時に混沌としていますが、よろしくお願いします。
オカルト
備忘録。
最近、深夜になると必ず目が覚める。
決まって深夜1時頃から4時あたりまで。
寝室を出て、リビングでまんじりともせず過ごす。
やがて朝が近づいてきて、ようやく眠りにつく。
気がつくともう数ヶ月こうした毎日を過ごしている。
年を重ねたせいもあるのだろう。
仕事の内容も大きく変わり、以前とはまるで違う生活を送っている。
あれから自分の病的な部分はやはり根本からは完治せず、相変わらずどこか居場所のなさ、自己肯定感の低さ、希死願望などの未整理な感情も常にどこかにある。
完治しない病と割り切って生きていく他ないのだろう。
※
今日書くことは今に繋がる誰にも理解できない話。
幼い頃から連綿と自分自身に起きたことを整理しようと思い書く。
※
4歳の頃。
毎日、毎晩同じ夢を繰り返し見ていた時期があった。
床につく、目を閉じる。
すると瞼の裏に暗闇は広がらず、自分が寝ている姿を天井のあたりから見ている自分がいた。
やがてその「浮遊」した感覚がクセになり、毎晩床につくのが楽しみになった。
最初は天井だった高さも、そのうちに屋根を突き抜けるようになり近所を俯瞰して「飛行」する自分がいた。
ある日、そのことを母親に告白したことがある。母親はまともに取り合わず一笑に付された。
この時、自分なりに母親に全てを拒否されたような気がして、とても悔しく思ったことを覚えている。
その日から自分に起きていることをどうにか母親に見せたくて、押し入れから飛び降りて見せるという行動に出た。
何度も繰り返すうちに、より高い場所から飛び降り左足首を骨折。
それ以来、この「浮遊」する遊びを僕は止めてしまった。同時にこうした「浮遊」体験もしなくなった。
※
8歳の頃。
小学生になり、たまにおもちゃや本を買ってもらえる機会があり、書店や模型店などに連れて行ってもらった。
当時といえばやはりウルトラマンやヒーローものなどのおもちゃが全盛だったが、僕はあまりそういうものに興味がなかった。
いつも買ってもらっていたのは、第二次大戦中の戦記物の書物や、旧日本海軍などの飛行機をはじめとするプラモデルばかりを買ってもらっていた。
実際の遊び方も今考えればかなりおかしかった。
せっかく買ってもらい、その上自分が作れない部分を親に手伝ってもらって完成した飛行機を使い、
これまた、親に手伝ってもらって作ってもらった艦船のプラモデルに突っ込ませて全てを破壊する
「特攻」と名付けた遊びを繰り返していた。
身内に戦没者はいなかったが、親戚に海上自衛隊の隊員がいた影響はあったかとは思う。
※
10歳の頃。
登校途中、毎日通り抜けていた神社の参道を出た瞬間車に突っ込まれ、左大腿部を骨折。
結果、3ヶ月の入院。
この神社について、実は毎日通るのがなぜか苦手だった。
皆、一礼するなりして神社を通り抜けていたのだが、僕は「どうせ神様は何もしてくれない」という不遜な態度を子供ながらに考えていた。
当時は「バチが当たった」と考えていて、ずいぶんその神社を恨んだものだが、
その後は神の存在を信じるような出来事が多発したために寺社仏閣には敬意を払わざるを得なくなった。
余談だが3ヶ月の入院をしている間、様々な体験を病院でしたように思う。
病気やケガに群がる新興宗教の人たち。
夜中の大人の事情(外科病棟だったため、ナースと患者がお盛んだった)。
そして、深夜に現れる(深夜以外も)見えざるモノたちの存在。
病院は自分にとって長くいてはいけない場所だ。
※
13歳の頃。
この年、迎えた冬に例の不幸な事件が起きる。
人生の価値観がこの時期に激変したことを自覚している。良くも悪くも価値観はこの時破壊されたといっていい。今につながることは全てここからスタートしている。
※
1985年8月12日。
お盆時期で僕は両親と在所で過ごすために帰省していた。
少し前に僕はとても好きだった彼女に別れを告げられて失恋していた。何をしていても彼女を忘れることができず、また例の不幸な件も。
とても心は荒れていた。
この日の夜、テレビから日航機墜落事故がニュースで流れた。
飛行機が墜落する恐怖。
想像を絶する絶望、痛み、死。
この日の衝撃的な感覚は忘れることができない。
後の行動に影響を受けていたと思う。
