加藤人美さん、インタビューさせてください  | 絵本読み聞かせ講師・上甲知子「絵本で子育て講座」出前します【小田原 湘南 横浜 静岡】

絵本読み聞かせ講師・上甲知子「絵本で子育て講座」出前します【小田原 湘南 横浜 静岡】

絵本の読み聞かせを味方につけると子育てはもっと楽しくなります
「読み聞かせなんてめんどくさい」という方も、簡単に楽しくできるときだけ続けられる「絵本で子育て」をお伝えします



加藤人美(かとうひとみ)さんにインタビューしました。




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このインタビュー内では、加藤人美さんを「ひーちゃん」と呼ばせていただきます。

ひーちゃんに初めてお会いしたのは、2015年8月
ばなな先生の 「おとなこくご」が最初かな

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ひーちゃんとは
2016年8月
山の日のイベントでひーちゃんのピアノとコラボで絵本を読ませてもらいました

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お外はいいなあ
というテーマでの松田山での絵本セラピーに参加してくれたこともありました
2016年11月

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わたしが先着3名様限定インタビューしたい企画をメルマガにて投げかけたところ
ソッコーお申し込みくださいました(ひーちゃんは2着)



なぜ、お申し込みくださったのかとの問いに
「とんちゃんだから」
とのお答えに気を良くし(笑)
早速、インタビューを開始します。

(そういう関係性もありインタビューは タメ口です)




ーお住まいと家族構成は?

河口湖にだんなと二人暮らし。
大学4年生の息子が車で1時間くらいのところに住んでいる。



ーご出身は?

北海道。

生まれたのは室蘭(記憶なし)
意識のないうちに(笑)札幌に引っ越し、
うっすら記憶のある頃に旭川に引っ越し、幼稚園卒園までいて
留萌市に引っ越し、小学校2年生まで
そこから小樽に引っ越し
最初住んだところは1学期のみ
2学期から同じ市内の端っこの別の場所に引っ越したため転校
6年生の1学期の終わりまでそこで過ごし
夏休みの間に函館に引っ越し
中2の終わりの春休みに帯広に引っ越し
中3から帯広に行き、高校卒業まで
そして上京した。



ーなにそれ。おかしい。

(笑)



ー小学校時代に強烈に覚えていることってなんですか?

たくさんありすぎるよ。
だってカルチャーショックの繰り返しだから。



ー安定した拠り所みたいなものは?

ない。



ーわたしは、住む場所を変えるという経験が圧倒的に少ないので、しかも子ども時代に! まったく想像つかない。
新しい集団に入るのはどういう風に?



新しいところに行くのが普通だったから
「あーまた、新しいところに行くんだ」っていう小学校時代。

世間に対して自分の考えを持つっていうことも、無意識に封印してた。
けれども相反してすごい自我が強いのね。

ひどい内弁慶で、外に出ると全然喋らない。

わたしは小さな頃から、状況を見て、口に出せないと判断していた。

小さな頃から人一倍敏感な部分は敏感で
「なぜ、そういう反応をされるか」って
子どもなりに考えて、危機管理能力を膨大に発展させてた。
自分を守るために。
自分が傷つかないためにどうしたらいいかということを常に考えていた。



ー当時はそういう子は周りにあまりいなかった?



いなかったな。今は情報発達してるからそういう子多いけどね。

「なんでみんな思ったことそのまんまズバンって言えるんだろう?」って疑問だった。

同時に、思っていることと裏腹なことを言ってる人はわかっちゃう。
なぜ大人は思っている通りに振る舞わないんだろう、と。



ー環境が作った性格的なものなのかな?



どうだろう? 母も叔母も、わたしを取り囲む女性って「遠慮の塊」だった。
配慮を超えた遠慮。
「あたしはいいから」ってどこまでも遠慮。
母は人とうまく交われない人だった。

わたしはとにかく手のかからない子どもだった。
ただ自我が強かったから母親に対してひどい反抗期もあったけどね。
だけど「この母親を守らなくちゃ」という気持ちは
小学校1年生くらいからあったね。

例えば、押し売りが来ても母は断れないから
「うちは要りません、そんなもの」と断ってた。
早めに大人になっちゃったんだね。

母は体が弱かったから、小学校1年生から「これこれ買ってきて」と母親に500円札、100円札を渡され買い物に行かされたのね。
お釣りがお小遣いだった。
うちは「お小遣いをもらう」っていう習慣がなくて、
お釣りをどう使うかというのは小さい頃から自然に計算してたのね。

だけど世の中は、「月いくら」とお小遣いを渡されるのが普通で、うちはおかしい、変だ、と自分のうちを下に考えてた。
他所に遊びに行くと、お母さん手作りのおやつが出てきたり、寝る前に次の日に着る洋服をお母さんが畳んで置いてくれる。
うちはおかしい。



ー今考えればむしろ、子どもの自立と主体性を育てて結果的にいいような。



わたしは「人美ちゃん、人美ちゃん」と、かまって欲しかった。
してもらえなかった。
して欲しかった。
でも今、冷静に自分の性格を考えると、かまわれるのは嫌だと思うんだけど、ないものを求めてた。
よそが羨ましかった。



ー羨ましいというエネルギーは自分が飛躍するときに役に立つのかなっていう気がする。



わたしのベースに「わたしみたいな子どもは作りたくない」という思いがある。

子どもをやりきれてなかったという気持ちがある。
だから、逆に子どもの気持ちはすごくよくわかる。
なぜここで駄々こねたりするのか、自分に照らし合わせて想像できる。
子どもってシンプルな構造をしてるじゃない。
もしかしてこうなのかなって、想像がつくから、音楽教室に入ってからすごく役に立ったの。



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ー音楽教室で働いてたんだ?



