九月の閑話休題です。

 

2024年9月のテーマ

「ちょっと怖い本」

 

でおすすめしてまいりました。

来月のテーマを考えているときに、「しまった!ハロウィンのある10月にこのテーマにすればよかった。」と後悔しましたが、時すでに遅し。

しかしながら、ラインナップを振り返ってみるとハロウィンを連想しにくい作品ばかりになっていて、変に季節感とか意識しなくても良いのかなと思いました。

オカルトファンタジーやミステリー、サスペンスの作品が好きなので、怖いなと思う作品にも割と触れているんじゃないかと思うのですが、最近は、私にとって衝撃が強すぎると予想される本は基本的に読みません。

 

昔は鈴木光司さんの『リング』や、映画『ハンニバル』の原作小説なんかも読んだことあるんですけど、年を重ねてくるにつれ、刺激の強いものが段々と苦手になってきました。いや、刺激が強いというよりは、生々しい表現が苦手なのかも。

なので、自然と"精神的に怖い"という作品ばかりになってしまいました。

でも、読み始めた本のほとんどは最後まで読むので、読み始めてしまうと苦手だなと思いながらも最後まで読んでしまうかもしれません。(途中で読むのをやめてしまう本もあります。)

その辺りは、自分のメンタル次第なんじゃないかと思います。

 

さて、タイトルの話とまいりましょう。

最近"読書迷子"になっています。

以前なら、興味を持った本を一冊読むと、連鎖的にそのジャンルの本(もしくはその作者の本)を何冊か立て続けに読んでいたんですが、最近読んでいる本のジャンルがとっ散らかっていて、自分の興味がどこに向いているのかわからなくなってきてしまいました。

その結果、普段より本の世界に没頭できていないな~と感じる始末です。

すごく伝わりにくいと思うので、具体的に今読んでいる本のジャンルを下に挙げます。

 

・本屋さんで平積みされているベストセラー青春小説

・文学賞をとった海外の小説

・集めているコージーミステリーシリーズの最新刊

・有名海外ファンタジーの関連本

・名作古典文学

 

これらの本をその時の気分であっちを読んだりこっちを読んだりという感じで細切れに読んでいて、どれも興味あるんだけど、どれにも没頭できていない、なんか中途半端な感じでふわふわしていて、自分としてはすごく気持ちが悪いです。

何か月か前まではすごく本が読みたくてはかどってたのに、これって燃え尽き症候群みたいなものなんでしょうか。

今まで、2,3冊くらいは並行して読むのは珍しくなかったですけど、大抵、そのうちの一冊に没頭して早々に読み終わり、読み終わったジャンルの次の本を探しつつ残りの本に移っていっていたんですが、なかなかそうはならないので落ち着かない気分です。

ちょっと読書をお休みしてみるのも手かもしれないなと、書いていて思いました。

全くの私事をこんなところで一人語りして申し訳ありません。

 

それでは、来月のテーマとまいりましょう。

 

2024年10月のテーマ

「目線で印象が変わる本」

 

多くの本に言えることですが、読み手がどういう目線で読むかによって、読後感やその作品から受け取ったものが変わってきますよね。

広い意味でいえば、ほとんどの本がそうだと思います。

でも来月のテーマで取り上げるのは、それが顕著な作品。

二つの対立する立場だったり、考え方や価値観があって、読者がどちらに寄り添って読むか、はたまた傍観者として中立の目線で読むかによって、全然違った感想になると思う本をおすすめしたいと思います。

そういう本って、読んでみると今の自分の考え方や立ち位置が自覚できたりもするし、自分の考え方に近くない方の立場になって考えてみることもできるので、何というか、「考えさせられる本」だったりすると思います。

来月も、ご興味ありましたら覗いていただけると幸いです。(*^▽^*)

 

2024年9月のテーマ

「ちょっと怖い本」

 

第三回は、

「東京異聞(とうけいいぶん)」

小野不由美 作、

新潮文庫、1999年発行

です。

 

