが対面(講演会みたいなものではなく、会話を想定しています)だと距離が近すぎて、自分がよく知らない分野について一方的にまくしたてられると圧がすごくて引いてしまうかもしれません。

また、対面だと圧が…と感じる要因として、経験上、好きなことについてしゃべっているとたいていの人は夢中になりすぎて早口かつ声が大きくなるからです。(自分も例外ではなく、後から反省することが多々あります。)

しかし、圧は嫌だけど、好きというエネルギー・熱量は感じられる方が絶対に心に響くと思います。

テレビや動画配信なんかで、出演者が熱く語っているのを見たり聞いたりしていると、本と同じように「この人すごいな、かっこいいな」と思ったりします。

 

最近、そんな"好きを熱く語る人"が本を出されたので買って読んでみました。

その人とは、古代ギリシャ研究家の藤村シシンさんです。

 

「秘密の古代ギリシャ あるいは古代魔術史」

藤村シシン 著、2024年4月 発行、KADOKAWA

 

 

 

私が藤村シシンさんを知ったのは動画配信サービスで古代ギリシャ研究家としてゲームの中の古代ギリシャについてお話されているのを観てのことです。

とにかく知識が半端ない。

古代ギリシャ語で書かれた文献をすごくたくさん読んでいるし、実際に遺跡にも行っている。

何よりすごく楽しそうにお話されているので、その"好き"の熱量たるやものすごいものでした。

ご自分のことを古代ギリシャ人と言ってはばからず、トーガ風の衣装に冠の正装で出演されていてインパクト大。

とにかく話が面白くて、本も買ってみましたが、こちらもぎゅうぎゅうに内容が詰まっていて濃かったです。

文章自体は口語調で文字も大きく読みやすいんですが、資料として載っている遺物の写真・分かりやすいように手書きされた図案・年表・注釈…これでもか!というくらい情報が詰まっていました。

興味のある方にはおすすめですよ~。

 

私はギリシャ神話の世界も歴史としての古代ギリシャにもある程度の興味がありましたが、神話と歴史というものを分けて考えていたので、古代ギリシャの話になるとどこからが史実でどこからが神話なのか、ごちゃごちゃになってしまい、「よく分からないな。なぜきちんと分けて書いてくれないのか。」といつも釈然としない気持ちになっていました。

それが、シシンさんの話を聞いているうちに、古代ギリシャ人は神話と歴史を分けて考えていないんだということが分かりました。そして、よくよく考えれば、日本神話だって、古くは歴史として書物に書かれていた(「古事記」や「日本書紀」)んだよなと思い至り、すとんと腹に落ちたのです。

 

私は興味があっちこっち行ってしまう方なので、一つの分野を深く掘り下げるタイプの方に憧れます。

結局、今回は藤村シシンさんをすごいと思った、というお話でしたね。

タイトル変えた方がよかったかも。

 

リアルな会話で相手の興味のあるなしにかかわらず自分が好きなことを喋りまくるのは感心しませんが、自分の主張を届ける場(テレビや動画配信、ブログ、書籍、ラジオ…etc)では、熱量が感じられる方が聞き手に受け入れてもらいやすいのかなと思います。

 

願わくは、そういった"好き"の熱量が感じられる本に今後もたくさん出会いたいです。

"嫌い"だったり"ダメ"みたいな批判を熱く語るより、"好き"を熱く語る方が、聞いていて楽しい。

物事には批判も必要ですが、批判するなら"こうしたらよくなると思う"というのをセットで熱く語ってほしいなと思います。

そうすれば解決の糸口になるかもしれないですから。

 

さて、来月のテーマとまいりましょう。

 

2024年8月のテーマ

「あんまり読む人いないかも…戯曲の本」

 

でおすすめしたいと思います。

"あんまり読む人いない"とか書いちゃいましたけど、シェークスピアの作品は戯曲ですからね。

超メジャーです。

けれども、劇作家さん以外で、戯曲の本というくくりで探して読む人って、まあ、いない気がしています。

なので、一度"戯曲"というくくりでおすすめしてみようかなあと。

ご興味ありましたら覗いていただけると幸いです。(*^▽^*)