2025年8月のテーマ

「夏×ミステリー」

 

第三回は、

「人形式モナリザ」

森博嗣 作、

講談社、 1999年発行

 

 

 

です。

 

私が持っているのは一番上の単行本版です。

例によって文庫版のデザインもしゃれている…。

 

前回、前々回のS&Mシリーズが完結したのちに新シリーズとして発表されたVシリーズの第二弾です。

また森博嗣作品かい!との突っ込みが入りそうですが、実は三つの作品のうち「夏×ミステリー」のテーマで真っ先に浮かんだのがこの「人形式モナリザ」。後の二作品はその後連想ゲーム的に決めちゃったというか…。ま、そんなところです。

 

 

 

 

まずはあらすじから…。

避暑地に建つ私設博物館「人形の館」のステージで上演されていた「乙女文楽(おとめぶんらく)」の最中に、舞台上の演者が謎の死を遂げます。二年前にも被害者一族の男性が殺されており、彼の妻は男性が「神の白い手」に殺されたと証言します。

夏休みの間避暑地のペンションで住み込みのアルバイトをしに那古野から来ていた小鳥遊練無(たかなしねりな)、彼のバイト先に遊びに来た友人の香具山紫子(かぐやまむらさきこ)、保呂草潤平(ほろくさじゅんぺい)、瀬在丸紅子(せざいまるべにこ)は事件の目撃者となり、事件の真相を推理していきます。

 

もうお気づきかと思いますが、このお話は夏休みの避暑地で起きた事件のお話であり、このシリーズの主人公の一人である大学生の小鳥遊練無がペンションで住み込みのアルバイトをしているというシュチュエーションが、いかにも昭和の夏な感じがするのです。(思春期以降を昭和で過ごした方ならば、共感していただけるのではないでしょうか。え、だめ?)

令和の世でも、大学生の夏のバイトとして避暑地のペンションで住み込みの仕事ってあるのかもしれませんが、昔に比べてペンション自体が減っているような気もするので、今はイメージないかもですね。

 

ところでさらっと書いちゃいましたが、このお話は昭和後期の頃のお話です。

VシリーズはS&Mシリーズ(1980年代後半?~1990年代が舞台)の一昔前(大体20~25年くらい前)の時代設定になっています。

そのため、当然のことながらスマホどころか携帯電話もなく、通信手段は電話とか無線、郵便になるので、すれ違いや行き違いみたいなことも今と比べて起こりやすいです。

そういったすれ違いとか勘違いが要因で事態がこじれてしまうというのは物語をドラマティックに展開させる手段として小説でよくつかわれてきた手法だし、以前は実生活で事の大小はあれどもみんなが体験していることだったので、私個人的にはすんなりと受け入れて読めます。

小説内ではいつの時代の話だとか明記されていないので、スマホや携帯電話が登場してからの時代しか知らない方にはちょっと違和感があるかもしれません。

 

あと、もう一つストーリーとは別のところで気になりそうなことを書いておくと、登場人物の名前が独特ってところでしょうか。小鳥遊練無、香具山紫子、瀬在丸紅子、保呂草潤平…全員珍しい苗字です。

名前の方は今では多様化しているので練無や紫子に違和感ないかもしれませんが、小説発表当時はまだ名前に使用できる漢字が今よりも少なかったし、珍しい名前と思わずにはいられませんでした。

最近では漫画なんかではわざと珍しい名前にしているなってことも多いですけども。

 

随分とストーリー以外のことを書いちゃいましたがストーリーの方はというと、このシリーズも理系ミステリー。…とはいうものの、S&Mシリーズに比べて主人公が多くわちゃわちゃした感じが随所で箸休めになって、前よりも"理系"が前面に出ていない印象です。

この「人形式モナリザ」では、避暑地という人が少ない田舎で特定の一族の人間が殺されるというところがちょっぴり横溝正史さんの金田一耕助シリーズっぽい感じがします。

オカルトの要素も少しあって、あらすじに書いた"事件の二年前に死んだ男性"は悪魔崇拝者で、「神の白い手」に殺されたというのも超常現象的なものを想定した言い方に聞こえます。