そして中学、高校続けた野球の部活動は暴力が支配する世界。
「軍隊野球」と言われる野球が心底嫌になった時期でもあった。
このおかげで自衛隊に行く気持ちは全くなくなった。
※
1990年代は大学生活のため上京。
毎日が忙しなく、そういう体験をしたり意識する余裕がなかった。
通学のため中型バイクの免許を取得したあたりからまた少しそういう存在を感じるようになる。
免許取り立ての頃、早速事故に遭う。
よくあるバイク直進、クルマが右折の「右直事故」の衝突であっさり右鎖骨を骨折。
人生三度目の骨折だった。
この時、ふと「ある感覚」が蘇る。
強い衝撃を受けた感覚。
いつかどこかで体験した。
小学生の時の交通事故でもなく。
よく骨折する人生である。
※
1990年代の中盤。
ある時期から、過度のストレスや不安、ギャンブル依存などなど、例の「不幸な事件」が原因であろう嗜癖行動が顕著に現れていた。
ギャンブル依存克服のため、その代価行為として渓流釣りに置き換えてみようとした時期があった。
渓流釣りはシビアな釣りで、釣行はもちろん山岳地帯がメインだ。
釣れる時間帯はやはり早朝や夕まずめになるため、東京を出発するのはいつも深夜だった。
深夜0時から1時の時間帯に区内を出発。
埼玉の秩父を抜けて群馬の山中、長野の廻り目平方面へ抜けたりしていた。
深夜の山は怖い。見えないものが見える。
そもそも山そのものが御神体だ。
夏でもバイクでは体感温度が低く、体温を奪われ常に疲労する条件が揃う。疲労もあるが、とにかく山中では様々なもののけに出会った。
※
やがてこのギャンブル依存克服の「釣行」は様々な形で変調をきたすようになる。
ある日、ふと同じポイントに何度も何度も来ていることに気づく。
群馬県上野村の神流川上流。
当時は全く意識していなかったが8月は渓流でも毛鉤のハイシーズンのため、いつものようにバイクを走らせて群馬の山中に辿り着いた。
しかし、その日は異様で早朝にも関わらず次々と黒塗りの車が上野村へ押し寄せていた。
マスコミの中継車も来ている。これは何か事件かと思ったが、この付近は1985年8月12日に起きた日航機123便墜落事故の現場だったのだ。
この日は慰霊の日で関係者の皆さんがこの村に訪れていた。
ふと、事件当日のことを思い出すのと同時に、犠牲者の方が味わった恐怖や痛みというものが押し寄せてきて、呼吸ができなくなり、その場にへたり込んでしまった。
同時に犠牲者の方へ懺悔の念というか何も考えず何度も土足で入るような真似をしている気がして、思わず手を合わせてしまった。
そこからまた僕の人生は転機を迎える。
※
「釣行」はますます頻度を増していく。
なぜか夜中に目が覚めてバイクを走らせるという日々が続く。
常軌逸した行動だと自らが思っていても止められない。
これがアディクションというものなのだろう。
もはや、日常生活が送れるはずもなく身体的に無理がたたり呼吸器の病気にかかった。
肺炎から呼吸困難に陥り、当時同棲していた彼女がいなければ死んでいた、と言われた。
彼女の通報でとある大学病院のICUに緊急入院し、1週間ほど意識がなく生死の境をさまよった。
気がつけば両親がベッドのそばにいた。
この間の記憶は一切ない。何も覚えていない。
というのも、救急車が来る前に僕は生きるのをあきらめたのだ。
「もういいな」、と。
それだけは覚えている。
身体の力を抜くと、視界は急に白くなり、やがて無が広がった。
誰の迎えもなく、お花畑も三途の川もない。
真っ白い世界が広がり無音の世界が広がっていた。
今思えば、死ぬまではまだまだ道中長くて死の入口にも立てていなかったのだと思う。
脳に酸素がいかなかったため、医者は後遺症が出るかもしれないと言っていた。またこの病気であのステージでは6割が亡くなるとも言っていた。
いずれにしてもまだこうして生きている。
これはこれで幸運な人生なのかもしれない。
※
退院後、人生を考えるようになった。
人生、というか死を意識するようになった。
死にかけた僕を救ってくれた彼女は僕の元を去っていった。
そして今の妻と新しい生活を送ることになった。
「残りの人生儲けもん」。
やがて妻が長男を身籠もり、生活の中心は子供へとシフトしていく。
僕の身の上に起きた不幸な事件のことなど忘れてしまった。
