東博「聖徳太子と法隆寺(前期)」前編 | 死ぬまでにすべての国宝を肉眼で見る

死ぬまでにすべての国宝を肉眼で見る

2023年12月現在の国宝の総数1,137件。そのうち、美術工芸品906件。これをすべて肉眼で見ようという計画です。関西中心の情報をお届けします。


東京国立博物館 


へ行ってきました(^_^)/


」の前記展示です。
ん?奈良博の展示に2回も行ったじゃないか?って?

はい、奈良博で展示されていなくって、私の見たことの無い国宝が1件あったからです(^_^;)

でも、それだけだと東博へ行こうとする方の参考にならないので、奈良博との違いも若干含めてレポートしますね(^o^)


まずは、奈良博と東博両方見た印象を述べますね(^o^)
奈良博は、モノを見るのに適した展示に、なっていたと思います。
一方、東博では、法隆寺の世界観を良く作り出しています(^_^)

まずは、聖徳太子の世界観がわかる宝物から紹介しましょう。

まずは御物から。


"御物"というのは、皇室が保有する宝物です。
"皇室のもの"であって"国民のもの"ではないので、今まで国宝化されなかったのですが、今回、この皇室御物から国宝化の答申が出たので、御物の国宝化が進むのでしょうか?

飛鳥時代(7世紀)の作。
三経義疏のうちの一つ。"三経"というのは3つのお経、法華経・勝鬘経・維摩経ののことで、聖徳太子はこれらお経を研究し、わかりやすく皆に講義していました。
法華義疏は、その中で法華経の内容・語句について解説した書物です。中国の僧の解釈を引用しつつ、筆者の意見も述べているそうです。その筆者というのが、聖徳太子です!唯一の聖徳太子直筆の書と伝わります\(^o^)/
奈良博では巻頭1mほどしか展示されていませんでしたが、東博では4mほど展示されています。

見どころは聖徳太子の筆跡でしょう(^_^)
意外と丸文字で書かれています。
聖徳太子、丸文字使うんだカワイイ(^_^)

文字を修正した跡や、上から紙を貼り付けた箇所なんかもあって、清書前の下書きと目されています。


次は「七種宝物」。
東博のみの展示で、聖徳太子に由来する七つの宝物。そのすべてが展示されます。法隆寺の東院舎利殿に伝来した
「糞掃衣」「梵網経」「五大明王鈴」「八臣瓢壺【後期】」「御足印」「梓弓」「六目鏑箭・箭・利箭・彩絵胡簶」です。その中から、私がレポートするのは、


・重文 梵網経 (ぼんもうきょう)

奈良会場には出ていません。東京会場のみの展示です。

平安時代(9世紀)の作。
私のブログではよく出てくる"紺紙金字経"ですが、注目はこのお経のタイトル「題せん」。ポストイットみたいなものが付いてます。
なんとこの「題せん」、聖徳太子の手の皮なんです!
単眼鏡でよく見てみましょう(^_^)/
毛穴が見えますよ!



聖徳太子 2歳の2月15日、東に向かって「南無仏」と唱えると、手のひらから仏舎利がこぼれ落ちました。
この仏舎利は、釈迦の左目の骨だそうです(^_^;)それが1粒、水晶の舎利塔の中に納められているのが見えます。


では続いて、国宝のレポートにまいります。

展示されている国宝は、以下のとおり。

・国宝 墨台(法隆寺献納宝物)
・国宝 匙(法隆寺献納宝物)
・国宝 鴟尾形柄香炉(法隆寺献納宝物)
・国宝 灌頂幡(法隆寺献納宝物)
・国宝 竜首水瓶(法隆寺献納宝物)【前期】
・国宝 細字法華経 附経筒(法隆寺献納宝物)【前期】
・国宝 竹厨子(法隆寺献納宝物)
・国宝 天寿国繍帳【前期】
 附 天寿国繍帳残片【前期】
・国宝 黒漆螺鈿卓【前期】
・国宝 薬師如来坐像
・国宝 四天王立像から広目天多聞天
・国宝 伝橘夫人念持仏厨子
以上14件です。