では、あらすじをば。

明治時代の帝都・東京で、夜の闇の中、あやかしに襲われるという事件が多発。

高所に火だるまで現れて人を殺した後消えてしまう火炎魔人に、長い爪で夜道を歩く人を引き裂く闇御前。夜は魑魅魍魎が跋扈する世相となっている。

新聞記者の平河新太郎はあやかしが起こしているとされた事件の真相を探っていく中で、とある青年にたどり着く。名家の当主である青年の周囲ではお家騒動が起こっていた。

果たして、事件の真相は、巷でうわさされる化け物の仕業か、はたまた人の心に巣くう魔物の仕業なのか…。

妖しくも美しいオカルトミステリーです。

 

私が初めて小野不由美さんの作品を読んだのは十代の頃。講談社ティーンズハートという少女向けライトノベルの文庫で出ていた「ゴーストハント」というオカルト小説のシリーズでした。

その頃は友達とライトノベルを貸しあっていて、そんな中の一つでした。

シリーズ5,6冊は読んだと思います。

 

その後大人になってから知人に「十二国記」を勧めてもらい、読んだらこれにあっさりはまりました。

ただ、その時はどっかでこの作者の名前見たことあるなあ…くらいで、「ゴーストハント」の作者と同一人物だとは気づいていませんでした。私の中で二つの作品の間にだいぶ隔たりがあって、もしかして「ゴーストハント」の作者じゃないか?と思ってからも長い間その考えを疑っていました。

(「十二国記」がファンタジーで、オカルト要素もホラー要素もなかったからだと思います。私的にはホラーが苦手で、「ゴーストハント」はオカルト、なんならホラー小説だと思っていたので。)

当時はまだスマホが普及していなかったので、思いついたタイミングですぐに検索できるような環境ではありませんでした。

とはいえ、インターネット自体はあったので、パソコンを使えば調べられましたが、その疑問にあまりこだわりがなかったので放置していました。

 

「十二国記」をその当時出ていた分読破した後、何かのタイミングで新潮文庫から出ていた「魔性の子」「東京異聞」を読み、"あ、やっぱり「ゴーストハント」の小野不由美さんだった…"と思った次第です。

 

「東京異聞」はオカルト、ホラーの要素がたっぷりで、そこにミステリーの要素が絡まってきて、ミステリー好きの私には、そこが魅力的だったんだと思います。

今思えば、読み始めは夢枕獏さんの「陰陽師」みたいにオカルトファンタジーのつもりで読んでいたのだけれど、ミステリー要素が濃くなってくるといつの間にか横溝正史さんの"金田一耕助シリーズ"を読んでいるみたいな感覚になってきて(実際には映像作品でしか観たことないんですけど)、おどろおどろしいんだけれど、人間がどうやって不可思議な犯行をやってのけたのかという方向に思考が傾いてしまったり。

あやかしは存在する、存在しない、の間で揺れ動いてしまったので、うまく作者のてのひらで踊らされて作品を堪能したと思います。

 

読んでからもう二十年くらい経っているので、実は内容ももう大筋くらいしか覚えていないのですが、それでもぞくっとした場面というのを今でもいくつか覚えていて、強く印象に残っています。

なので、「ちょっと怖い本」というテーマで考えた時に、すぐに候補に挙げた作品になります。

ちなみに小野不由美さんの「ゴーストハント」は今リライト版が出ていますので、こちらをご存じの方の方が多いのではないかと思います。(漫画化もされているようですね。)

他にも、「屍鬼」とかオカルト、ホラーの作品をたくさん書かれているようですが、私はそっち方面の作品は全く読んでいません。怖いもん。

 

怖いの苦手な私ですが、「東京異聞」はオカルト、ホラーとミステリーの両方が楽しめる小説です。

おすすめいたします。(*^▽^*)

 

 

 

 

 

 

2024年9月のテーマ

「ちょっと怖い本」

 

第二回は、

「ジーキル博士とハイド氏」

スティーヴンスン 作、村上博基 訳、

光文社古典新訳文庫、2009年発行

 

 

です。

 

この本の解説に、『あまりにも有名すぎて、かえって読まれることの少ない名作というものは、世に少なくない。』とあります。

 