※
2000年代に入ると、いよいよワーカホリックになった。
「釣行」がモーレツ社員に置き換わり真面目を装うことで仕事に没頭した。
そして、大阪への転勤。これもまた一つの転換期だった。
大阪に転勤した頃まだ家族を呼び寄せる前で、少しの期間久しぶりの一人暮らしをしていた。
疲れもあったのだろう。この時あり得ない頻度で「金縛り」に遭っていた。
身動き一つ取れないが、意識だけはある。
耳元ではガサガサと虫が這い回るような音。
「金縛り」に遭うのはこれが初めてではなかったが、例の日航事故の直後に同じタイプの「金縛り」を体験していた。偶然の一致というか、えも言われぬシンクロニシティを感じていた。
それから数年、結婚してから初めての不倫。
そこから続く苦しみの日々。
※
大阪に転勤したことで、これまで知らなかった近畿地方の場所へ足を運んだ。
1つだけ不思議に思ったことがある。
郊外のある地方都市。もちろん初めて訪れる場所で丘陵地帯で眺めの良い場所があった。
そこにはお寺があり、もちろん併設の墓所もある。
あるお墓の前に通った時に不思議な感覚に囚われた。
強い意識というのか「ここです」と聞こえた気がして。
墓石を見てみると全く見覚えのない法名、名前。
しかし、入滅の日を見ると昭和60年8月12日。
偶然にしては出来すぎている。
だが疑う余地なく、彼がここに自分を連れてきたのだろう。なぜその役が自分だったのかいまだに分からない。
※
僕は目に見えないものを否定しないが肯定もしない。
できれば、気付きたくもないし意識もしたくない。
成仏できない霊に頼られると自分の命も危うくなる。そもそもそんな能力は自分にはない。
今でもそう思う。感じることはできてもどうすることもできない。
※
2010年代以降、LCCの登場で海外旅行や沖縄、北海道などあらゆる場所が以前と比較して旅行しやすくなった。
沖縄というのが、次のキーワードになる。
そもそも沖縄へ初めていったのは高校の修学旅行で、大学時代もフェリーを使いバイクも乗せて沖縄本島、石垣島、西表島と巡り旅行をしていた。
この沖縄旅行がなければ、今の妻とも出会えなかったし本当にご縁があると思っている。
会社の慰安旅行も含め現在まで何度となく訪れている場所だが、どうしても頭のイメージの中にあるのは「特攻」だった。
冒頭にも書いた幼い頃の「特攻」遊びは封印された黒歴史的な感覚が自分の中にあったのだが、沖縄へ行く飛行機の中で必ずと言っていいほど、恐怖が蘇るというか、ある地点を上空から眺めると目眩がすることがよくあった。
航空機事故で死ぬ瞬間と航空機を使用した特別攻撃で死ぬ瞬間はどう考えても恐怖に支配され絶望の瞬間だと思う。
この死への恐怖はやはり前世の記憶なのではないかと考えるようになった(認めざるをえなくなった)。
バイクの事故もまた追体験として十分に衝撃的で、身体的な損傷もまた記憶を呼び覚ます出来事なのではないかとさえ思うようになった。
何度となく行った沖縄旅行の中で、例の「不幸な出来事」で負ったトラウマ克服のため、ヒプノセラピーの治療を沖縄で受けた時、はっきりと死の瞬間、「特攻」のパイロットであったということを語っていた。
信じるも信じないもない。そうはっきりと語った。
またある時はやはりトラウマ克服のため、沖縄のユタを頼り、訪ねたところ今抱える悲しみはとても自分が癒すことはできないが、あなたの前世は沖縄に縁があり、三山時代の山田城に一族のお墓があるからお酒を持って訪れると良いとも言われ、言われる通りその拝所へ沖縄へ行く度に訪れている。
※
特攻
戦乱
兵隊
どうやら今世ではこの3つのキーワードを克服することが使命らしい(勝手にそう考えている)。
不思議な話をすれば数えきれないが、どうしてもこれだけは書いておかないといけない気がして。
備忘録3/23 深夜2時38分
エンドレス
あらためて自分がどういう存在で、どう生きてきたかを知る。
知るたびに発見らしい発見はない。
ただ、それほどまでに人生の大部分に影響を与えられたかを知る。
自己評価の低さ。
尋常ではない自己承認欲求、破壊願望、自傷願望、希死願望。
文字に起こすと恐ろしいが、全ては自分の中で起きていること。
それらが起きていることは知っているが、それを無視し続けるかまた逃避行動へ移る。