 

どのようにすれば衆人環視の中で殺人が行えたのかという手段を論理的に解き明かすのがミステリー小説というものですが、なぜ犯人が事件を起こしたのかという動機を解き明かすのもまたミステリー小説です。

しかし後者は人の心の中のことなので、これが正解という絶対のものがあるかというとそうではありません。

作者が"答え"として提示しているものを読者が理解して納得できる保証はないし、私はそんな保証はいらないと思います。

前回の「夏のレプリカ」と同様に、このお話もちょっと複雑なミステリーです。読み終わった後にすっきりしないなーと思われるかもしれません。(私は「人間って複雑だからな~」で納得してしまうタイプです。)

 

また、主人公たちのキャラクターも個性的です。Vシリーズの"V"は紅子の名前からとったものですが、その瀬在丸紅子は没落したお嬢様で小学生の息子とかつての使用人と小さな家で暮らしています。自宅で科学の研究をしている美人で才媛で変わった人。

保呂草潤平は探偵。阿漕荘(あこぎそう)というアパートに住んでいて、練無、紫子の大学生コンビも同じアパートの住人です。

小鳥遊練無は女装すると女の子にしか見えない理系の男子大学生。拳法をやっていて実は強い。

香具山紫子は関西出身の女子大生。ショートカットで背が高く、練無との対比でみればボーイッシュな外見です。四人の中で一番感情移入しやすいキャラクターだと思います。

この四人の会話シーンがわちゃわちゃしていて、個人的には好きです。

 

この作品の前には、「黒猫の三角」というシリーズ第一弾があるので、シリーズ初読の方は本当はそれを読んでからの方がいいです。なのに第二弾を勧めてしまうという…掟破りで申し訳ありませんが、「人形式モナリザ」おすすめいたします。(*^▽^*)

2025年8月のテーマ

「夏×ミステリー」

 

第二回は、

「夏のレプリカ」

森博嗣 作、

講談社文庫、 2000年発行

 

 

 

 

です。

 

察しのいい方は前回の記事の時点でお気づきだったと思いますが、今回はS&Mシリーズ7作目「夏のレプリカ」です。

前回の記事で書いた「幻惑の死と使途」と対になっている作品で、同時期に起きた事件をそれぞれ別の本に物語としてまとめてあるという設定…作者の遊び心が感じられます。というわけで、この作品も"夏が舞台のミステリー"

 

 

「幻惑の死と使途」は奇数章のみ、「夏のレプリカ」は偶数章のみの構成になっているのはそのためです。

片方だけ読んでも全く問題ないですが、一方で登場した人物がその後全く出てこなくて何だったんだろう…みたいなことがあるので、読んでいて細かいことが気になるタイプの方は「?」となるかもしれません。

二つの本を章の順に沿って交互に読み進めるということもできるので、一度読んだことある方はそういう読み方をしてみてもいいかもしれませんね。ただ、初読の方には交互読みはおすすめしません。この後書きますが、「夏のレプリカ」はミステリーとしてはちょっと分かりにくいお話なので。

 

それと、今回も私が持っているのは最初に貼ったPickの版で、出版年も最初の文庫本の年になっています。

単行本も、新しい装丁の文庫本も、やっぱりかっこいいな…。

 

前置きが長くなりましたが、あらすじです。

東京の大学に通っている簑沢杜萌は、夏休みに帰省した実家で仮面をつけた人間に誘拐されてしまいます。家族と共に別荘に閉じ込められますが事なきを得るも、自宅にいたはずの兄・素生(もとき)が行方不明に…。

杜萌が兄の行方を捜す一方で、友達の西之園萌絵もこの事件に関心を持ち調べ始めます。

長い間会っていなかった兄を捜す中で、杜萌には過去の出来事が次々と思い出されて…。

 

前回の「幻惑の死と使途」はイリュージョンで読者を翻弄するミステリーになっていましたが、「夏のレプリカ」は杜萌の心の中や記憶を探る描写が多く、ちょっと幻想的な印象も受ける作品になっています。ミステリーなんだけど、「幻惑の死と使途」みたいにトリックを見破るのがキモっていう直球ミステリーではないです。