全くその通りで、私自身これまでこの本を読んだことはありませんでした。

"ジキルとハイド"(ジキルはジーキルと発音するのが正しいらしいです。)という言葉が二重人格だとか、人間の二面性を表す言葉として、もはや慣用句のように使われているので、原作を読まなくても大体の内容はわかってしまうというのが物語を読もうという気をそいでしまうのだろうと思います。

 

この本をホラー小説と位置付けてしまっていいものか、私にはわかりません。オカルトというのもしっくりこないし、サスペンスというのもちょっと違う。怪奇小説というのがまだイメージに近いかもしれません。ただ、この本を読んだとき、私が恐ろしさを感じたのは確かで、それをハイド氏が"怪物"として描かれているからだと単純化するのは腑に落ちないのです。

 

内容を良く知られている物語ではありますが、まずはあらすじを。

慈善家として名高い医師・ジーキル博士の友人である弁護士のアタスン氏は、街中で少女を踏みつけて平然としている男・ハイド氏の話を、旧友から聞きます。

ハイド氏はジーキル博士の家に自由に出入りしており、ジーキル博士はことのほか彼に配慮している様子。

友人として心配になったアタスン氏は、ハイド氏のことを調べ始めます。ハイド氏の悪徳ぶり、凶悪ぶりを知っていくうちに、とうとうハイド氏による殺人事件が起こってしまうのです。

 

ジーキル博士とハイド氏がその後どうなっていくかは物語を読んで確かめてもらうとして、問題は、なぜハイド氏が生まれたのかということです。

ここから先はネタバレを含んでしまうので、本来なら書かないのが筋なのですが、物語があまりにも有名なので、ほとんどの方が大体の内容を知っているという前提で、今回は書こうと思います。

その結果、「え、思ってたんと違う!?」となる部分もあると思うので、そこから興味を持っていただけるんじゃないかと思うので。ネタバレ禁止の方はここで引き返してくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

ジーキル博士は生まれつき二重人格だったわけではありません。

人間の良い面と悪い面を分離する試みの結果、ジーキル博士の人格の暗い部分がハイド氏になった…というわけです。

人間にはいろんな面があって当たり前だと思います。どんなに高潔な紳士であっても、その人生において、人を憎む気持ちが全くない、常に自分のことよりも他人のことを優先して考えるような人はいないでしょう。

おそらくどんな人だって、自分がつらい状況にある時は物事を悪くとらえてしまいがちになるでしょうし、愛する者に害をなすような相手に対しては警戒したり憎んだりしてしまうこともあると思います。

そもそも人間を善悪の二面性だけで語ろうとすることが間違いなのでは?と私なんかは考えてしまうのですが、ジーキル博士は高潔な行いを心がけ実践している自分の中にも、悪徳に惹かれる気持ちがあることを認めていて、相反する気持ちを善悪ととらえたようです。

 

ハイド氏が生まれた結果、あろうことかジーキル博士は一時の解放感に浸り、段々とハイド氏でいるときの快感に抗しきれなくなっていきます。ハイド氏はジーキル博士の分身ですが、顔つきや体格まで変わってしまうため、同一人物とは誰も気づきません。

ハイド氏が世間で悪徳とされている場所に出入りしたり、暴力をふるって人を傷つけたりしても、ジーキル博士はジーキル博士でいるときにその償いを十分にするようにしており、それでプラスマイナスゼロだとさえ思っているのです。

 

ハイド氏が取り返しのつかないあやまちを犯してしまった後は、さすがに苦悩するようですが、私には、前述したジーキル博士の心理がとても恐ろしく感じます。

ジーキル博士にはもともと悪に惹かれる気質があったのに、それを押し殺していた結果、その気質が解放されたときに歯止めがきかなかった…と解釈するのは短絡的だと思うのです。

 

一つの面しか持たない人はいません。状況次第では誰でも"望ましくない自分"が出てくることがあるだろうし、望むと望まざるとにかかわらず、自分のとった行動や選択の責任は自分に降りかかってきます。

ジーキル博士は、ハイド氏の行ったことについてはある意味で"自分"ではないとして、責任を取らなくてもよい立場に自らを置いています。"自分"ではないので、ハイド氏が悪徳の行いで得る精神的な快楽だけを楽しんでいるのです。

