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城郭模型製作工房

城郭模型作家・島 充のブログです。日本の城郭および古建築の模型やジオラマの製作過程を公開しています。

お待たせしました。
本日、情報解禁と電話が入りました。

この夏、映像用模型としてつくっていました豊臣大坂城の模型ですが、こちらの作品で使われます!


Amazon Prime Video
【MAGI 天正遣欧少年使節】

日本が世界180ヶ国に向けて発信する4Kの歴史大作ドラマです!

来年1月17日より世界同時配信!!


本編では

「その時日本の秀吉は…」ドーン

みたいな感じでほんの数秒だと思いますが…

実は当初、夏の陣大坂城炎上ジオラマを貸してくれというお問い合わせだったのです。

しかし詳しくお話を伺うと…4Kで、しかも世界配信と聞いて、それじゃさすがにプラモデルじゃ恥ずかしいと思い、急遽一から作ることに決めて突貫で二面だけ作ったのでした。


本編で使われた画像データもいただいていますが、こちらはまだ公開できません。
VFXの処理が加えられてすごいですよ…


スタッフロールに

美術協力 城郭模型製作工房

と出ますのでこちらもお見逃しなく!

公式サイトは下記リンクより。

安田講堂、完成の域まで達しました。
これ、模型の写真です。

これから最終確認をしていただいて、修正点を直して完成となります!

こんな大きさです。

本物と並べてみましょう。

今回は時間がかかりました。初めての近代建築ということもあり、「慣れ」が無いのです。
どうやったらこの形になるか?と手探りで進んでいくのは苦しかったですが、とても作りがいがありました。

東大…
なかなか縁がありません(笑)

安田講堂、写真で見たことはあったのですが。
裏側、こんな形なんだ…

玄関、3階にあるんだ…

塔の両側に中庭があるんだ….

模型にしなければ知りませんでした!

今回、最後に迷ったのは時計の時刻です。
何時にするか??

ご依頼主に相談。
昼休みの1番くつろげる時間帯ということで12時25分くらいはどうだろう、というご提案で。
12時25分をちょっと過ぎた感じ。

私も大学時代、3限目を入れずに長く昼休みを取ったり、そんなことを思い出します。
いかめしい建物なので、時間帯で和らいだ空気になり、とても情景の出る時間を選ばれたな、と思いました。

ちょっと塗装で私らしさを出したのが石造りの玄関です。
この感じ。

実物はこちら。

いい感じの質感が出たと思います。

樹木も、今回は鉄道模型用の既製品に手を加えて使いました。
本当にこんなきれいな樹形なんです。
ほら。

画像を何枚か上げておきます。












岡山城の模型が新聞記事になりました!
(山陽新聞 12月4日朝刊)

全文は最後にリンクしますのでこの画像で読まなくても大丈夫です!

以前岡山寺のご住職より、取材があったと伺っており、3日の夜、明日載るそうです、と連絡を頂いていました。

思ったより大きく取り上げてもらい。

今日5日、福山方面の朝刊に掲載、そしてデジタル記事としても配信されました。

ご住職が驚いておられたのがその反響。

掲載された日からたくさんの方が見に来られたそうで、電話もひっきりなし、携帯の電池が無くなりかけたそうです。

新聞の力は凄いですね。

そしてとても胸が熱くなる話を伺いました。

戦前、お城で遊んでおられたというおじいちゃん。
模型を見ながら涙ぐんでおられたそうです。

立体の模型が持つ力を改めて思うと同時に、心を動かしてくださる方がおられることをとても嬉しく思います。
そしてこの模型の凄いところは、これを見るために岡山で途中下車したい、とか、絶対見に行く!とかいう声が上がるところで、人を動かす力があるということ。これは私の模型の力ではなく岡山城の力でもあるのでしょうけれど。

ご住職の熱意でこの模型が生まれました。

もっとたくさんの方に見てもらいたいと、製作者としても願います。


さて安田講堂ですが、完成間近、今日は我慢できずに(笑)外で撮影しました。

次回!完成!



