昨日のブログ
19日最終で山形より帰京。20日、区役所。大塚公園の問題2件確認。大塚公園は、子供のころの私のホームグランド。今では子供たちの遊びはみんなサッカーがメインだが、昔は全員野球だった。あのグランドは子供たちにとっては4面とれる。今はすっかり止まって埋められているが、階段の水の流れもあった。昔から知りに知りぬいた公園。今ではラジオ体操で毎日のようにお世話になる公園。区議会の中で私ほど、あの公園を知り抜く議員もいないであろう。白いタイルの滑りによって、雨天時は大変すべりやすかったのが、昨年暮れにポリッシュで猛烈に磨き、すっかりきれいになった。そして年明けにクレームを出した、お地蔵様へ下る通路に、土が年々減っているために起きた段差の問題。体の不自由な人、高齢者、みんなお地蔵様のところに行ってお参りしたいのだが、あの段差で転ぶお年寄りが急増したため、公園課に猛プッシュ。昨日確認したところ土で段差が解消されていました。もう1件は、講演のすぐ隣の緑の郷の植栽の樹木の付近に起きた道路の盛り上がりでの、高齢者の躓き事故急増の問題。こちらも道路の小野課長が、私のクレーム後わずか数日以内で処理。本当に、文京の土木チームは小野課長を筆頭に最強軍団が勢ぞろい。段差は解消されたが、小さいことを気にしたらきりがないのだが、なんだか言われてみればあちらこちらすべてに軽い段差は見られる。道路維持係長が調査してくださったら、樹木の根っこが大きく成長して地面を盛り上げているそうだ。いつかは大きな工事がいるかもだ。ただし、私が今回動いた理由は、舗装工事ではなくお年寄りの転倒防止。転倒する段差は、とりあえず解消されこの案件はいったん完了。夕刻まで地元パトロールとごあいさつ周り。遅刻すれすれまでかかって、公園前からオオツカ車庫までバス乗車し、茗溪会館へ。ラジオ体操理事者の新年会参加。議員は約半分。滝澤さんのおかげで、私はどれだけラジオ体操のコネクションができたことか。新年会後も、滝澤さん宅にてミーティング。元プロボクサーだけあって、猛烈に熱い方。さて、本日はラジオ体操、またまた滝澤さんとお茶会ミーティング。帰宅後、大盛りご飯とツミレの味噌汁が、私の家の最高で最強の今日の朝飯。夜目にももちろん同じ飯。家族が同じご飯を食べるというのは、血液が同質化していくのであります。同質化すると、考え方、感情、性格までも同質化していき、家族同士のコミュニケーションが取れる最も重要なこと。だから家族団らんというのは、家族計画の一番の基本中の基本。出前、コンビニ、弁当、お菓子、ファーストフード、みんながみんなバラバラだと、確実に家族のつながりもバラバラになります。私は、食をコントロールすることこそ人間にとって一番大事なミーンポイントであることは、実体験のがん克服で完全理解。しかし、世は医療、医学をはじめ、西洋思想に頼りすぎて社会まですべては対処療法にしかすぎない。原因を解明し、悪影響にいかにしたらならないかを考えねばならない。まだまだ区政も、食に目を向ける方向性はない。一般質問の時は、いつものことだがまた来た的な、笑いが出る。名前は明かしませんが、ある部署の長が、玄米菜食者をみつけた。私の入れしい味方。でもよく考えればみえるが、ますますファーストライフ化には確実に向かっていません。ほんのわずかながらだが、確実に社会はスローライフを見直す動きには来ている。もう、革新、ファーストライフは、私から言わせれば時代遅れ。3,11以降、これでもかと神がメッセージを与えてくださっているにもかかわらず、まだ革新的、西洋的、対処的発想なもの、毎日このブログを読みたまえ。
雪山会談
昨日、始発の新幹線で急遽山形県米沢いり。目的は、昔からお世話になり、昨年当選の保守系無所属の米沢市議会議員の木村さんと会合。さまざまな意見交換、様々な全国での行政視察の成果を聞く。その足で、木村議員と山形蔵王へ、京平会新年会参加。天気も快晴。木村議員は、九年間県議会議員の秘書をしながら、スキーはプロ級。国体にでたり、数々の大会のチャンプ。いまでも議員活動の傍ら、現役でスキースクールのインストラクター。メインゲレンデは、米沢と天元台。私も二年ぶりにこの度、解禁。木村議員とは、滑走時以外はずっと意見交換。朝飯、昼飯、夕飯、リフトでも。と、まさに雪山会談。米沢は、市民の人工も財政も丁度文京区の半分に相当する町。耐震問題、農業問題、放射能対策、人員給与削減対策、福岡の行政改革のモデルケースの成果、北海道の陣内ファームの成果、米沢の町お越し。私にとっても貴重な雪山勉強会でした。