それを思うにつけ、『自分が責任を取らなくてもいい状況ならば、人間は悪辣なことも平気でやってのける』ということの一例のように感じるのです。だからこの物語を、"ジーキル博士個人に起こった悲劇"というとらえ方ができませんでした。

 

もちろん、実際には、途方もない試みをやってのけたジーキル博士の物語なわけです。

人が見ていようが見ていなかろうが関係なく自分の信念に従って行動を変えない人もいるでしょう。

この作品を読んだからと言って、人間性をそこまで悲観することはないのです。

 

ただ、この作品が出版当初からすごい反響をよんでベストセラーになったことや、作品を読んでいなくても「ジキルとハイド」という言葉の指す意味が通じる現在の状況を鑑みると、この作品の読者は知らず知らずのうちに自らの中にも暗い一面が潜んでいると感じてしまうのじゃないかと思うのです。

 

人は誰でも誘惑に弱くなってしまうことがある。そんな時が訪れたらと思うとなんだか落ち着かない。

ハイド氏の行動がエスカレートしていくにつれ、読者自身も不安になってしまうのかもしれません。

ハイド氏については、フランケンシュタインやドラキュラと同列に"怪物"という扱いをされているのを映画なんかで観たことがありますが、本当の"怪物"はジーキル博士の方だったのではないかと私は感じました。

 

というわけで、私にとってこの本は「ちょっと怖い本」だったわけです。

ジーキル博士とハイド氏の結末を是非とも読んでみてもらいたいと思います。おすすめいたします。(*^▽^*)

2024年9月のテーマ

「ちょっと怖い本」

 

第一回は、

「百鬼夜行抄」

今市子 作、

朝日コミック文庫(ソノラマコミック文庫)、1995年~発行

 

 

 

です。

 

2024年4月の時点で、Nemuki+コミックスから単行本31冊、朝日コミック文庫から文庫本20冊が出ています。

(出典:Wikipediaより)

私は、ソノラマコミック文庫版で買い始めて、新しい巻は朝日コミック文庫版で持っています。

 

それでは、あらすじ、または概要を。

この世ならぬもの、妖が見える不思議な力を持っていた幻想小説家・飯島蝸牛(いいじまかぎゅう)の孫たち、飯島律(いいじまりつ)、飯島司(いいじまつかさ)、広瀬晶(ひろせあきら)の三人は、祖父の力を受け継いでこの世ならぬものを見る力を持っている。

主な主人公である、律は祖父の住んでいた家で祖母と母、そして心臓発作で一度死んだ後息を吹き返して以来、人が変わってしまった父と四人で暮らしていた。

実は父の中には、祖父の使い魔だった妖怪の青嵐(あおあらし)が入っており、庭の桜の木には律自身の使い魔となった尾白(おじろ)・尾黒(おぐろ)という二羽の烏天狗(?)みたいな妖魔が住み着いている。

能力を持つがゆえに、妖怪や妖魔と関わってしまう三人の周りで起きる怪異の数々を描いたホラー・ミステリー漫画です。

 

メインの主人公は第一巻では男子高校生だった飯島律。従姉妹の飯島司と広瀬晶は律より年上の女子大生で、彼女たちメインのお話もあります。

祖父・飯島蝸牛には子供が7人いて、うち一人が早世、一人は若くして行方不明になっています。

孫たち三人に力が受け継がれているだけでなく、子供たちにも多かれ少なかれ、この世ならぬものを感知する力が備わっており、ある者は無自覚にそういったものと接しながら気づかず、ある者は意識的にそういったものを避けて生きています。

孫世代には晶の弟もいますが、彼はあまり力がなく、父親世代の人たちと同様に普通に生活しています。

 

これら飯島家の人たちの周囲に巻き起こる怪異の数々が面白くも恐ろしいのです。

 

この漫画は、絵柄が美しく、表紙のカラー絵などは眺めているだけで楽しいですし、コミカルな場面も散りばめられていますので、いわゆるおどろおどろしいホラー漫画ではありません。