高校卒業して、上京して、専門学校の電子オルガン科に入学した。

小6からずっと電子オルガン(エレクトーン)をやってた。
電子オルガン科から(とある全国展開している誰もが知っている)音楽教室に行くのが王道で、エリートはプレイヤーの道に、また全然関係ないところに就職する人もいたんだけど。
わたしは、教えるのはありえないと思ってた。
プレイヤーになりたかった。

でも、基礎もないし、早くに実力がないってことを悟っていたんだけど、
ハッタリと演奏力だけでなんとなくしがみついていた。
ここで言う演奏力というのは、曲のイメージをこんな風に演奏したいとつかむこと、
それは得意だったのね。

卒業後も、フリーターしながら、プレイヤーの先生について勉強してたけど、
もやもやとしてきてね。
宙ぶらりんな生活は嫌だ。
地に足つけたい。
世間で「わたし○○です」って言えるようになりたい。
そう思って、自分にできることは、音楽教室の採用試験を受けることだと
ダメもとで受けることにした。

わたしは、正直、子どもが好きじゃなかった。
身近に小さい子がいなかったから、未知の世界だし、恐怖しかなかった。
子どもって正直だからズケズケ物を言うでしょ、それが苦手。
自分は口に出して言わなかっただけで
残酷な部分があるのも、きったない部分があるのも知ってたから、
かわいいだけじゃないってことを知ってたから苦手だったのね。

そんなわたしが、音楽教室の採用試験で、「子どもは好きですか」と聞かれて、
「好きです」と答え(笑)
なぜか、わたし土壇場のハッタリがすごいのね。
高校演劇部だったのもあるんだけどね。

「本当にわたし入りたくてしょうがない人になろうモード」って決めた。
でも、わたしが試験官でも落とすというくらい実技がボロボロだった。



ー客観的だよね。モードになろうっていうのはもう1人の自分だよね。




ダメな時に対しての傷つかない対策をしている。
ダメ元っていうのが基本。
傷つかないじゃん、ダメでも。
傷つかないってことが大事なのね。

面接官の最後の意地悪な質問、今でも覚えてるんだけど
「今回ダメだったらどうしますか?」

「もう小さい頃からの夢だったんで、もう一度挑戦しますモード」で、答えたわけ。

電話がかかってきて
「ざっくばらんに言いますと、あなた実技の成績がダメだったんですけどね、
面接がすっごいよかったんです」ってね

「あなたは一人暮らしでしょ。山梨ってご存知ですか?」
「知らないです」
「家賃出すから行きませんか?」
「行きます」(即答)
「今から、合格通知出します」

前代未聞(笑)

というわけで、21歳から山梨で音楽教室の先生として暮らし始めたのね。

子どもが苦手なのに音楽教室の先生になっちゃった(笑)

でも自分の子ども時代が役に立ったの。

会社が子どもとの接し方の基本的なことを教えてくれる。
だけど、相手は生身でしょう。

いきなり黙っちゃって楽器の下に潜っちゃって出てこなくなる子
気に入らないと黙っちゃう子
優等生の子
ムードメーカー
おちゃらけた子
いろんな子がいた。

「なぜこの子は喋らなくなっちゃうんだろう」



ーそれって、電子オルガンを教える以前のことだよね。



そう、音楽って人間性だから。

1週間に1回会うだけで、その子が学校や家庭でどうだったのかがわかってしまう。
子ども見たら親もわかるし。



ーバレちゃうんだね、怖いね。



喋んなくなっちゃう子って繊細なんだよね。
みんなと比較して、拗ねちゃう、特別自分がすごくできるわけでもない、練習すればできるというのもわかってるのになかなかたどり着けない。

この子に重要な役割をお願いしよう

そしたら、すごいうまく回るようになった。

「お願いする」
上からじゃない「お願いする指導法」を自分で編み出した。

子どもを尊重するということ。
すごいできる子は待ってもらうから「申し訳ないね」と謝る。

その頃から、気づいたら、大人から子どもっていう感覚がなくなって
「あ、なんだ、同じ人間じゃん」笑

それが音楽教室で学んだこと。

子ども嫌いだったのに180度変わっちゃった。








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ーそんなひーちゃんが今、取り組んでることはなんですか?



