京都国立博物館「鑑真和上と戒律のあゆみ」前期 | 死ぬまでにすべての国宝を肉眼で見る

死ぬまでにすべての国宝を肉眼で見る

2024年9月現在の国宝の総数1,143件。そのうち、美術工芸品912件。これをすべて肉眼で見ようという計画です。関西中心の情報をお届けします。

今月はじめ、京都国立博物館へ行ってきました(^_^)/

現在、京博では特別展「鑑真和上と戒律のあゆみ」が開催されています。
前期(~4/18)・後期(4/20~)で展示替えもありますので、前売券を2枚買ってました。
前期(~4/18)で展示されれている国宝は、

・国宝 円珍関係文書から円珍戒牒 (~ 4/ 18)
・国宝 法然上人行状絵図(法然上人絵伝)(~4/18は巻5)
・国宝 金銅宝塔
・国宝 興正菩薩(叡尊)坐像 像内納入品より
八角五輪塔
梵網経(~4/18)
・国宝 東大寺文書から戒壇院定置(~4/ 18は凝然自筆本)
の10件です。
では、さっそくレポートします。


唐招提寺所有の国宝。平安~鎌倉時代(12~13世紀)の作です。
鑑真が中国から持ってきた"舎利(お釈迦様の遺骨)"を入れるための"容器"です。
ということで、国宝指定名称は「舎利容器」。
全体が金ピカで、今でもその輝きを保っています。亀の上の蓮台があり、その上に多宝塔が乗っかっています。
どうして"亀"なのかというと……
鑑真さん、日本に来る途中、海に舎利を落としてしまうんです(^_^;)ウッカリサン
それを亀が拾ってくれたって云うエピソードがあるんですが、その逸話をベースにしてるんですね。
この亀、ダックスフントみたいな顔してます。耳も尖っていて、実際の亀とは違いますねぇf(^_^;

塔の屋根の部分は、組ものがリアルに作られています。また、胴の部分は唐草模様の透かし彫りになっていて、内部に舎利壺を収容できるようになっています。
中をよーく見ると、天蓋(てんがい) もかかっていますよ。
独立展示ケースでの展示ですので、ぐるりと360°から、見回せます。

さすがに博物館の展示ですので、舎利は抜いているので空っぽですけど。
本来は、舎利を納めてある①白瑠璃舎利壺(はくるりしゃりこ)。それを包む②方円彩糸花網(ほうえんさいしかもう)も含んで、一具の国宝です。

完全体でご覧になられたい方は、唐招提寺の礼堂で、毎年10/21~22に行われる法要「釈迦念仏会にご参加ください。
その時のレポートはこちら 





・唐招提寺 金堂天井支輪板

展覧会では「国宝」表記ですが、これは、ちょっと"国宝"とは言い難いかな?
国宝建築物の唐招提寺 金堂の、附たり指定の"旧部材22枚"の内の"旧内陣天井支輪板4枚"というのが、これに当たります。

縦130×横30cmの細長い板が4枚。
縦が中央に行くほど僅かにくびれた形状。板自体も湾曲しています。
唐招提寺の金堂の天井は、折り上げ格天井ですが、折り上げ部分に使われていた板です。だから湾曲しているんですね♪

そこに絵が描かれています。
白い胡粉が厚く塗られ、その上に絵が描かれているんですが、かなり剥落が激しい。宝相華や雲はわかりますが、菩薩が描かれているようですがシルエットしか分かりませんf(^_^;

こちらも、唐招提寺の観月讃仏会という行事に行くと良いです。
金堂内部がライトアップされるので、天井の彩色画が良く見えます。
その時のレポートはこちら 





・国宝 円珍関係文書から円珍戒牒 (~ 4/ 18)