グロテスクな描写や、狂気を感じさせるキャラクター設定だったり、心をざらつかせるようなパワーを放出する絵柄ではないのです。

それゆえ、読む人によっては全く怖くない漫画だと思います。

 

しかしながら、私にはこの漫画は怖い。日本人ならなじみがある、妖怪や自然の中にいる神様、人の怨念…。形には見えない大いなる力…。日常生活の描写の中に、それらが存在するという恐ろしさを感じるのです。

目に見えないけれど、すぐ隣にある、すぐ隣にいる、そうした存在が怖いのです。

それでも読んでしまうのは、作者のあたたかい絵柄と、時にコミカルだったり優しかったりするお話が入っているから。

怖い方のお話では、例えば田舎のバス停留所で雨宿りをすることになった人々…時間がたつにつれてだんだんと違和感がでできて、これらの人は本当に人間なんだろうか…というようなものや、人ならぬものに付きまとわれ追いかけられるお話など、心臓がひやっとしたり、背筋がぞくっとする感じのものがたくさんあります。

一方で、コミカルなお話の方では、尾白と尾黒が一本の木をどちらのものか争うお話だったり、神様の行列が通るから邪魔にならないように避けるというようなお話だったり、くすりと笑ってしまうようなものもあります。

 

何というか、怖さとユーモアの緩急のつけ方が良いのです。

ちなみに、私のお気に入りキャラは、祖母の八重子(やえこ)と律の母の絹(きぬ)です。

八重子は妖魔など全く見えないし感じないタイプで、見えすぎる蝸牛とは対照的な人。

また、少々の不思議はスルーして平気なメンタルの持ち主で、彼女がいるから飯島家は回っていると言っても過言ではないと私は思っています。祖父とのなれそめのお話もあって、いいなあと思いました。

また、母の絹は最も祖母の資質を受け継いだ子供だと思います。

つまり、少々の不思議なことはスルー出来るってやつです。おっとりしていて、人が変わってしまった夫(中身は妖怪)に対しても、生きていてくれただけで本当に良かったと受け入れています。

この親子は自宅でお茶やお花を教えていて、それで収入を得ていますが、生徒の中には人ならざるものが混じっていることもあったりして…。

 

私はどちらかというとコミカルなお話の方が好きで読んでいるので、テーマとは異なり、怖い方のお話についてあまり書かないでしまいましたが、相対的にはぞっとする話の方が多いと思うので、やはりこの漫画は「ちょっと怖い本」なのです。

心理的な"怖い話"に興味がある方、私とは感じ方が違うかもしれませんが、どのくらい怖いかはご自身で確認してみてください。おすすめいたします。(*^▽^*)

 

八月の閑話休題です。

 

2024年8月のテーマ

「あんまり読む人いないかも…戯曲の本」

 

でおすすめしてまいりました。

戯曲の本って、私自身読んだ数が少ないし、そんなに書くことないかもなって、ちょっと頭をよぎったりもしたのですが、書き始めると意外と思い出す作品もあったりして、記憶の棚の奥深くに仕舞い込まれていた情報が久々に取り出されたというか…"脳活!!"(脳トレの間違いかな???)って感じでした。

また、舞台ありきで書かれているので、普通の小説などよりは制約も多いはず(舞台で再現することを想定した場の設定だとか)と私は考えていたんですが、「ハリー・ポッターと呪いの子」などは場の転換も多いし、スケールの大きなお話もあるなあ…と気づかされました。

 

思い起こせば初めて読んだ戯曲は多分、イプセン「人形の家」シェイクスピア「じゃじゃ馬ならし」

どちらも小中学校で推薦図書の注文受付があったときに、申し込んで買ってもらったもので、毎年推薦図書のラインナップは変わるので、どちらが先に買ったものかはもうわかりません。(記憶が定かではないのに思い出話書いてすみません。)

 

うちでは児童書はいただいたものが中心で、あまり買ってもらいませんでした。本は図書室で借りるものだったのです。

でも学校からくる推薦図書の注文封筒は別。欲しい本を一冊注文させてくれました。そのため、超読みたい本でなくても、タイトルが気になるとか、作者の名前知ってるとかで選んでました。