結果は報いのように毎日静かに訪れる。
若い時は逃避行動が広がり、体力に任せてセックスに没入した。
モラルや社会規範、そんなことはどうでも良かった。
彼氏がいるとか彼女がいるとか、そのなことは背徳感のエッセンスにすぎない。
その結果がこの醜態だ。
数十年傷つくことに慣れている、というより13歳の時に心は破壊されている。
破滅的な行動や思想はそこからきていることは明らかだ。
だが、もう止められない。
根本が腐っているからどうにもならない。
救いとは何かをずっと問うている。
神か仏か、医者か牧師か、肉親か兄弟か、妻か愛人か、子供たちか。
静かな朝に訪れる朝陽やほんの朝のひとときに打ち寄せる波に自分が生きていることを感じる。
穏やかで透明な海に手を繋いで飛び込んだなら、そこに生きている自分を見出す。
善も悪もない。救いでもない。
自分が生きているというだけ。
だが、僕には心や身体を社会の規範の中に繋ぎ止めておく理由と機能が働いていない。
結果が悲惨であったとしても、それをむしろ望んでいる。
惨めな自分こそ本当の自分だ。価値はないのだ。
ただ、罪を犯して自由を剥奪されることは望まない。
静かに見捨てられてやがて一人きりになる尊い時間の価値を知っている。
まだ時間はあるのか。
もう時間はないのか。
どうにもならない心配をしても始まらない。
僕はきっと病んでいるのだろう。
だが、医者にかかることは望まない。
病名が付いても誰かに愛されることはない。
誰かに感謝したり愛したりすることもない。
ただ静かに穏やかに誰かのために生きたいと望むけれど。
誰も僕を必要としないだろう。
ひどく落ち込む。
死ぬまで続く。
救い
ぶっ壊れたまま。
何も変わらない。
根本が解決しない限り同じことの繰り返し。
「誰が悪い」
「これが悪い」
「自分は悪くない」
「誰も悪くない」
善悪の観念など13歳の時からとっくに壊れている。
正確に言えば壊されたままだ。
僕は病人じゃない。
被害者でも加害者でもない。
あれから30年以上経ってこれほど人生に影響しているとは想像すらしていなかった。
なかったことにすればいい。
全部自分が悪い。
それでいいんでしょ?
どこまでいってもキリがない。
この30有余年、十分いい子で、いい社会人で、いい父親で、良き隣人だったでしょ?
一生懸命「普通」に生活してきたはず。
みんな自分のことで忙しい。
本当に興味があるのは自分のことだけ。
それでいい。
他人に興味はない。
もうこれ以上自分のことで煩わせたくない。
少しだけほっといてくれたらいい。
誰かが安心したくて「大丈夫?」と聞くのを少しだけ我慢してほしい。
興味本位で生傷に触れるのを少しだけ我慢してほしい。
もう13歳の時から「大丈夫」な時など一度もないことに気づいてるから。
少しだけそのことを忘れたいだけ。忘れることなどできないのだけど。
言葉にしてしまえば、何もかも善悪がつきまとうだろう。
そこには救いはない。
もう救いなど誰にも求めてはいない。
そのことが分かるだけで十分だ。
涙ぽろぽろ
ちょっとしたことですぐに泣く。
もちろん誰にも気付かれないように。
聴き覚えのある曲。
何度も繰り返して聴く。
何て優しく響くのだろう。
手を伸ばせばすぐに柔らかい手があって。
疲れた身体を横たえたら暖かくて。
満ち足りて、幸せで。
何度も何度も確かめて。
明日も楽しみで仕方ない。
幸せ以外に何もない。
たまに悩んで、カッコつけて。
たまに不幸ばっかり探して。
ずっとずっと遊んでる。
真面目に生きたことがない。
マジメなふりはたまにするけど。
そんな時は涙は出ない。
何も考えてない。
もう気づけばある時期から楽しいことばっかり。
夜更けにたまに昔のことを考えるけど、
ひたすら楽しいことばっかりだったよ。
悲しんだり、喜んだり、
傷つけてたり、愛しあったり。
何年経っても忘れることなんてできないよ。
たまに夢枕にだって出てくる。
とても愛おしい。
でも、もう二度と戻れない。
救いがない。
悪人のフリをしても、善人のフリをしても、
バカのフリをしても、賢いフリをしても、
面白くない本を読んだ時の裏切られ感ときたら。
泣けてくる。
堕ち切るには弱すぎるのですよ、相変わらず。
弱いから涙は出るのでしょうか?