 

誘拐事件に行方不明、殺人事件も絡んでくるので事件としては複雑で、読者としては"どうやって"よりは"なぜ"のほうが気になってしまうストーリーになっています。

杜萌が封印していた記憶の断片が物語のピースを埋めていく感があり、読んでいる側としては杜萌のモヤモヤが伝染するので、論理的にすっきりさせていって最後に全てがぴったりとはまるパズル的なミステリーが好みの方には相性が良くないかもしれません。

 

「幻惑の死と使途」とセットになっている構成な時点で、普通のミステリー小説とはちょっと違うなというのが明白なので、考察や分析を楽しみたい方は二倍楽しめると思います。

 

また、杜萌視点での語りが多いですが、萌絵もちゃんと主人公の一人です。

杜萌は萌絵と並ぶ才能の持ち主なので、この組み合わせは、萌絵と女友達との絡みとしてこのシリーズでは珍しいシーンになっていると思います。

 

「幻惑の死と使途」と合わせて読んでもいいし、単独で読んでもいい。…でも個人的には合わせて読みたいかな。

二つの作品はカラーがだいぶ違うので、好き嫌いは出ると思うんですけど、森博嗣作品にはまってしまうとどっちも読みたくなっちゃうのよね。

というわけでおすすめいたします。(*^▽^*)

2025年8月のテーマ

「夏×ミステリー」

 

第一回は、

「幻惑の死と使途」

森博嗣 作、

講談社文庫、 2000年発行

 

 

 

 

です。

 

私が持っているのは一番上の版です。発行年もこれに載っていた年を書いてます。

二番目に載せた版が最初に出版されたものかな。当時はお金がなかったので、お安くなった文庫版を買ってたんですよね。

下の真っ白いのが表紙デザインが新しくなった改訂版。

これもかっこいいので、欲しいと言えば欲しい。けど、本棚のスペースにもお金にも限りがあるのでそこまではできません。

 

理系ミステリーと呼ばれた森博嗣さんのS&Mシリーズ6作目です。

あらすじは、奇跡の脱出マジックを得意とする天才奇術師・有里匠幻がショーの真っ最中に殺害され、その後遺体も消え去ります。亡くなったマジシャンの弟子たちによる後継者争いが起こる中、犀川助教授と教え子の学生・西之園萌絵が殺人と遺体消失の謎に迫ります。

 

このシリーズの特徴は何といってもミステリーに対して理系的なアプローチで解決を試みること。(その為理科や数学が好きでない方には「謎解きしたい読者にとってフェアじゃない」と感じられるかもしれません。)

犀川と萌絵は工学部に所属しており、根っからの理系人間なので、殺人の動機よりも実行可能な手段を考える方向から謎解きを進めることが多いです。

犀川助教授は、非常に淡々とした印象のキャラクターで事件の謎ときにはあまり関心がない様子。(でも解いちゃう。)

一方で萌絵は何が何でも事件の謎を解きたくて、積極的に情報収集に走ります。(それで犀川よりも先に解きたい。)

殺人事件であっても感情を挟まずに、まるでパズルとか数学の問題みたいに事件を解きほぐしていくので、そこらへんが研究者目線というか、理系ミステリーと言われる所以かと思います。

主人公らのそういったキャラクターに人間味という点でちょっと引っかかる読者もいるかもしれませんが、そもそもミステリーという文学そのものがパズル的謎解きの要素を含んでいるものです。(ホームズだって事件に刺激を求めてますし。まあ、現代ほどの凶悪犯罪はホームズ物では見られない気もしますが。)

とにかく、二人がそれぞれに結論に達していくところは、今の私から見ればクリスティーのトミーとタペンスシリーズのようにも感じられて好ましいです。

 

また、この作品では手品師が何人か出てきますが、彼らが行うマジックの種を見破るという点での謎解きも含まれていて楽しめると思います。

 