その結果が、先に挙げた二冊、というわけ。

注文書には戯曲なんて書いてないから、何にも知らずに申し込んで、手元に来たものを開いたら台詞とト書きの本だったのでびっくりしたのと、あまりすぐに読まなかったことだけ覚えています。そもそも、タイトルと作者だけのリストで、内容もよく知らずに注文してたもんな~。「人形の家」はさわりだけ読んで投げ出した気もしてきた…。

 

思い出話はこの辺にして、タイトルの"「『華氏451度』の世界が現実に!」と思ったこと"の話にまいりましょう。

少し前のことですが、SNSで、イヤホンをつけたままラーメンを食べているお客さんに対して、意思の疎通が妨げられるのでできれば取ってほしいとラーメン屋さんが書き込まれていた…というようなニュースが流れました。(ニュースの細かい内容がうろ覚えなので、間違っていたらすみません。)

その時に、「『華氏451度』の世界が現実に!」と思った…というのが今回のお話です。

 

まず前提として、『華氏451度』というのはレイ・ブラッドベリの超有名なSF小説で、以前、私も記事に書いたことがあります。

 

 

この小説の中の人々は、大半が《巻貝》と言われるイヤホンをつけていて、のべつ幕なし放送を聞いており、自宅のリビングには壁一面映し出されるモニターがあって、離れたところにいる知人たちとリモートでつながり、一緒に演劇をしたりしています。

くだんのニュースを聞いたとき、"私たちはとっくに《巻貝》を当たり前のように使用する社会に生きているんだ"と気づいて愕然としてしまいました。

遠くの人たちとつながって一緒に冒険を楽しむソーシャルゲームは、小説の中のモニターでつながって行う演劇と、"役割を演じる(ロールプレイ)"という点でよく似ています。

 

ちなみに、2,3年前にも同じことを感じたことがありました。

コロナでの自粛生活期間に紹介されたストレス解消のための施設の一つに、古くなった家電や瓶などをバットやハンマーで殴って壊す、というコンセプトの施設が紹介されていたのをみた時です。

 

この小説の世界で、まさしくストレス解消の施設として登場しています。

もしかしたら小説を知っている方がそこから着想を得て施設を作られたのかもしれません。が…だとしたら、私にとってはひどく悪趣味に感じてしまいます。未来のディストピアで人々を飼いならすためのシステムの一環として描かれているからです。

 

以前の記事にも書きましたが、この作品が描く世界は、私にとっては暗黒の世界。まさにディストピアなので、作品の中の世界と現実の今の世界が共通すると感じることに、何やら危機感を抱いてしまうのかもしれません。

自分でもちょっと過敏に反応してしまうなと思っています。

 

ただ、1953年に書かれたこの作品の中に登場した世界今の世界がずいぶん近いと感じたことで、改めて作者の慧眼に驚かされましたし、作品を通じて作者が当時の世の中に警鐘を鳴らそうとしていたことを思い起こすと、今の世の中に対する不安や怖れを掻き立てられました。

 

というわけで、一人で不安だーと思っていても仕方ないので、ちょっと気持ちを吐き出させていただきました。

それにしても、「華氏451度」という作品は私の中で何やら特別な位置を占めているSF小説らしいです。

 

それではそろそろ来月のテーマとまいりましょう。

 

2024年9月のテーマ

「ちょっと怖い本」

 

でおすすめしたいと思います。

いやー、怖い本はあんまり好きじゃないんですけど、ミステリーホラーとかいろいろジャンルもありますし、先日ちょっと怖いテレビゲーム(面白そうだけど自分では絶対やらない)のさわりをみる機会がありまして、思考がそっち方面に寄ったと思われます。

といっても、私の"怖い"が他の方にとって"怖い"とは限らないわけで…「なんだ、全然怖くないじゃん。」と思われる作品をおすすめしてしまう可能性大なんですけど、そこは暗黙の了解をいただきたく…よろしくお願いいたします。

ご興味ありましたら、またのぞいていただけると幸いです。(*^▽^*)