※
土砂降りの土曜日。
お昼に奥さんとラーメン屋さんに並んだ。
いつもの、いや、たまに、
僕は10歳の時から。
奥さんは20数年前から。
列に並んでカウンターに横並び。
出てきたいつものラーメンを無言で食べる。
次のお客さんが待っているから早めにすする。
すするペースはいつも同じ。
食べる順番もいつも同じ。
だから、食べ終わる時間も同じ。
今日は喉に引っかかったネギも同じ。
そのネギで少し咳が出て嫌な視線を感じたことも同じ。
少し朝泣いて、また夜中に泣いて。
エンドレスリピートで今日拾った曲聴いて。
明日が楽しみで眠れなくなって。
泣いたり笑ったり、中年は何かと忙しい。
来週も来月もまた楽しいことばっかりだね。
おやすみなさい。
亡霊
時々、見えもしない影を見る。
過去なのか、現在なのか、未来なのか、
「それ」が見えている間、とても複雑な気分になる。
目に見えている世界だけが全てではない。
それはぼんやりだが確信している。
願うと現実の中でそれが叶うという。
つまり願わななければ何も現れない。
現れたものは全て現実か? それは分からない。
だが、偶然の積み重ねは必然となって現実となる。
この繰り返しの中でもがき、苦しみ、楽しみ、また嘯く。
自分ではどうにもならぬ力にまた恐怖を覚える。
畏敬にも似た感情は今を生きる人への負い目。
罪悪感の根底には嘘や虚栄、ただならぬ自己顕示欲があるのだろう。
一体、何を相手に今も戦っているのか。
昨日あったこと、今日楽しんだこと、明日が楽しみなこと。
主語はなくても何を言っているかぐらいは分かる。
そもそもこうした時、気の利いた言葉が必要とは限らない。
※
夢に過去の人が出てきた、という。
過去に生きる人は、生きているのか死んでいるのかももう分からない。
興味はあるが、正直現実ではもう忘れている。
現在を生きる人は、幼な子と共に生きていた。
今を生きるのに一生懸命だ。
未来に目を向けると、もう時間がない。
生きてさえいてくれればいいと願うが、それもまた他人事でしかない。
自分のことで精一杯だ。
むしろ、自分のことだけで生きることができるのは幸せなこと。
だが、また「それ」は現れるだろう。必ず。
「好む」と「好まざる」に拘らず、だ。
甘美な思い出も、被害者も加害者も一切の区別なく現れる。
根底に起きた事実を受け入れない限り、未消化のまま、進化しないままに毎日を貪る。
人間は簡単には変われない。そういう性質のものだ。
何を願い、何を糧に生きるかは自分でしか決められない。
その現実を作り出しているのは自分自身でしかない。
それを受け入れなければいけない。
生きているうちに。
※
現世(うつしよ)とは、そういうこと。常世(とこよ)の反対側にある。
だが、不思議なもので歳を重ねると見えないものが見えてくる。
時々、現実の中に白昼亡霊を見る。
覚書3/24
不安はどこからやってくる?
コロナ禍で何度目か、仕事の潮目。
その節目に差しかかっている。
いい加減落ち着いたらいいのに相も変わらず漂流中。
不安定と引き換えに自由を手に入れることができると信じる。
自由を手に入れるなんてカッコつけても内心は不安でたまらない。
不安が心を支配する時はいつも逃げてばかり。
見ないふり、感じないふり、平静を装うふり、
強くみせたり、弱ったふりしたり、同情を乞うたり。
本音はいつも明後日の方向を見て。
抑え付けて、誤魔化して。
生来怠け者で欲深いくせに、大変だ、大変だ、忙しいって。
もうそういうの疲れたよ。
全部海に流してしまいたい。
逃げたい。どこかへ消えてしまいたい。
それでも前を向かないといけない?
何もできない。希望が持てない。
※
懐かしくて思い出の地へ一緒に出かけた。
虹のかかる朝。
妻と迎える朝。
神のいる場所だという。
パワーをいただける場所だという。
パワーを受け取れるかな?
いやもう受け取っている?
この場所に来ていることが奇跡だという。
そこから不幸を自ら探してばかりだと気づく。
自分を粗探し。自信がいつもない。
この不安はどこからくるのだろう?
答えは虹の向こうに?
