奈良国立博物館 特別展「空海 KUKAI - 密教のルーツとマンダラ世界
」のレポート、今回は第三章の2回目です。
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第三章 空海入唐―恵果との出会いと胎蔵界・金剛界の融合
第三章では、空海が唐から持ち帰った様々な宝物を紹介しています。
に加え、さらに3件を紹介しますよ
・国宝 三十帖冊子より(仁和寺)【展示替あり】
第二帖
第二十帖(空海筆)
・国宝 宝相華迦陵頻伽蒔絵𡑮冊子箱【〜5/12まで】
・国宝 弘法大師請来目録【〜5/12まで】
では、ひとつずつレポートします。
・国宝 三十帖冊子より【展示替あり】
第二帖
第二十帖(空海筆)
仁和寺所有の国宝。平安時代の作。
遣唐使であった空海が、唐から持ち帰った経典集。
写真やコピーも無い時代、日本にお経を持ち帰るためには、書き写すしかありませんでした。
通常は巻子(かんす)装といって、巻物形式にするのですが、どうしてもかさばります。そこで空海は、少しでもたくさんのお経を持ち帰るため、手帳サイズの冊子形式にして持ち帰りました。持ち帰った当初は38冊あったらしいですが、現存するのは30冊なので、「三十帖冊子」の名があります。
この"三十帖冊子"、朝廷に献上せずに、空海が自分用に大事においていたようです。そのため、この後紹介する国宝 弘法大師請来目録にも、"三十帖冊子"は記載がされていないのだとか。
2冊とも見開きで展示されていました。
では、それぞれ見ていきましょう。
第二帖
最初のページを見開きで展示しています。
縦横15cmほどの、正方形の冊子に、細い界線を引き、楷書で丁寧に、キレイに、華厳経を書写しています。
唐の写経生が書写したものと考えられています。
第二十帖(空海筆)
こちらも、縦横15cmほどの、正方形の冊子。途中のページを開いています。
空海の直筆です。
楷書に近い行書で、書かれています。写経生だけでは、書写が間に合わなかったのでしょう。急いで書いたように見えます。界線も引かれていません。
金剛頂経関連の書物を、書写した箇所になるそうです。
元は東寺にあったのですが、仁和寺の守覚法親王に貸し出されたまま、未だに返されていないという、曰く付き。借りパク疑惑?!(゚д゚)!
・国宝 宝相華迦陵頻伽蒔絵𡑮冊子箱
【〜5/12まで】
仁和寺所有の国宝。平安時代 延喜19年(919年)の作。
「ほうそうげかりょうびんがまきえそくさっしばこ」と読みます。
先に紹介した、国宝 三十帖冊子を納める専用ケースです。蓋の中央にあるタイトル「納真言根本阿闍梨空海/入唐求得法文冊子之筥」からも、これが三十帖冊子の専用ケースであることがうかがえます。
漆に浸した麻布を、何重にも型に貼り付けて乾燥させ、黒漆を塗っています。木の箱に比べて、とても軽いそうです。仏像でいうと"脱活乾漆造"ってとこでしょうか。
そこに、最後の仕上げとして、金銀の研ぎ出し蒔絵で、宝相華と28人の迦陵頻伽、蝶々、小鳥を描いています。
非常に細かい、金銀の蒔絵が施された経箱です。
この国宝の見所ひとつめは、迦陵頻伽。上半身が人間で、下半身が鳥という極楽浄土に住む想像上の動物です。
リアルに足が鳥なので、結構気持ち悪い(>.<)ですが、いろんなポーズであちこちにいるので、探すのが楽しいですよ♪
迦陵頻伽の羽の先端部分と足、宝相華の花びら部分に、金の蒔絵を用い、その他の部分は銀の蒔絵を用いています。単眼鏡でよく見ていただくとわかります(^_^)微細に正確に作られています。
ふたつめの見所は、蓋に書かれている文字です。「納真言根本阿闍梨空海 入唐求得法文冊子之筥」と書かれています。"空海が唐から持ち帰った冊子を入れる箱"という意味ですね。その冊子は、先ほど紹介した"国宝 三十帖冊子"です。空海が唐から持ち帰った後に、三十帖冊子は散り散りになってしまったのですが、醍醐天皇が再び集めて、この宝相華迦陵頻伽蒔絵𡑮冊子箱に納めたと言われています。三十帖冊子ともども、仁和寺所有の国宝です。
蓋を被せたままの展示です。被せ蓋が深いので、内箱は見えませんが、実は内箱にも蒔絵が施されているんですよ。
・国宝 弘法大師請来目録【〜5/12まで】