先日のブログでもご報告しました、福知山城の古写真です。
もう新聞やネット記事でご覧になられた方も多いと思いますが、ニュースになりました。
今回初めての経験でしたが、発見をニュースにするのがいかに大変か!!ネットオークションで発見して、これは大変なものが出ている、と体が震えたのは目の前に大ニュースがあったからなのですが、それを現実のニュースとするにはいくつもの山がありました。
まずは落札。
これが他の人のところへ行ったら、どこに行ったか分からなくなってしまう。そうなると、資料として表に出ることは2度とないかもしれない。福知山城の本来の姿を、みんなが見ることができなくなってしまうかも知れない。何がなんでも入手せねば!と決意しました。「詳細不明」となっていて「城」のキーワードすらないので、見つけている人は少ないだろう、しかし、かなり高額になることは覚悟しました。
案の定、直前に高騰しましたが、50万円を超えることまで想定していましたので、大きな額を入力して、落札が決まった時には全身に汗をかいていました。
出品を確認してから落札までの間に、商品画像を見ながら図面化をはじめていました。
これが当初版。
そのあと現物をもとにさらに観察を加えて手を入れ続けて、報道発表時にはこの形に納まりました。
写真の観察結果を見える形にしただけで、厳密なものではありません。立体では成り立たない。
無事に現物が届いた翌日、さっそく福知山市に連絡。市の学芸員さんに報告しました。ところが市には城郭史の学芸員さんがおられず、いわゆるお墨付きが出ないことが分かりました。
しかしこの学芸員さんは写真の分析に必要な資料を迅速に提供してくださったり、現況の写真を位置をずらしながらわざわざ撮りに行って何枚も送ってくださったり、おかげ様で撮影地点の推定をはじめとして写真の分析がとてもスムーズに進みました。今もやりとりを続けており、福知山での展示などに繋がっていく予感がしています。
撮影地点については、原始的な方法ながら、写真の中の基準点3点の比率から、天守からの距離75メートル68センチ、標高差10メートル90センチを割り出しました。
ちなみにこの地点は現在は空中です。ドローンでも飛ばさない限り同じ角度では撮影できません。なぜならば…撮影地点の二の丸は、完全に掘削されていて、今の地表面は当時より17メートル低くなっているからです。
同時に、知り合いの記者さんに相談していました。しかし、第三者のお墨付きがないことには、記事にはできないのです。この段階では福知山城の古写真を見つけた!と主張している人間が1人いるだけ、という状況です。
こんな時の強い味方はペーパークラフトのファセットの石原社長。同社のペーパークラフトは三浦先生の監修なのです。ちょうど先生に会う用事があるとのことで、頼み込んで三浦先生に画像を見てもらいました。観察レポートを添付して。メールも繋いでもらって。
そこで問題発生。画像は本物だけども、「明治期の古写真である」ことの確証が取れないというお言葉!
本物をもとにコピーした模造古写真かも知れない。タイミングがタイミングだけに可能性はなきにしもあらず…
そこで今度は古写真の専門家を探すことになりました。あちこちに電話して、最終的に日本カメラ博物館の研究者の方に見ていただくことができ、明治期の古写真だという判断をもらいました。
目の前にあるのは間違いなく鶏卵紙写真でしかもそれは福知山城なので(しかしそれは私の目にそう見えているというだけのことなのです)、報道向けのリリースを前もって作り始めました。いつもは記者さんから取材に見えるので、自分から記者さんにニュースを売り込むなんてことはやったことがない。
プレスリリースってどんなことを書くのか?から始まって、どこに出せばいいの?郵送?メール?ファックス?わからない事だらけでした。
知り合いの記者さんに分からないことをいろいろ尋ねて、リリースを投げ込む場所も絞ることができました。
リリースには専門家のコメントもほしいと思い、古写真だという判断をいただいた段階で三浦先生にお願いしたところ、快くお受けくださりました。おまけに「城郭関連では近年最大の発見だから記者発表をする価値は十分にあります」との心強いお言葉。先生も興奮しておられるのがメールの文面から伝わってきます。依頼してほんの数時間で原稿を書き上げてくださいました。
記者さんに画像データや資料をダウンロードしてもらえるページを作ったりしながら、万全の態勢をつくって7月22日の朝、記者クラブへの投げ込みと個別告知、サイトでのリリース公開をしました。
すぐに各社から連絡が入り、22日は電話とリモートでの報道対応に終日あたることになりましたが、その晩には時事通信から第一号報道が出されて、その動きの速さに驚いたり。
各社、記者さんによって質問の傾向が違ったりして、それが記事の違いとしてどう出てくるのかも読み比べられるかも。
ニュースをニュースにすることがこんなに大変だとは!勉強になりました。
そして、この写真をニュースにするために動いてくださった人が10人以上いらっしゃいます。さらに見えないところで力を貸してくださった方もあります。本当にありがたいことです。
福知山城の古写真は、今後もっと鮮明なものが出てくるかもしれません。そして、今回の発見がさらなる城郭研究の進展に役立つことを期待します。
さっそく議論が巻き起こりそうな予感がしています。
発見は始まりです。
私も年内には、この古写真をもとに模型化しますよ!もう作りはじめてます。
これは割り出した天守からの距離75メートル68センチ地点から写した箱組の写真。
これまた原始的なやり方です。
模型は実体があるので、こういうやり方が1番確実だったりします。
古写真に重ねて確認。
ほぼうまくいってる。屋根勾配も近似値を抽出できているようで一安心です。
こういう経緯で発表に至った、プレスリリースと古写真の観察レポートは、サイトのトップで公開しております。読んでやって下さい。