心がバラバラ。
過去の姿を探す。
そこから未来を見る。
心はいつも弱ったり、強がったり。
少し深呼吸してみよう。
僕は過去からできている。
過去はいつもプロローグだ。
それは信じている。
繋がりこそが僕を生かすもの。
丁寧に不安と向き合ってみよう。
もうすでに現実になっている。
あとは受け取るだけ。
過去を慈しみ、愛して、許す。
自分の人生は哀れであっても善悪は自分で決められない。
全てが愛おしく感じる日もある。
過去も現在も未来も。
少し落ち着こう。
覚書10/24
A Message to you
どうにもネガティブな夜想。
眠れないので書くとする。
意味はない。想うまま書く。
※
時は進み、世の中も変わる。
世の中は自粛ムード一色だ。
世界はどこに向かっているのか誰にも分からない。
それを知ったところでどうすることもできない。
そしてそれを知っても今はどこにも行けない。
誤解を恐れずに書くと、人間は行動制限をされればされるほどその心は自由に動き回る。
不自由だからこそ、不安であり、不安が支配されればまた行動も悪循環に陥る。
希望が持てないのは不幸でしかない。
過去、現在、そして未来。
楽観したり悲観したり僕の頭の中は目まぐるしい。
明日は何をするかまたグルグル考えるが、
それが八方塞がりであることを悟るとまた寝心地のいいベッドに沈む。
※
不易流行
いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも
新しく変化を重ねているものをも取り入れていくこと
ふと、この世の中の騒ぎで頭の中から湧いてきたキーワードだ。
普遍的な家族のあり方、ライフスタイルやデザインの細部に至るまで、
あらゆる共通項をこの騒動から見出せる気がしている。
不易流行は生きることそのものであり哲学に他ならない。
しかし変わらないものを探せば探すほど、自分の本質から遠ざかってしまう。
実は、変化を受け入れることが大の苦手だ。自分の好きなことには目がないくせに、だ。
流行を追いかけるほど体力も気力もなく、だからといって大きな流れに身を任せる勇気もない。
自分の好きなこと、やりたいことを最優先することで精一杯。
相変わらずの行動パターンに毎日を埋没させてしまう。
自分の弱さや本質を見失わせている要因の1つは「欲望」だと思う。
「欲望」はもちろん今目の前にある現実に湧いてくる感情に他ならない。
「欲望」とは仏教で言うところの「煩悩」と解釈できる。
「煩悩」とは心身を乱し、正しい判断をさまたげる心のはたらきのことだから、
「煩悩」に心身が支配される自分がいつも落ち着かないのは当たり前のこと。
しかし「煩悩」からくる不安と向き合う術をこれまで学んできたはず。
時にはだらしない自分を認めたり、関わる周囲の関係からパワーを頂いたり。
心が揺れたり、傾いたり、折れたり、現実から目をそらしたり。
それもまた自分と認めることで不安から逃れてきた。
この場合の本質とは「自分がどうしたいのか」を見極めることに他ならない。
もちろん、どう自分が感じるか、自分がどうしたいかを考えることは自由だ。
そこに弱さや強さがあってもいいし、誰に責められる問題でもない。
何が本当にしたいのかを見極める必要がある。
この場合「善し悪し」は価値観であり、内省して罪悪や懲罰で咎を受けることが本質ではない。
不安の正体=煩悩の正体を明らかにすることが好転のきっかけを作ると信じている。
※
例えば、これまで不安と向き合う1つの対処法として、
大好きな旅行の計画を立てて不安を希望に変換してきた。
旅行の計画が立ち、行動を思考した瞬間にそれはたちまち現実になる。
不安が希望に変わる瞬間だ。それを楽しみにまた生きていくことができる。
実際に旅行に出ることで、何気ない日常がいかに大切な時間か実感することもできるし、
一緒に行く人間がいれば、その関係も改めて確かめることができる。
かつて走った果てしなく続く一本道。
喧騒と欲望蠢く街の光。
静けさの朝と夜の訪れを告げる夕陽。
見たこともない青色、赤色、世界の七不思議。
全ては過去であり未来。
今はそれを想像する現実がある。
自分が好きなことがことごとく制限される。
まるで、これまで自分がしてきたことを否定されたかのような錯覚に陥る。
こうした現実が目の前に表れるのはもう一段階上の自分と向き合う時間が来ているのだと思う。
不思議なものでそうしているうちに「好きなこと」とは何かを実感できる。
「煩悩」は108あるといわれる。
つまりこれまでいくつか向き合ってきた「別の煩悩」の1つとまた向き合うことになったんだと思う。
※
こうして書くと少し落ち着く。
過去のことで少しおセンチになったりする中年は始末が悪い。
これ聴いて寝ます。
覚書2020-4-19
「どこかここと違う場所」
8月も後半とはいえ今年はまだまだ暑い日が続く。
昨日から子どもが一人で海外旅行に出かけて行った。