現在このような感じ。

ここに至るまでの地面の製作です。
石畳を彫る。
とにかく彫る。

高低があり、現地に二度行っていてよかったとつくづく思いました。

その後塗装して緑地や土の表現。

建物と同じくらい手がかかりました。

階段もあったり。

前庭左右の巨木は、メインツリーとなりますので、幹に小枝を貼り付けて手作りです。

立てて見ながら枝ぶり確認。

葉をつけて。

先が見えてきました。次回は完成かしら。



週明けから2日間かけて、いよいよ熊本城の大模型に取り掛かりました。

1人では到底無理な箇所が多く、お手伝いを頼んでいたので。

まず、原寸図作成。A4で100枚以上。

現存建物は平面を貼り付け。

発掘調査がされているところもデータを貼り付け。

建物の復元は、絵図や古写真は後の作業。まずは遺構の発掘調査の成果が土台です。

そして一気に地形の積み上げ。

1日目の作業終了段階。標高をそのまま縮小しているので、一番高い標高50メートルの本丸で高さがだいたい33センチくらいです。
5センチ厚の断熱材を切る作業で、3人ともぐったり。
私も次の日は朝から筋肉痛で。しかも四つん這いの作業だったので、腰から腿にかけてが久々に辛いことになりました。

次の日の作業でここまで。飯田丸の積み上げまで進みました。くらがり通路も見えますね。

計算した数字の書き込みがびっしりでしょ?
最終的には1ミリ単位で地表高を調整していきます。

購入した断熱材の山。近隣のホームセンターから買い占め状態です。

本日11月29日は「いいにくいことをいう日」だそうで(笑)、ツイッターのハッシュタグがトレンドになっていましたのでつい、つぶやきました。

#いいにくいことをいう日

この熊本城の大模型、材料費、大雑把に見積もってひゃくまんえん超えます。


大げさではなく。妻に言わせると、「そんなもんじゃない」そうですが。


2日間で思ったより進んだので少し気が楽になりました。

今後、一つ一つの建物を自分で復元考証して、模型化していきます。その集大成は来年の本の中で。


さて次は。

今話題の尼崎城!

史実と左右反転してる!とか、そもそもの場所が違う!とか本物志向の現在色々ご意見出ているようですが、地元にとってはとても活気の出るニュースだと思います。

そんな中、地元の方達が尼崎城のプラモデルを開発しよう!というクラウドファンディングを立ち上げられました。

今は第一弾として、シャチホコプラモを開発中だそうで。


これがかわいいの。

で、一目惚れして早速私も一万円コースで応援してきました。
なんでもAll or Nothing方式で、目標額に行かなかったら一円も入らないやり方での資金集めだそうで。
それでも見切り発車で制作を開始しておられます。

あと1ヶ月。賛同される方はぜひ応援して下さい。
リターンはこのシャチホコプラモですよー!

次の話題は。
こんな古い絵葉書を入手しました。

「盛時の大阪城」の模型の写真です。
千畳敷もあって、豊臣期を想定しているようです。
よくよく考えると、現在の大阪城天守閣が復興された昭和初期、現在の石垣は、天守台に至るまで全て豊臣期のままだと信じられていたのですね。
中井家本丸図が発見されるのは昭和36年。その頃からやっと豊臣の大坂城はどうやら地下に埋まっているらしい、ということになったわけです。

現在の天守閣は徳川期の天守台の上に豊臣期を模して建てられていてニセモノだ!という方もありますが、当時としては最新の研究の上で建てられたものであって、その批判は私にはかなり的外れに思えます。

そして、この絵葉書、よく見て下さい。

小天守が!
しかもどこかで見たことがある。

そうです。童友社のDX版やフジミの大阪城にある小天守と形が同じです。

(童友社(左)はメーカー完成品画像。フジミの方は画像検索から拝借。ゆくゆくは自分のに差し替えます)

現実には存在しなかった小天守がなぜあるのだろう、そしてこの形は想像なのだろうか?と昔から不思議でしたが、どうやら起源はここにあったようです。


最後に安田講堂。
現段階ではもう少し進んでいますが。
台枠をつくりました。これから前庭など進めていきます。
結構細かく高低があります。

今回はいろんな話題をひとまとめにしました。