さて、今回は"夏×ミステリー"ということで、この作品を選んだのは、夏休みに起きた事件のお話だからです。

事件の舞台となった奇跡の大脱出イリュージョンは夏の屋外イベントで、暑い中大勢が見物に詰めかけています。

大学は夏休みだけれど、萌絵も含めた学生たちは卒業研究で毎日のように研究室に来ている一方で、久々に帰省した友達と会ったり…大学の夏休みの日常が垣間見えます。

 

それを言うなら、S&Mシリーズ一作目の「すべてがFになる」も夏休みのゼミ合宿で訪れていたとある島の研究所で起こった殺人事件のお話なので、夏が舞台のミステリーなんですけど、孤立した島という密室がテーマなので、正直あんまり季節は感じないので選考外です。

まあ、夏ならではのトリックだとか、ミステリーにありがちな状況ってあんまり思い浮かばないので、"冬×ミステリー"ほどはしっくりくる作品って見つけにくいかもしれません。

 

・・・と言い訳はこの辺にして、この作品のストーリー以外の面白い点についても書きたいと思います。

まず、舞台が名古屋だということ。東京が舞台のミステリー作品は山のようにありますし、山村美紗さんの作品で京都もミステリーの舞台として定着した感があります。

トラベルミステリーで全国の様々な地がミステリーの舞台になりましたが、探偵のホームグラウンドという意味では、名古屋というのは当時の私にとっては新鮮でした。

物語の中で、実在の名古屋のいろんな場所が出てくるので、名古屋近郊にお住まいの方であれば知っているところも多いのではないでしょうか。(もう30年くらい前の小説なので、変わっちゃってるかな???)

 

書かれた時代が1990年代ということもあり、携帯電話が少しずつ普及しつつあった頃で、当然スマホはまだないので、現在の大学生の日常とはちょっと違う、時代を感じる場面があるかもしれません。自分が読んでいた頃は違和感なく読んでましたけど、やっぱりスマホのあるなしは大きいよなあ…。

 

もう一つは、この作品には奇数の章しかないという、ちょっと変わった作りになっているということ。

実はシリーズ7作目とこの作品は同時期に起こった事件であり、二つの物語は時系列的に並行しているので6作目は奇数章のみ、7作目は偶数章のみという作りになっています。

だから、「幻惑の死と使途」ではお話としては関係ない登場人物とのエピソードがちょこっと入っていたりする。

けれど、基本的に二つの物語は干渉しあわないので、片方だけ読んでも何の問題もありません。

作者の仕掛けが面白い作品です。

 

最後に、私が持っている講談社文庫版の最後には、二代目引田天功さんが文章を寄せていらっしゃいます。

若い世代の方はご存じないかもしれませんが、引田天功さんといえば日本においてマジックショーをイリュージョンへと進化させたマジシャンの一人だと私は思います。本作の有里匠幻が脱出マジックの名人だったこともあり、引田天功さんの言葉が載っているのは嬉しいサプライズだと思います。

 

個人的には、このシリーズでは謎解き部分を楽しむというよりは日常部分を楽しんでいる自分がいたりします。

主人公の一人、萌絵と自分の間には何の共通点もない(あ、性別があったね。)と言っていいですが、書かれている時代が自分の学生時代とかけ離れていないせいか、作中で書かれている、研究室での餃子パーティだとか、パソコンを立ち上げてメールをチェックするとか、テレビ番組で派手な脱出ショーをやるとか…そういった出来事に時代を感じさせられてしまって、懐かしい気持ちにもなります。

他にもその時代に書かれた学生が主人公の小説はいっぱいあると思いますが、その時代にリアルで読んでいた本なので、当時の自分の記憶も一緒に出てくるんだろうと思います。

ですので、読んだ人がみんな私みたいにノスタルジーに駆られるわけではないということをご承知おきください。

 

ちょうど世間では夏休みです。おすすめいたします。(*^▽^*)

七月の閑話休題です。

 

2025年7月のテーマ

「旅を感じる本」

 

でおすすめしてまいりました。

 