東京国立博物館所有の国宝。平安時代 天長10年(833年)4月の作です。
国宝 円珍関係文書は8巻で構成され、その内の1巻が、この「円珍戒牒 」です。

円珍は智証大師の諱号を持ち、三井寺(園城寺)の別当も勤めた高僧です。卵みたいな尖った頭のお坊さんです(^_^)
その円珍を"お坊さん"と認める"免許証"、それが「円珍戒牒 」です。

延暦寺の一乗戒壇院で、座主の義真から"菩薩戒"を受け交付された、僧としての"身分証明書"です。
「受菩薩戒比丘圓珎・・・」とありますね。
ほぼ、全巻展示されています。
界線が天地通って引かれて、角印がいっぱい捺してあります。

受戒すると免状が貰えるんですね(^_^)



・国宝 法然上人行状絵図(法然上人絵伝)(~4/18は巻5)

知恩院所有の国宝。鎌倉~南北朝時代(14世紀)の作です。
全48巻!ある内の、前期では巻5の第3段が展示されています。

第3段は、実範(じっぱん)が法然に"鑑真和上相伝戒"を授けている場面だそうです。
上座にいるのが実範で、下座にいるのが法然でしょう。法然は水色の衣を着て、何かを一生懸命書き取っていますね(^_^)

ここでは、受戒は畳の上で行われています。


で、画像が見られます。



・国宝 金銅宝塔

西大寺所有の国宝です。鎌倉時代 文永7年(1270年)の作。
先日、西大寺でレポートしていますね。
西大寺の中興の祖 興正菩薩こと叡尊(えいそん)が作らせたものです。

さて、この時代になると、仏教も変遷していきます。鑑真が伝えた"戒律"の特に"律"の意識が薄らいできたようです(^_^;)
叡尊は"律"を建て直すことに尽力したようで、真言律宗を興します。
その叡尊が再興を果たしたのが、西大寺なんですね。なので、西大寺には叡尊由来の国宝が多くあります。
この、国宝 金銅宝塔もその一つ。

独立展示ケースで、高い位置で見られるので、西大寺の聚宝館で見るより見やすかったです。

多宝塔型の、金銅製の宝塔で胴部分に両開きの扉が4つあります。その内一つが開けられています。中には五輪塔があると思うんですが……見えないです(>_<)
鑑真が中国から持ってきた舎利1粒が、納められているそうです。



・国宝 興正菩薩坐像 像内納入品より

こちらも西大寺所有の国宝。鎌倉時代 弘安3年(1280年)の作です。
後期に出る、国宝 興正菩薩坐像の胎内に納められていた宝物。(興正菩薩は叡尊のこと)
坐像とともに国宝指定されています。
前後期で展示替えされますが、前期では、
八角五輪塔
梵網経
の3点が展示されていました。

自誓受戒記等」は、過去に奈良博でレポート 


したことがありますね(^_^)
叡尊は、「受戒したいけど、授けてくれる戒師がいない」ってことで、しかたなく、自分で受戒するという"セルフ受戒"をしたようです(^_^;)それが「自誓受戒」。
戒師抜きで受戒する訳ですから、それなりの修行をしていないと認められないので、修行をいっぱいしましたよ、ということも書かれています。巻首60cmほどの展示です。

「八角五輪塔」は、金銅製の小さくて丸っこい五輪塔。基壇に唐草模様が細かく毛彫りされています。

「梵網経」も、縦17cmほどのミニサイズ折り経です。叡尊は仲間とともに"梵網経"により自誓受戒したと云いますから、その関係で入ってるんでしょうか。




唐招提寺所有の国宝。奈良時代(8世紀)の作。
こちらも2019年に国宝となった、比較的新しい国宝です。(薬師如来立像/衆宝王菩薩立像/伝大自在王菩薩立像/二天王立像とともに全6体で指定)

鑑真絡みの国宝ですね。鑑真が唐から連れてきた仏師の手によるもの、と考えられています。それまでの仏像は、鋳造製であったり、脱活乾漆技法だったりの手の込んだ方法でしか作られていなかったのを、日本で容易に手に入る"木"で作ることができるようになりました。