まずは"法隆寺献納宝物"です。

・国宝 墨台(法隆寺献納宝物)
・国宝 匙(法隆寺献納宝物)
・国宝 鴟尾形柄香炉(法隆寺献納宝物)
・国宝 灌頂幡(法隆寺献納宝物)
・国宝 竜首水瓶(法隆寺献納宝物)【前期】

上記5件は、奈良博とほぼ同様の展示でしたので、こちら 


を参考にしてください。



・国宝 細字法華経 附経筒(法隆寺献納宝物)【前期】

出典:ColBase 
中国は唐時代 長寿3年(694年)の作。
中国で書写されたものです。
"細字"というのは、"小さい字"という意味、つまり小さい字で書かれた法華経です。薄〜い界線が引かれ、そこに細かく楷書で書かれています。

聖徳太子ゆかりの品として、光明皇后が法隆寺 東院に奉納したと伝わります。
何がゆかりかというと、太子の前世とされる中国の高僧 慧思(えし)本人、またはその周辺の人物が所持していたからだそうです(^_^;)ホントカヨ?

奈良博では巻末4mほど展示していましたが、東博では巻末60cmほどを、奥書の日付が見えるよう展示していました。



法隆寺献納宝物で、奈良博に出ていなくて、東博で登場したのは、

・国宝 竹厨子(法隆寺献納宝物)

出典:ColBase
法隆寺献納宝物の中では、あまり出展されないレアものです。
飛鳥〜奈良時代(7〜8世紀)の作。
木組みの厨子の表面を、細い竹で覆ったものです。色は黒。経文を収めていたようです。
細い竹は"スズタケ"。細いながらも節(フシ)があります。それがアクセントになっててオシャレです。
出典:ColBase
表の観音開きの扉を開けると、三段に区切られているようですが、扉は閉じられたままの展示です。



・国宝 天寿国繍帳【前期】
 附 天寿国繍帳残片【前期】

中宮寺所有の国宝。飛鳥時代 推古天皇30才(622年)頃の作。我が国最古の染色作品です。
奈良博では本体の方は展示されず、附の残片のみ展示でしたが、東京では本体が登場。

「天寿国繍帳」は、"てんじゅこくしゅうちょう"と読みます。
天寿国とは、死んだあとに行くところ、ようは天国です。その天寿国の様子を、帳(とばり)に刺繍で表したものです。そう、刺繍なんです(^o^)

聖徳太子の妃のひとり、橘大郎女(タチバナノオオイラツメ)が、「太子が死んだ後、太子の見ている世界を自分も見たい」とワガママ言って作られたものです(^_^;)

90×80cm程度のポスターサイズ。そこを横2×縦3=6マスに区切って様々な場面が刺繍で表されています。
このマスごとに色の鮮やかさが違うのがわかりますか?
意外なことに、鮮やかなマスが飛鳥時代、褐色に退色しているのが鎌倉時代のものだそうです。鎌倉時代に補修された糸が経年で退色したそうです。飛鳥時代の方が鮮やかなのは、素材や染料に高品質なものが使われたからだそうですよ(^_^)

さて、見どころです(^o^)
①まずはカメを見つけて見ましょう!カメは4匹いますよ。(上段左のマスに2つ、中段右のマスに1つ、中段左マスに半欠けが1つの計4つ)
②次は「月にいるウサギ」です!
一番左上の丸いワッペンみたいのの中にいますね。何だか楽しそうです(^_^)
さて、目も慣れてきましたか?
③「鐘をつくお坊さん」!
右下のマスですね〜
④「カワイイ金魚」!
ウサギのチョイ下にいます。
⑤仕上げは、色鮮やかな装束をまとう人物をじっくり観察してみてください。一針一針刺繍されているのが、良く見えますよ〜