今回はあえてミステリーを外してみました。

トラベルミステリーはすごくたくさんあって、書くなら"トラベルミステリー"のテーマでやった方がいいくらいだと思いまして…。

それはさておき、旅がモチーフの作品は"非日常"を感じられるのがやっぱり魅力かなと思います。

ファンタジーや時代劇、SFなんかも非日常だし、なんなら小説の物語自体、自分の生活からすれば非日常なんですけど、そういうものと違って旅は自分でもやろうと思えばできるっていうところが身近というか。(物語の中のような旅ができるという意味ではありません。)さあ出かけよう、と行動すれば新しい体験ができるわけですので、情景描写からイメージも膨らむってもんです。

 

では、タイトルの「最近ネット検索で心配していること」のお話にまいりましょう。

この話題、書こうかどうしようかずっと迷っていて、やっと書く決心がついたので今月書くことにしました。

自分の中で何が引っかかっているのかうまく説明できる自信がないので、要領を得ない話になってしまうかもですが、お許しを…。

 

最近スマホでネット検索(Google)したときに、検索結果の一番先頭に"AI概要"なるものが表示されます。

スマホの機種や契約している通信会社、検索エンジン(Google以外)によって違うのかもしれないので、AI概要なんて見たことないという方もいらっしゃるかもですが…。

要は、検索キーワードに関して大体のことをAIがまとめてくれたもの、ってことのようですが、この内容が信用ならんのです。

 

5月に下の記事を書こうとした時に、タペンスの父親の正しい役職名が知りたくて検索したんですが、その際に、AI概要に書いてあることが間違いだらけでした。

 


 

今回の閑話休題でこのことを書こうと思って再度同じ検索をしてみたら、やっぱりおかしい。しかも検索回数を重ねるごとに出す答えが変化していってる!

 

 

「言及されていません」(=記述がない)って、でたのに、その次には、

 

 

「具体的な情報は、作中では詳しく描かれていません」(=記述はあるかもだけど具体的には不明。)になって、(ちょっとごまかした感出てきたぞ。)

 

 

 

タペンスの名前もおかしい。英語読みじゃないでしょ、絶対。

それに「終わりなき夜に生まれつく」はトミーとタペンスシリーズじゃないです。

 

 

 

 

↑これは完全にタペンスの名前間違ってます。

 

↑極めつけがこれ!

 

実際は、カウリイ大執事がタペンスの父親です。

大執事というのは教会の役職らしいです。

("神と教会員に使える者という意味の信徒職"とウィキペディアにはありました。)

いわゆる執事ではない。

しかも、この文脈だと、AIは"父親"の意味をちゃんと理解していないとしか思えません。

そのくせ、情報をそれらしく文にまとめている。

 

そう、AIってそういうもんですよね。今のところ。

(いろんな種類のAIがあると思いますが、ここではネット検索時に情報をまとめて表示するAIのことです。)

 

ネット上の情報を学習して、総合的に情報を文章にまとめて出力しているだけ。

人間にはできない膨大な情報の取り込みをやってのけている点はすごいですが、真偽不明の書き込みや、フェイクニュース、個人の想いや感想が多く占めるネット空間での情報収集って実は全然信用に足るものではないんじゃない?と思ったわけです。

 

今回の私の場合はたまたま、知っている情報の補強情報(しかもすごく細かいこと)を検索しようとしたので、間違いっぷりがすぐに分かったわけですが(そして憤慨したわけですが)、知らない情報について検索して、いっぱいリストが出てきたら、どれから見ればいいかわからない。

そんな時に一番トップにAIが概要を載せてくれてたら、疑わずにその情報を受け入れてしまいそうな気がします。

だからこそ、怖い。

多くの人が私と同じように、疑わずに情報を受け入れてしまう状況に陥るだろうと予想できるからです。

それが心配です。

いっそのことAI概要なんて出さないでくれませんかね。それが一番いいと思いますけど…。

 

多分、「タペンスの父」で誤った情報ばかり出てきたのは、AIの学習範囲がネットの情報であり、クリスティーの書籍の中身を学習できなかったためではないかと思います。

デジタル書籍はたくさん出ていますけど、無料で読めるものは限られているし、果たしてAIの学習に無料で読めるデジタル書籍の内容を取り込んでいるかは分かりません。

また、世界規模で考えてみても、デジタル化されている書籍よりまだされていない書籍の方が多いんじゃないでしょうか。

つまり、本を読むことができないAIとクリスティーの本を何度も読んでいる私とでは、この検索ワードに限っては私の情報量の方が圧倒的に多かったわけです。(えっへん。)