時間の流れと子どもの成長を感じながら、ふと自分の大学生時代を思い出していた。
※
もうずいぶんと昔、大学生だった頃の夏休み。
バイトでお金を貯めてアジアを旅行するのが好きだった。
初めて見る風景や聞く言葉、食べ物、円高のギャップ、文化、出会うもの全てが目新しいものだった。
今と違い、インターネットや携帯電話もない時代。
「地球の歩き方」と旅で出会う日本人の口コミだけが情報源だった。
行き先への不安よりも好奇心が上回る年頃だ。何も考えてはいないといえばそれまでで、
とにかく「どこかここと違う場所」へ行きたい。それだけを考えていたことを思い出した。
実際、当時のアジア諸国(現在もそうなのかもしれないが)は計画を立てても思い通りには進まず、
時にトラブルでイラついて弱気になったり、些細なやりとり(値段交渉とかね)で喧嘩になったり、
日本では考えられないほどの緊張感、警戒感を強いられることが多かった。
それだけ自分が未熟だったんだろうし、現地の文化や習慣を理解できていなかったんだろう。
途中でなぜこんな旅を続けているのか意味も分からず、あらゆる葛藤と向き合う日々だったように思う。
それでも帰国すればまた「どこかここと違うこと」を求めて、旅行の計画を密かに? 練っていた。
時が経過すれば、自立せざるを得ず、自立とはこれ生活をしなければいけない訳で、
つまり何か仕事なりをして生業を立てざるを得ない。
しかし、世の中には修行僧の「雲水」的な一箇所にとどまらない生活をする人も数多く存在していた。
それはインドの海岸の宿で出会った日本青年であったり、脱サラしてタイとマレーシアを往復しながら生活するバックパッカーであったり。25年以上前からこういう生活する人はたくさんいた。
彼らは自分の憧れの姿ではあったが、どうにも将来への不安で自分は「雲水」にはなり得なかった。
今彼らが何をしているのか知る由もないが、思うのは人の生き方にはおおよそ善し悪しなどではなく、自分が思い描いて実行した現実が目の前にあるのみ。
「当たり前だと思いこんでいる幸せ」が生活に埋没して見にくくなる瞬間があるんだろうと思う。
旅行へ行くっていうのはこういう何気ない幸せを確かめるために行ってるんじゃないかと思うことがあるってこと。
変わり映えしない毎日で埋没する感情、思い、行動、見失った自分の姿。
こういうものから客観視して向き合えるのも旅行のいいところなんだと思う。
普段とは違う空気を吸うだけで、実は自分もまた変化していることを実感できる。
ここでいう「どこかここと違う場所」は近くて遠い。永遠に見つからない場所なのかも知れないけど。
大学生の頃見えていた「どこかここと違う場所」と今見えている「どこかここと違う場所」は、
一体何が違うのか自分にはまだよく分からない。
確かなことは、子どもが成長していく過程で、自分を投影していること。
こうして昔を懐かしむ行為もそうだし、これからもう一度旅に出たいと思う衝動もある。
きっと、何気ない幸せを見失っている時、「どこかここと違う場所」を考えてしまうのだろう。
きっとそれは旅行に限らず、あらゆる現状に対してもいえること。
それが、他人を苦しめたり、傷つけてしまうものなら何気ない幸せもまた見失ってしまうだろう。
まさに元も子もない。
そんな時に必要なのは、旅行ではなく治療が必要なのかも知れない。
※
また、「どこかここと違う場所」に行こうかと思う。
何気ない幸せを一緒に感じることが至上の喜びだから。
一人でフラフラは行かない。
覚書8月29日
20th
ふと深夜にログイン。
ここ数年見向きもしなかったこのブログ。
何でかって、理由は様々。
ともあれ明日、久しぶりに大阪へ。
ログインした理由はそういうことにしておこう。
昔、一緒に働いていた部下が一時帰国するとかで、飲み会のお誘いがきてスケジュールなんかのこともあって悩んだが出席することにした。
今、一時帰国した彼の働いている国に興味があって、その現状も聞きたいっていうのもある。
でもそれより仕事じゃない理由で大阪へ行くって何か特別なことに思えて。
大阪での出来事がこのブログを書くきっかけになったことは間違いない。
もうあれから10年以上の月日が経過した。
それでも何もかもを忘れることはできないし、あの日々を美化するなんて自分にはできない。
今だって、どう解釈していいかも分からないし、本当に人を傷つけてしまった。
このブログを未だ書いてしまうのは未練や郷愁といったおセンチな理由ではなく、家族や人生を深く見つめ直すためなんだと思う。
ふと。
「人の幸せとは何か?」
この数年、いつもいつもこの問いを自分に確かめるクセがついた。
すると
「お前はどうしたいのだ? 今、何にワクワクしている?」
いつものようにこう自分が自分自身に問いかけてくる。
深呼吸して。
子供たち、家族のこと。週末のこと。
近い未来のこと。遠い未来のこと。
