対馬の住民は古来より「国防の最前線」という十字架を背負って暮らしています。
元寇では最初に対馬を襲撃、住民は凄惨な戦いを強いられ大きな犠牲を払いました。
今はほとんど知られていないことですが元は侵略前に外交使節を日本に派遣します。
海峡を渡り対馬に到着した使節は役人に大宰府に行きたい旨を話して通過させる
ように依頼。ところが役人は鎌倉幕府の指示で通行を拒否します。困った使節は
地元の住民、弥二郎よ藤治郎を拉致して帰国します。
二人は大都(現在の北京)まで連行されフビライ皇帝に謁見、歓待されました。
元の高官らは大都などの大規模な施設を見せつけ国力の格差を知らしめて
服属させる狙いがあったようです。そして二人は無事に帰国しました。
島では大きな話題となり弥藤治伝説として語り継がれます。
対馬では「弥藤治」伝説として上県町佐護や厳原町阿連に残っています。
両地区に共通するのは中世には外国に開かれた湊だったということです。
それぞれに湊の地名が残っています。阿連は中国と佐護は朝鮮と結ばれて
いました。
作家井上靖は、二人がフビライに謁見したこに注目、重要な出来事として
短編小説集『天目山の雲』の中で「塔二と弥三」のタイトルで出版します。
昭和50年の発行なので書店での入手は困難なようです。