 

ちなみに、AI概要以外に検索で引っかかったページもいくつか読みましたが、タペンスの父の正式な役職名は出てこず(そもそもタペンスの父に関する記述すらなく)、仕舞い込んであったクリスティー文庫「秘密機関」を出してきて書いてあるページを探して見つけました。

と、いうわけで、最後に貼り付けた"カウリイ大執事"に言及しているAIの回答は、ひょっとしたら私の記事から学習した情報かもしれません。(確証もないのに再度えっへん。)

(なんでだろう…AIよりよく知ってたぞってちょっと自慢したくなってしまう。AIにマウントとってどうする!冷静になれ、自分!)

 

皆さんはネットの検索エンジンやAI(チャットGPTみたいなものも含めて)を私よりも上手に活用されていると思いますが、昭和生まれのアナログ大好き人間としては昨今の技術に未だ懐疑的…。

・・・うまく使えてないからブーブー言ってるだけかもしれません。

あと、私が書いているこのブログだって、間違えたことを書いてしまって訂正を入れたことがありますので、AIの間違いをつべこべ言える立場じゃないだろと思わなくもないですが、人間とAIとでは処理能力や記憶量が桁違いなので、社会においてAIの方が信頼度が高くなっちゃうこともあり得ると思うんですよね。(今のところどうなってるのか私にはわかりませんが。)

その分(信頼性が高いと思われているものが)間違った情報を流すのは罪…と考えてしまうのは私が狭量なんでしょうか。

ああ、思考がおかしな方向に行き始めて収拾がつかなくなってきましたので、ここら辺にしておきます。


まとめると、

 

ネット検索のAI概要はテキトーだから信用しない!と私は思っています。

でもうっかり信用しちゃうかもしれないと心配しているので、AI概要が出ないようにしてほしい!

 

というお話でした。長くなってすみません。

 

さて、来月のテーマにまいりましょう。

 

2025年8月のテーマ

「夏×ミステリー」

 

でおすすめしたいと思います。

以前に、「冬×ミステリー」というのをやったことがあって、いつか夏もやってみようと思っていたのと、7月のテーマからトラベルミステリーを外したので、ミステリー欲が高まってしまって…。

夏らしい、とまではいかないかもしれませんが、夏が舞台のミステリーをおすすめしたいと思います。

気が向いたら覗いていただけると幸いです。(*^▽^*)

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2025.7.25 訂正
教会の大執事という職を勘違いして"聖職者"と記載していました。
正しくは神と教会員に使える者を意味する信徒職だそうで、聖職者ではありませんでした。(ウィキペディア調べ)
謹んで訂正いたします。申し訳ありませんでした。
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2025.9.26訂正
教会の執事という職はプロテスタント教会の役職で、カトリック教会の助祭にあたるようです。
私は信徒職という言葉を"信徒の中から教会に協力するリーダー的な人に与えられた役職"みたいに解釈してしまっていましたが、実際は、"神だけでなく信徒にも尽くす(信徒のためのあれこれを担う)聖職者"みたいな意味の言葉だったのだと思います。(ウィキペディア他、ネット上の辞書に書いてあったことからの私の解釈です。キリスト教の組織的な色々は複雑で理解が追い付いておりません。お許しを。)
本文中の文言は修正しておりませんが、"教会の大執事"は聖職者であると訂正させていただきます。
前回の訂正にて混乱させてしまい、誠に申し訳ありませんでした。
 
訂正に至った詳細は、以下の記事にて書いてあります。
 

2025年7月のテーマ

「旅を感じる本」

 

第三回は、

「深夜特急」(全6巻)

沢木耕太郎 作、

新潮文庫、 1994年発行

 

 

 

 

 

 

 

です。

 

