『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』(by 酒井聡平)、読んだ。 | 気が向いたときだけの大阪日記

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タイトルのまんま、気が向いたときだけの不定期大阪日記です(笑)

 

 

 

 

新聞記者が書いているだけあって、それはもう読みやすい。分かりやすく言うと司馬遼太郎先生の歴史小説レベル(笑)

 

そんな感じなのでガシガシ読み進む。

 

硫黄島の戦いの概略、遺骨収集団のメンバーとなって硫黄島へ、実際の収集作業に従事する、というあたりまでは快調に進んだ。

 

ただし内容は超重い。

 

まず大事なのは、著者が新聞記者だからといって報道関係者枠があるわけでもなく、硫黄島自体が取材禁止、民間人ゼロの自衛隊管轄の島なのだ。さらに米軍艦載機の離着陸訓練(騒音問題で厚木から移された)が行われる期間は民間人上陸禁止となり、遺骨収集団を派遣できない。

 

そんな島なので上陸することからして困難である。

 

遺骨収集団に参加できるのは硫黄島関係者のみ。著者は、祖父が硫黄島との通信に携わった父島の日本軍兵士の孫であり、四方八方手を尽くし13年(?)かけてやっと遺骨収集団への参加が認められる。そこまでの過程が心折れそう。

 

さらに硫黄島は火山島であり、火山活動による隆起で海だった部分が陸地になっていたり、壕の内部は地熱でサウナ状態。火山性地震による崩落の危険性や、一酸化炭素や硫化水素の濃度も作業の障害となる。実際にそのせいで壕の作業が中止となった話も書かれている。

 

その他、当然不発弾の恐怖もある。

 

と、実際の作業レベルですでにそんな具合なのだが、遺骨収集団に参加するのは硫黄島で戦死した日本軍兵士の遺族のため、高齢者が多い。それらの人が南方で作業に従事するのは、自分の身内と同じように戦った兵士の遺骨を探すという執念以外の何ものでもない。

 

しかしそれほど苦労しても、約2週間の遺骨収集作業で見つかるのは1桁~10数体にすぎない。

 

そこで、硫黄島で戦死した兵士2万人の約半数の遺骨が見つからないのはなぜだ?ということになる。順番が逆になったが、この本のそもそもの発端はそこである。

 

遺骨を抱えて硫黄島を去る遺骨収集団を見送る在島の自衛隊員、そして入間基地で戦没者(と遺骨収集団)を迎える自衛隊の姿には泣きそうになる。日本を守った人たちに対する敬意というか礼というか、大事だと思う。

 

事実を伝える「遺骨収集団参加記」的な記述の後に、報道人として遺骨収集問題に関してド根性取材・分析をしている。

 

各貯蔵密約説、公文書情報公開請求、島の物理的な様変わり、正式な遺骨収集団派遣前に遺骨を収容した日本人の存在(もちろんいい意味で。1951~55年に米軍から硫黄島清掃工事を受注した高野建設)、15年間(1953~68)の作業空白期間の地形の変貌、そのため生還者証言の限界、在島米軍による盗掘、米軍の壁など、遺骨収集を阻む

 

そして最後の方に、東京から北海道へ異動(著者は北海道新聞の記者で、札幌から転勤で東京にいた)する前に、3人に取材する。

 

一人は自民党の尾辻参議院議長(見覚えあり)、もう一人は元首相補佐官(菅内閣)の阿久津幸彦氏である。この二人の執念もすごいというのが分かった。

 

そして3人目は今上天皇陛下である( ゚Д゚)

 

こちらは取材というのはムリで、例の「誕生日会見」での「関連質問」である。

 

誕生日会見は事前に内容をお知らせしている「代表質問」と、当日いきなりの「関連質問」から成る。その関連質問も2問(時間があれば3問の年もあるとか)で、当日出席の記者28人に対して2問、つまり1/14、7%の確率だったが、著者は2人目、最後の質問者として選ばれる。

 

その際の質問内容および陛下の答えは宮内庁公式Websiteの「おことば・記者会見」に収録されている。(「天皇陛下お誕生日に際し(令和5年)」の下の方、<関連質問>の問2)

 

著者はそのお言葉について「陛下は戦争経験のない初の天皇だ」と前置きした後、「硫黄島の戦いを「残念」に思い、戦争の歴史について理解を深めていきたいというお気持ちを表明したことは、戦没者遺族の心の慰めになるのではないか、と思った」「(大手全国紙に)多数の戦没者が残されたままの硫黄島や戦争に対する陛下のお気持ちも、例に漏れず掲載された」と書いている。

 

全編にわたり、著者の戦没者に対する思いと使命感に圧倒される。NHK森田アナ的に申し上げるなら、「今こそ全ての日本国民に」読んでほしい本である。

 

と言うまでもなく、ケッコー売れているようで、ネット本屋さんでは品切れになっているサイトがいくつかあった。しかし本書の中で「硫黄島の遺骨収集が進まないのは国民が知らないからだ」(by 毎日新聞・栗原俊雄記者)と、ある意味自らを責める声に対して、品切れになるくらい売れているのはいいことだと思う。