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城郭模型製作工房

城郭模型作家・島 充のブログです。日本の城郭および古建築の模型やジオラマの製作過程を公開しています。

途中で護摩壇を挟みますが東大大講堂の製作です。
頭をぐんと近代に切り替えて。

図面の原寸調整も細心の注意の下終わり、立面と断面もピッタリ合います。

立面、断面、平面を総動員して設計開始。
水平垂直が命になって来るので、建物の芯はレーザーカットに出します。

パーツ(一部)です。
部材の厚みを考慮しないといけないので、これがなかなか頭を使います。

最後まで響く大切な工程なので、今日は一日中パソコンにかじりつきっぱなし。

最終的には、この特徴的な柱と壁の反り上がりが鍵になってくるでしょう。ちなみに模型では、この柱の幅は2.5ミリしかありません。



さて。
引き続き撮影してきました。

南西方向から。櫓が建ち並び、二重の多聞櫓、大納戸櫓越しに天守を望む重厚な眺めです。

ほぼ同じ方向から内下馬門まで入れたところ。
奥にそびえる天守が二重三重に守られている印象を受けます。

少しずつ北へ。
天守は小ぶりな上、櫓と多聞櫓に曲輪が取り囲まれています。そのため、城下からは天守が隠れてしまうのではと思いました。
ところが、どこからでも天守は見えるようになっています。ちゃんと計算されているのでしょうね。

面白いのは月見櫓の脇。ここは多聞櫓ではなく土塀になっているため、真横からの天守が一望できます。

北西隅から。天守と櫓十基が一望できる壮観です。

少しアングルが変わるだけで景色が変わります。

北側の馬場口門周辺は古写真も無く、この辺りの雰囲気を再現して見てみたいという思いがありました。

旭川の対岸から。城下からは遠かった天守が、こちらでは眼前に迫ります。

旭川沿いに下ると水の手門、槍櫓、弓櫓、二重の多聞櫓と厳重な守りです。本段の櫓を見上げます。

南東隅から。旗櫓と宍粟櫓が並びます。

こうやって目線を下げて一周すると曲輪の中が思いのほか窺い知れないことが分かります。

この内部は御殿でぎっしり!なのです。

岡山城は引き続き少しずつ詳しい解説を加えていきます。

製作はひと段落。

そして製作は次の作品へ。


次は…

安田講堂!

と、護摩壇。

どちらも今まで手がけたことのない変化球です。

安田講堂の方は窓枠のエッチング設計もほぼ終わっていますが、


エッチングの設計をお願いしている石屋模型店の安藤様より、3つの窓の幅を12.2mmにするか12mmにするかどちらにしますか、というお尋ねが。


まだ岡山城の製作中だったため、頭が切り替わらず、お待ちいただいてました。やっとお返事できます。
このように整形の建物ですので、この0.2mmが後に響いてくると踏んでいます。

今日はまず原寸図の製作。各面の縮尺を統一していきます。
これも最後まで響く作業ですので、細心の注意を払いながら行います。

護摩壇は金具のエッチングがすでに出来ています。

これからまた新たな作品に向かって!

(記事はしばらく岡山城も続きますよ!)


寛保期の岡山城本丸を再現した模型が、ようやく完成しました!

天守の製作に取り掛かったのが今年一月末。ご注文は昨年の晩春でしたので、一年以上お待たせしてしまい…


古絵図、古写真、測量図、発掘調査の成果…あらゆる資料を総動員しました。

途中、新たな古写真や古絵図の発見もあり、当初、「江戸中期」という漠然としたものでしたが、「寛保期」と時期を明確にすることができたのも今回の模型製作のひとつの成果だと思います。


現在出されている復元図や、実測図、古写真に写っている櫓の名称に対して、指摘すべき点を発見することができたのも、模型をつくるということが実証的な作業であるからだと思います。


幼い頃から何枚も鳥瞰図を描いては思いを馳せていた岡山城を、こうして立体化できたのは、やっと夢が叶ったような気分です。

建物がすべてあった時の岡山城を見てみたい!という思いが、こうやって完成までの長い道のりを支えました。

博物館の展示模型とは違う方向性で。臨場感あるものを。いつも私が目指していることです。

こうやって太陽光に当てた時に、今までの作業の積み重ねが、すべて露わになります。

城下からはこのように見えたことでしょう。

岡山城。名城です。

明日も引き続き撮影します。
そして今後、一つ一つの建物について、何回かに分けて、少しずつ解説を加えていきます。


今日の夕方の状態です。

最後の櫓、月見櫓も粗塗りまで完了。

現存建物のため、最後に集中して作りたかったという思い入れの部分もさることながら、唐破風が3つ、回り縁もあるなどめんどくさいという現実的理由もあり最後になりました。

岡山城の櫓の中でも特別な意匠の櫓だということがよく分かりました。

天守にも金を入れ。

その他、残っていたのは、奥深いところばかりでした。

高麗門
ほかにも門がたくさん。

築地。塀。板塀。

花畑御殿の出窓。

廊下門周辺は渡り廊下やら土塀やら通路やらが立体交差でカオスです。


「御秘用口」の埋み門もよく見ると奥に。
この部分を作って分かったことは、「これらの建物が確かに存在した」ということです。

資料は古絵図の平面のみですが、面白いほどスムーズに納まっていきました。増築を繰り返した部分ですから、必然性があってのその平面になっていることがよく分かりました。

建物など造形物は9割7分終わりました。

最後は犬小屋の予定です(笑)

この後は全体の最終彩色と植栽。あと防火用の水溜と井戸。水面の波紋。

先が見えました。

次回は完成のお知らせ(の予定)です。

あと、ご報告が遅くなりましたが、

【学研まんが NEW日本の伝記 淀殿】


に、私が作った豊臣大坂城の模型画像を使っていただきました。昨年の夏、個人様のご依頼で製作した全景模型です。

製作した者として、子供たちに豊臣大坂城への夢を持ってもらえればと願っています!



岡山城の本丸を寛保期のようすで再現しています。

この度中間報告として、岡山市内のご依頼主様のところへ模型をお見せに伺いました。

日程を決めていたので、お手伝い人員を二人に増強して出来るだけ完成像が見える状態まで一気に持っていきました。

屋根の下塗りをした状態。
我ながらよくこれだけの建物を作ったと思います。屋根の下塗りだけで5時間かかります。

建物を置いてみた段階。

土塀で囲った段階。

本段御殿の玄関付近。

下の段の蔵群。板塀や柵で表情がつきますね。

三本の渡り廊下もフリーハンドで作成。

樹木もまずは最低限度植え込みました。


南からのパノラマです。



車に載せて…あと幅が2センチでも大きければ載りませんでした。

7時間かけて無事岡山着!

とても喜んでくださり、一安心。
このあとさらに屋根や石垣の彩色を深めていきます。

帰りは岡山城
福山城
広島城
と巡って。