少し不安になったならワンクリックで手に入るMusicを大量に漁る。
いつものこと。
レコード屋さんは僕にとってもうはるか遠くの記憶。
昔聴いていた曲。今興味のある曲。
昔自分がCDで聴いていて今、自分の子供がレコードを買ってきて聴いている曲。
日本語、英語、どこか遠くの外国語、歌詞がない曲、両耳から全身に注ぎ込まれる。
また深夜。
いつだってアイデアは夜にあふれてくるものだ。
便利なようで不便な世の中になった。
時間は歳とともに確実に縮んでいることを実感する。
あの頃。
10数年前ならタバコをふかして酒を飲みながら本を読んだ。
そして、時折届くメール着信の合図。
若さは睡眠を遠ざけ、ひたすら欲望へ忠実に。
そして、身の丈に合わない節制は精神を蝕み自分の正体を隠してしまった。
今は世界とつながるこのちっぽけな箱と向き合っている。
だが、ここには何もないことを誰もが知っている。
だが手元には、酒もタバコも今はもうない。
だからベッドの縁に座って、イヤフォンで耳を塞いで音楽を流し込む。
変わらないのは隣で安らかに眠る妻。
お互いに歳を重ねたよ。
でも何も変わらない。お互いにね。
僕はさらにバカになり、あなたは自分を解放する。
子供たちは生きる術を覚えてどんどん成長する。
毎日あなたとその成長を見守り楽しむことができる。
もうしばらくすればまたライフサイクルは繰り返し受け継がれて行くだろう。
それは退屈ではない。いつも毎日は新しい。
やがて夜は明けて、朝を迎える。
少し憂鬱な朝も、その先のワクワクする未来には影を落とさない。
自分しか現実を創ることはできないのだから。
※
今年、僕らは入籍してから20年を迎えた。
子供は成長して今や大学生に成長した。
10年前は山奥の温泉に出かけた。
20周年の今年は南の島へ行ってきた。
こんなに寒い沖縄は初めてだったけど、これほどワクワクした時間を共有したのは久しぶりだった。
CDにして4枚分の音楽を詰め込んで。
それを浴びるほど聴きながら古くて新しい自分たちをまた発見したんだと思う。
沖縄は自分にとってかけがえのない場所。
スピリチュアルな感覚で言えば「命」を実感できる場所。
ここに来なければ、妻との出会いもなかった。
そして入籍して20年目に妻と沖縄に来るなんて想像もしていなかった。
この先10年。何があるのだろう。
でも、不安になったらまた深呼吸して。こう自分に問う。
「お前は一体どうしたいのだ? 今、何にワクワクしている?」
何が一番楽しいか。ワクワクするのか。
一番それを知っているのは自分自身。
それを理解してくれる人がいるだけで幸せだ。
そして、不安な気持ちを抱いても道はこの先も続く。
その先に何があるかなんて今は興味はない。
ひたすらに楽しい音のする方へ歩いて行く。
疲れたらまた少し休んで音楽を聴けばいい。
楽しそうな音のする方へ。
夜想3/3 2018
覚書1/29
何がどうということもないけれど。
*
それにしても芸能人の不倫だとかスキャンダルは相変わらずで枚挙に暇がない。
およそ、倫理観だとか法律では人の欲望など抑えられるはずもないのだろう。
人の本質とは楽しく生きることだから、その心理に従っているにすぎない。
誤解を恐れずに書くなら、現実を作るのが本人の意識だとするなら不倫する方もされる方も何らかの不足感が背景にあるのだと思う。
「足るを知る」…とでもいうのだろうか、不足があるからこそ充足もある。
不足がなければ、幸福もまた感じられないのだとしみじみ思う。
もし、毎日が日曜日なら日曜日の意味すらもない。平日があるからこその日曜日なのだ。
つまり、そこに人間の本質的な部分が顕れる。それが生きるということ。
本来、欲望はいつもむき出しだ。
「今日は何を食べよう、仕事をしよう、コーヒーを飲もう、今日はもう寝よう」
すべては自らの欲望から行動の原理が見出せる。
それが本心だから、隠したって無駄。神様はみんなお見通しだ。
みんな自分の中に答えが全てある。
素直に自分の欲望を認めると不思議とそれが叶う。
人間はそれができる生き物だ。
だから全て自分の中にあるからこそ、それが急速で劇的なことをリクエストすればその分強烈な不足感がある現実が開く。
また、幸福を受け取れるだけのキャパがなければ幸福もまた受け取れない。
例えば。
「お金持ちになりたい」のではなく、「大金を受け取ったら何をするか」なのだ。
お金は単なる手段なのであって、単に目的がお金持ちになることではあまり意味がない。
お金もちになりたいとリクエストすれば、また強烈な不足感を味わう現実が開くだけ。
幸せとの相関関係で考えるとお金は手段でしかなく、ましてやすがるものでもない。
自分が何をしたいのか問いかけることで、自分の中の答えが見つかる。
要するに、固定概念にとらわれない心。いや、固定観念に気づく心があると人生は楽しい。
現実とは自らが望んだ世界しか開かない。
それを今、実感している。
覚書1/29/2016



