かつては、収穫した穀物などは箕を用いて選別していました。

小豆や大豆などの豆類は、棚で乾燥させてから脱穀します。

農家では殻と実を選別するのに箕(み)を使用しました。

箕を上下に揺すり殻を吹き飛ばします。かなりの熟練がいります。

 箕は農家には必需品で大切にされました。子供が箕に乗って

遊ぼうものならコッピドク、がられたものです。 

もう、箕を見ることはないでしょう。箕で簸(ひ)る作業の

できる人はいなくなりました。

 

 サツマイモのことを対馬では孝行芋といいます。

戦後しばらくは麦と共に主食でした。芋を切り干しに

したりセン(でんぷん)にして保存もしました。

 

 以前は多くの農家が孝行芋を栽培していましたが

現在では珍しくなりました。かつては牛馬を使役して

家族総出で孝行芋ツラを植え付け、収穫したものです。

 

 掘り出した芋は火にクベて、焼き芋にしました。

 

  牛を使役して孝行芋ツラ(蔓)の植え付け作業

 ツルベと言えば、若い人の中には人気タレントの

鶴瓶さんを連想するひとが多いのではないでしょうか。

しかし高齢者は釣瓶を思い浮かべることと思います。

 

 釣瓶は井戸の水を汲みあげる道具で、水道が普及する

以前はどこの家庭にもありました。竹竿の先に桶やバケツを

取り付けて井戸に沈めて引き上げました。井戸の上に滑車を

設けてロープに桶を結んで水汲みする家もあります。

 

 井戸の水は夏は冷たくて、冬は温かいのでありがたいのです。

特に野良作業の途中で飲む井戸水は清冽で、汗をふきながら

ガブ飲みしました。一息してから顔を洗いました。

 

 対馬は険しい山々が重畳する山国です。

山仕事は早朝に出かけて夕刻に帰宅していました。

山に向かう男性は長テボに鉈や弁当を入れ、騎乗して

出陣します。

 

 また、かつては長テボを載せたショイコを背負って、

ボチボチと木庭に行く人もいたもんです。山道を

小鳥の囀りを聞きながらの道中です。自然と

一体化した暮らしでした。

 

 

 

 

 戦後、農家では老若男女が役割分担して仕事をしました。

機械化される以前は、ほとんどの農作業は手仕事です。

大豆や小豆は棚で乾燥させてから棒で叩いて脱穀します。

元気な人は「ブリ」を使って叩いたものです。老人は

短い棒で大豆などの殻を少しずつ叩いて脱穀しました。

殻から取り出した豆は箕(み)を使ってゴミなどを除去し

選別します。その作業を「簸(ひ)る」といいます。

 昨今では箕を見ることもなくなりました。