対馬市美津島町加志京ノ原に鎮座する太祝詞神社で
10月29日(旧暦9月9日)、大祭があり「命婦の舞」
などが奉納された。同社は律令時代に「封戸(ふこ)」を
与えられた記録があり対馬で最も歴史のある神社。
封戸とは、古代日本において貴族や寺社などに与えられた
俸禄制度の一つで、特定の公民の戸を支給したという。
対馬において封戸が与えられた記録は太祝詞神社が唯一。
『新抄格勅符』の神封部の条には、大同元年(806)、
対馬嶋の太祝詞神に二戸を与えられていたという記録がある。
因みに宗像神には七十四戸、壱岐嶋の大社神は一戸とされている。
宮司は橘氏が世襲しており古代に阿連から遷宮したと伝わる。
伝説によると、最初、神様は阿連の大野崎に鎮まっていたが集落上流の
ドンクマに移り、更に宮司壇、その後に加志に遷宮したという。
古代の阿連は朝鮮半島南西部や中国との間に航路が開設されていたと
考えられる。そのことを物語るように、延歴24年(805)6月の条に
遣唐使第一船、六月五日、対馬島下県郡阿礼村に到る。
とある。阿礼は現在の阿連で、封戸の支給と関連があるかもしれない。
遣唐使船には伝教大師(最澄)も乗船しており阿連には「伝教大師
入唐帰国着船の地」の顕彰碑が建立されている。また最近、伝教大師像が
顕彰碑に隣接して設置された。阿連には「湊(みなと)」の地名があり
古くは国際港であった。
それ以前の太祝詞神社は阿連南側の大野崎にあり、中国や朝鮮半島
南西部に向かう船の航海安全を祈願していたのであろう。国際航路が
閉された後、港の機能が衰退し同神社は加志に移ったとみられる。
加志は一時期、おおいに栄えた。大宰府との間に航路が開設されて
いたようである。航路沿いの各地には志賀神社が勧請されている。
基点の福岡市志賀海神社から壱岐勝本町の志賀神社、対馬厳原町の
志賀神社、美津島町小船越の志賀神社、同町加志の志賀神社と
結ばれ終点は加志。志賀神社は航海安全を守護した神様である。
加志の太祝詞神社は時代を超えて大切にされた。境内は
「京(きょう)の原」と呼ばれ、モミジやカヤ、ケヤキなどの
大木が根を張っている。特にモミジの巨木は圧巻で紅葉の頃は
「京の雅」が楽しめる。
それだけではない。太祝詞神社はツシマヒメボタルの隠れた名所で
ある。シーズンの深夜には無数のホタルが飛び交い幽玄の世界を
創出する。ホタルは太祝詞神社の神霊といえようか。
太祝詞神社
奉納された命婦の舞