しっかりとした厚みのある体躯で逞しいです。カヤの一木造りで、実に立派(^o^)
頭の先から爪先まで、一本の木から削り出しています。
一木というと、木の中芯を像の中芯としていると思われるでしょうが、この像は違います。木の中芯は"割れ"をおこすので使いません。また、木の外側近くは節(ふし)があるので使いません。こうして、木の中心と外側を外した部分だけを使って彫られているのです。
それを踏まえてこのお像を見てみると、立派なカヤの巨木を使っていることがわかります(^o^)

また、今回の展示で、この像は元は"虚空像菩薩"だったことが良くわかりました。
腕が4本あったんですね。体の前面に腕の差し込み口が2つあるのですが、体の横にも差し込み口が2つあるのが見てとれます。像の向かって左側から覗き込めるような展示方法なので、ぜひご自分の目でご覧になってください。額に第三の目がありますよ(^_^)




安祥寺所有の国宝ですが、京博常設なのでレポートは割愛します。




さぁ、いよいよ真打ち登場!唐招提寺所有の国宝。奈良時代(8世紀)の作。
今回の展覧会のキービジュアルです。
誰もが教科書で一度は見たことある、東大寺の大仏くらい有名な像ですね(^_^)

5度の日本への渡航失敗を乗り越え、6度目にたどり着いた時には、視力を失ってしまった鑑真さん。

お弟子さんだった忍基(にんき)が、唐招提寺 講堂の梁が折れる夢を見て、鑑真和上の死を悟り作ったとされます。

ほぼ等身大で、体の厚みもあってリアルです。角度を変えて見てください。鼻も高いですよ。袈裟の下に纏う赤い衣も美しい。脱活乾漆造りでキレイに彩色が施されています。
まつ毛まで、詳細に描かれているのわかりますか?下まつ毛カワイイ(^o^)
お髭も。

そしてなんと言っても「耳毛」です!

肉眼では難しいですが、単眼鏡持ってってください(^_^)/
向かって右側、鑑真和上の左耳の方が見やすいです。
耳穴に向かって、渦巻きのように8本くらい生えてます。
年に1回唐招提寺で公開されますが、こんなに近くでは拝見できません。この機会に是非とも間近で、肖像彫刻の最高峰をご覧下さい!



・国宝 東大寺文書から戒壇院定置(~4/ 18は凝然自筆本)

東大寺所有の国宝 東大寺文書からの出展です。鎌倉時代 正和5年(1316年)、凝然自筆の書です。
縦30×横50cmほどの文書で、掛け軸装されています。

タイトルは"戒壇院定置(かいだんいんさだめおき)"。
「定置(さだめおき)  東大寺戒壇院の事……」
で始まる、わずか8行の文書。断巻です。

東大寺 戒壇院の住持職だった凝然(ぎょうねん)が、自分の次の住持職を禅爾(ぜんに)に指名すると云う内容。ただ、もし何かあったら、自分の甥の実円を次に指名する、ということまで書いてあります。




泉涌寺の所有する国宝。鎌倉時代 嘉禄3年(1227年)の作。
俊芿(しゅんじょう)が、弟子の心海(しんかい)に、仏法を授けたことを証明するため書き与えたものです。縦40×横1.5mほどの巻子本。

この文書が単独で1件の国宝である理由は「俊芿の直筆」であることでしょうね。
「俊芿の直筆」の国宝は2件あり、もう1件は国宝 泉涌寺勧縁疏。
国宝 泉涌寺勧縁疏は、その書と内容に後鳥羽上皇が感動と驚きを覚えたという名書。それに引っ張られてる面が大きいんじゃないかなf(^_^;


以上で前期のレポートは終わりですが……
4/20から後期が始まっちゃいましたね(^_^;)

ぜんぜん追いついてない……

でも、通期展示も多いのでご勘弁くださいf(^_^;