プロレスと文化背景
昨日の消防団新年会は、三時開始だから終わりも早い。時計見たら6時。早寝早起きの私には、夜遅くまでの新年会続きは、私のカウンタックのライトが開かなくなってしまう。さて今朝も朝のラジオ体操から豆乳会。今日は区の新年会は無し。終日書類作成。2月の代表質問の7000字の手直し、たまに執筆するエッセイ集へ3000字、そして面倒な3カ月に一回提出が義務付けられている政務調査費の収支申告。小さいころからパソコンに親しんでいて良かった。みんながファミコンに夢中になっているとき、飛行機オタクの私はフライトシュミレーターをやりたくぼろぼろのPC8801を中古で購入。中学1年? そこでアルファベットの配列を完璧にマスターしたのがいま役に立っている。代表質問は徹底して、食と人格形成にかかわるもの。エッセイは、プロレスと世界の文化背景。前から思っていたことだが、こうして文章に書き出してみるとつくづく改めて感じる。日本の全国各地でも雰囲気、湧きかた、応援熱はその街の文化と比例しているところがある。後楽園と大阪なんか人種が全く違う。お客が求めているものが違う部分がある。となると、若い選手には到底無理だが街によって戦法を変える必要が出てくる。沖縄なんかとくにそう。多技連発なんか、とんでもなくあり得ない話。これが海外に行ったら一番よくわかる。のだが、程度の低い選手は、どこに行こうが戦法は変えず。どこでもドタバタ型プロレス。プロレスには、リングサイドと反比例の鏡がある。速く動けば軽く見え、ゆっくり動けば重く見える。技を多発すれば、客サイドからしたら一発の重みは消えていく。しかしここが不思議なとこ。リング上での選手へのダメージは、多発した分だけ大きなダメージがある。にもかかわらず、客の脳裏には出せば出した分だけ、一発のダメージが少ないというデータが送信される。95年に無我を藤波さんと設立し、この部分を猛烈に考えさせられた。99%の選手は、いかに大きな声援をもらえるかを期待し、それをもらえるような試合をする。客は60年代とも、70年代とも、80年代とも違う心理と感性がある。これはプロレスだけに育てられたものではない。家に帰れば、テレビがあり、映画もあり、情報源は山とある。時代とともに、もっと過激にという客の感性は高まるばかり。それに99%が答えようとしているスタイルであるから、全体がその方向に行ってしまう。映画もそう。もう007だって1962年のDr.NOのようなピストル一発で解決なんかは、むしろ見るほうが納得しない。しかし、そこに果たしてニーズ、すなわち時代背景にある客の感性をより満たすだけが、提供する我々がやらなければならないことなのだろうか? 向こう、すなわち時代がルール? もしくは古き良き先人達が置いてってくださった本道がルール? 本道だけを表現したって、自己満足になってしまう。そこで、何体何がバランスがとれているのかを?95年以来、どれだけ研究してきたことか。その研究先として、ドイツのキャッチプロレスがあり、ドイツ人の国民性を勉強するためにLH711便でNRT-FRAを何十往復したことか。ペンステートの文明否定民族のアーミッシュの村へもプロレスへのヒントを探しに出向いた。心理学が何より大切なのを知って慶應の通信も受講している。そして、ここが面白いところに行き当たる。今私がやってる政治。これ、95年からずっと同じこと。ずっと原点回帰論を未だ展開し試行錯誤しながら開発に向け研究している最中。34人の文京区議団には、ここまでの原点回帰論者はいないが、サブジェクトによっては近い方もいる。前へすすむ。決して悪い発想ではないが、大事なものを置いていってはいけない。結局はすべて、レスラーの思い入れなんです。