作家・沢木耕太郎さんによる紀行小説で、途中まで新聞に掲載されたのち、1986年に新潮社から本として刊行されました。

1992年に最終巻(第3巻)が出版され、その後文庫で6冊に分けられました。(ここら辺の経緯はウィキペディアで調べました。)

私が持っているのはこの文庫版。

表紙のデザインもかっこいい。

超有名な作品なので、読んだことある方も多いと思います。

大沢たかおさん主演でドラマにもなっていたので、そちらでご存じの方もいらっしゃるでしょう。

 

あらすじ…というか作品説明をば…。

作者自身の旅行体験をもとにした小説で、主人公の<私>インドのデリーからイギリスのロンドンまでバスを乗り継いで行くという旅の模様を描いた作品です。

当初は日本からデリーまで直行便で行く予定でしたが、途中2か所のストップオーバーが認められる航空券を手にしたことをきっかけに、香港とタイのバンコクにも立ち寄ることになります。

"立ち寄る"って書いてるけど、香港からインドのデリーに行くまでの道中にかなりの時間を費やしていて、ここだけで文庫本で2冊分(…単行本だと1冊分かな?)になります。

道中で出会う人々との交流、その土地の文化、食べ物など、たくさんのエピソードが、旅の臨場感たっぷりに語られています。

 

私がこの作品を初めて手に取ったのは90年代。

文庫版が出版されて本屋さんで平積みされていた頃だったと思います。

当時学生だったせいか、周囲にこの作品を読んだという人は割と居ましたし、この作品の主人公のような旅をしてみたいと口にする人もちらほらいました。

作品の刊行された年が1986年なので、小説の元になった作者の旅は80年代前半か70年代後半辺りに行かれたものだと思われます。私が読んだ時点で少なくとも10年は前の旅でしたが、これから香港やインドに行ってもこの本に書かれているような情景が広がっているのだろうと錯覚していました。

 

この小説で描かれている旅は、「バスを乗り継いで陸路で大陸を移動しロンドンまで行く」というものです。

ルートやなんかの計画を細かく決めているわけではなく、成り行き任せともとれる自由な旅。

放浪の旅ではないけれど、バックパッカーの旅と言っていいと思います。

それゆえに、訪れた土地でちょっと立ち止まってみたり、地元の人と交流したり、観光旅行とは違う経験がたくさん書かれています。

 

私自身はこの小説のように外国を一人旅するような勇気はありません。

女一人で外国旅行、しかも観光地とかではないルートをとっていくなんて、怖くて行きたいと思えません。

だけど、いやだからこそ、「深夜特急」で知らない土地のあれこれを読んでほんの少しその経験を分けてもらえたような気分がして、夢中で読みました。

今でも覚えているエピソードが、

"お茶"をアジア圏では"Cha"と発音し、ヨーロッパ圏では"tea"または"te"と発音する。

この発音が変化したときに、ここからはアジアではなくヨーロッパなんだと感じた…というようなお話。

地図上に引かれた線などではなく、体感として文化の境目を感じられるというのは貴重だと思ったのを覚えています。

小説の中では重要でも何でもないエピソードなんだけど、そういった小さな気づきやら主人公の考えたことなんかを読むのがとても面白くて、日常生活では感じられない"異邦人としての自分"というものを作品を通して感じられていたのかなと思います。

 

私が読んでいた頃からはさらに時間が経って、今この小説を読んだ人は、この旅路が昔の風景なんだなとどこかで意識して読み進めることになると思います。

それこそ、時空を超えた旅です。

80年代のアジアからヨーロッパまでの道のりは、今とは違うもののはず。

それでも、文章から伝わる臨場感は変わらないと思うので、80年代の世界を旅する感覚を味わえるんじゃないかと思います。

 

最後に、今回記事を書くにあたって調べていたら、2023年にTBSラジオで斎藤工さんがこの「深夜特急」を半年にわたって全編朗読されたというのを知りました。

なぬー、私が書くまでもなく「深夜特急」が再び注目を浴びていたとは…。

ある程度の年齢以上の方には多分懐かしいこの作品。

読んだことない方にはぜひ読んでいただきたい。おすすめいたします。(*^▽^*)