よかよか学院。お母さんと人生を切り開きたい人のためのがっこう。

2014年に初めてばなな先生の存在を知ったのね。
ばなな先生ってよかよか学院の校長先生。

きっかけは、おのころ心平さんのツイッターからブログをよく見てたんだけど、


その繋がりで、kenjiさんという人を知ってね。


kenjiさんのメルマガから「この人面白いよ」と紹介されている人に片っ端から会いに行ったら
わたし的に大ヒットする人ばかり。
そのメルマガで、ある日紹介されていたばなな先生を知ってブログを読んだのね。


そしたら、ばなな先生のブログに、
わたしが小さい頃にモヤモヤモヤって思っていたことが
バンって書いてあったの。

小学校時代に漠然と疑問に思ってたことが言語化されてるわけ。

え?
なにこの人?
え?小学校の先生?!

先生でこういう人がいるんだ!と衝撃だった。

メルマガもドンピシャ。

面白すぎ。泣いたり笑ったり。
小学校の先生でこんな開けっぴろげで人間臭い先生がいるんだ!

子どもの頃から先生に不信感を持っていたので、出会った時の衝撃が強かった。




ー言葉の力ってすごいよね、嘘書いてたらバレるよね、心から出てる言葉だから響くし、ちゃんと受け取る人は受け取るし。




そう、行間から滲み出ることは会ってないのに伝わる

わたし子どものときから、行間を受け取る力を持っているの。

ばなな先生つながりで知り合った仲間は嘘がない。
人間不信だったわたしが、そういう人間関係を築ける。

よかよか学院では、「自分のあり方」を学ぶ。
同じ人はいない。
共感はするけどみんな違う。親からの視点も「聞き方」として影響してるしね。

何かあったときに、これは自分の聞き方の反応なんだっていう捉え方ができると楽。




ーそれって、客観的に自分を上から見るような。ひーちゃんは前からそれができてたよね。




小さいんだけど頑強なガードがある。
もう、ここも出していいかなって思ってる。




ー多分、それ強固なヤツだったよね。



そう、これはパートナーシップ。
自分の中の男性性と女性性だよね。

小さい頃から無理やり外に出なくちゃいけなかったから
女性性をないことにしてしまってた、あったのに。
必死だったから。

だけど女性性をないことにしてしまったことによって、
人間関係で嫌悪感が出てきてしまう。
頑強だったのは男性不信。

どんな活動をしても、大事なのは自分であり、ダンナであり、子どもであり、家族である。

これ(自分、ダンナ、子ども、家族)をないがしろにして、こっち(活動)やるってのはあり得ないよね。

今、わたしはパートナーシップもおかげさまで良好になれて、よかよか学院に恩返ししたいという気持ち。




ーよかよか学院をどんなふうに宣伝したいですか?




宣伝、というよりは、因子がピッと来る人がもっとたくさん関わってくれたらうれしい。

わたしは、よかよか学院で「ごちゃまぜ係」やってるのね。
いいものはいいから、共通因子をつなげて行く係。それで生きてきたから。




ー適任だよね。




(インタビュー:2018年4月10日(火)小田原にて)


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インタビューを終えて

ひーちゃんがインタビューに答えてくれたのは、ひーちゃんのほんの一面で
もっともっとたくさんの面と層をお持ちだということは
お話ししていると伝わってくる。
そしてそれはきっともっと壮絶なものなんだろう。

そして、わたし自身も、自分をバンと出せずに、ようすを伺うタイプの子どもだったと自分では思うので
少なからず共感を持ちながらお話を伺いました。

けれども
わたしは、自分の住む場所を変える経験が少ないので、しかも、子どもの頃に、地域的なつながりを断たれて、新しい集団に自分だけ後から入り直すという体験をしたことがないので
それを繰り返していたひーちゃんの体験というものが
まったく想像もつかないです

そういう体験をした人ならではの処世術。
ひーちゃんの場合は危機管理能力。
傷つかないための処世術。
自分を二つに分けて、もう一つの自分を高みに持っていって、客観的に自分を眺める術を得ること。
ひーちゃんの言葉で言えば「モード」

わたしはそれを仕事をしていく中で身につけていったと考えている。

その術は自分を守るために、とても有効だと感じている。

ひーちゃんの場合は、幼い頃からの積み重ねなので、強固なもの。
強固だからこそ、絶対に譲り渡すことのできないガードの硬い「もの」がひーちゃんの芯の部分にある。

それを今、ばなな先生に出会って、開示できるようになったひーちゃん。
そのことについて「恩返し」と語っている。

恩返し。
ひーちゃんの恩返し。

人は言葉によって救われることがあるし
自分の環境を変えることもできるし
自分自身の芯の部分を解き放つこともできる。

たったひとりの人の人生が
こんなにも興味深く
こんなにも波乱万丈。

これは
ひーちゃんだからなのか?

インタビューされたいと脊髄反射的に反応してくれる人の持っているものなのか
わたしにはわからない

でも、とても楽しい時間でした。
ひーちゃん、ありがとうございました。









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インタビュー後のひーちゃんのブログはこちら
「わらった、ないた。」