附 天寿国繍帳残片は、奈良博でも展示されていました。カメ1匹とお坊さん3人の残片です。




法隆寺所有の国宝で、奈良時代(8世紀)の作。
普段は、法隆寺の東院伽藍 夢殿で国宝 救世観音菩薩の向かって左に、安置されています。暗くてよく見えなかったのが、博物館だとキレイに照明が当たって、細部までハッキリと見えます。
博物館での鑑賞ならではです\(^o^)/

行信僧都は、天平11年に東院伽藍を興した高僧。手に如意を持っています。
"如意(にょい)"は、孫の手みたいな先の曲がった、装飾された棒です。
目が細くて、ビリケンさん みたいなお顔(^_^)けっこうガタイが良くって逞しい……
脱活乾漆技法で作られていて、指先を見ると良くわかります。
※脱活乾漆技法は、以下のような手法をもって作られます。
まず、木の骨組みに粘土を盛って大まかに造形します。
その上に漆を含ませた布を何枚も重ね貼り、滑らかにしたうえで乾燥させます。
その後、中の粘土を抜くと、漆で作られたお像の完成!
というわけです。有名な興福寺の阿修羅像なんかも、この技法で作られています。
軽くて取り回しが良かったり、木彫ではできない修整ができたりと、良い面もあったので奈良時代に流行ったんですが、手間暇がかりコスト高になるため、その後の時代ではあまり使われなくなりました(^_^;)



本展覧会のキービジュアルにもなっていますね。法隆寺所有の国宝。平安時代 保安2年(1121年)の作です。

普段は、法隆寺の聖霊院に安置されていて非公開の仏像です。
私が見るのは、法隆寺夏期大学での拝観以来です。聖霊院ではスポットライトを当ててくれているのですが、それでも薄暗く、しかも厨子の中に納められているので、イマイチ見えなかったんですよね〜
今回は、博物館の照明でしっかりと、見られます!これは、必見です!
太子の500年遠忌にあたり作られた木像です。
衣服の彫りは浅くシンプル。袖口の彫りは深く作り込まれています。
↑指先は細く、爪が小さい〜(^_^;)
↑目には緑色のガラスが嵌め込んであるのが見えます。
髭と眉毛は、細かく墨書されています。
↑そして、よく見てください。
冠の上に何か乗っていますよ!
冠の装飾で見えづらいのですが、オレンジの小さな毘沙門天の像が乗っています!
奈良博では見辛かったのですが(^_^;)東博では照明の加減で見やすいです(^_^)
冠の装飾が邪魔ですが、何とか頑張って見てください。

侍者の方も見ておきましょう。
4体あります。

山背大兄王(やましろのおおえのおう)
太子の息子で、正座しています。
千鳥の螺鈿が嵌め込まれた如意を持っています。
衣の模様が金泥で描かれ、背中側が良く残っています。4体の内一番良く残っていますね。

殖栗王(えぐりおう)
太子の異母弟です。正座しています。
教箱を両手に持ち、歯を見せて笑っているんですが、どう見てもガンバレルーヤのよしこ(画像左)です。

恵慈法師(えじほうし)
太子に仏教を教えた先生です。手に柄香炉を持ち、正座しています。
口が開いているのは、お経を唱えているのでしょうか。
袖口を覗いてみてください。金泥で描かれた模様が良く残っていますよ。
背中側の袈裟の模様も良く残っています。どのお像も、表より裏の保存状態が良いですね。

卒末呂王(そまろおう)
こちらも太子の異母兄弟。剣を持って正座しています。ということで、太子像以外、全員正座していますね。

奈良博では一体ずつ独立展示ケースで展示されていたので、360°真後ろからも見られたのですが、東博ではこんな感じで、正面からしか見られないのが残念でした(^_^;)


長くなるので、前編はここまで。

次回は後編です(^_^)/~~