駐車場を借りて見えるお客様が
クレーン車が停まっていて
車を車庫に入れられない
と言ってみえた

現場に行くと
駐車場敷地内にクレーン車を停めて
ゴンドラに乗って塗装してた

「何で勝手に停めてるんだ」

「あ、すいません」

「元請けを呼べ」

作業員が電話し、30分くらいで来ると言った

「飯喰ってくる」

と言い残し、クレーン車のエンジンを止め
鍵を抜いてその場を去った
当然、作業員はゴンドラの中

食事して現場に戻ると
この人が立っていた

「元請けさん?」

「はい どうもすいません」

「ここ寒いので事務所に来てください」

どうやって降りたかは分からないが
ゴンドラに作業員の姿はなかった
許可を貰って写真撮らせてもらった

事務所へみえたので
名刺を出して自己紹介し相手を伺うと

「名刺持って来てないです」

「ほな、名刺持ってきて下さい
 それと、土地使用料と迷惑料で
 *****円持って来てください」

元請けさん帰ってしばらくすると
施主から電話がかかってきた

「この度はどうもすいません
 鍵返していただけませんか」

「いいですよ
 もうその件は元請けさんに
 話しましたから」

「え?確認します」

30分ほど経って施主と元請けさんの二人がやってきた

「事前にこういう工事をするので
 ご協力お願いし出来ませんか
 と言われれれば当然協力するし
 料金も一切いただきません
 というか、普通の人は事前に
 相談されます」

「はい、誠に申し訳ありません
 使用料と迷惑料何とかなりませんか?」

と施主が言う

「悪いけどこれ以上議論するつもりは
 無いので腹に入らなければ
 お引取りください」

顔を見合わせて二人は帰っていった

30分程して元請けさんが来て支払ったので
鍵と領収書を渡す

「今日一日だけお借りて停めさせていただきます」

それから30分程して

「作業完了しました」


頂いた使用料・迷惑料は
当然、停められなかった契約者と
地主さんへ週明けに渡します
(ウチもチョッピリ頂きます)


*****

 

高倉健さんが亡くなった
近親者のみで密葬をすませた
というのはいかにも健さんらしい死に様だ

 

健さんとは一度だけ会話したことがある
1978年9月、当時高校1年生
映画「野生の証明」の試写会
場所は名古屋の名鉄東宝

 

普通、試写会はほとんどが文化会館とかで
開催されていた
映画館で行う試写会は「劇場試写」と呼ばれ
配給会社が気合を入れる超大作のみだった

 

何故か高校生にして映画界にコネがあったので
ほとんどの試写会は会場に行けば知り合いに
入れてもらえた
でも劇場試写はコネが効かなかったので
応募して当選したんだろう

 

一番乗りするために開場一時間以上前から並んだ(確か)
公開にあわせた全国キャンペーンで
高倉健、薬師丸ひろ子、夏木勲、佐藤純彌監督という
凄いメンバーが目の前に並んでいた

 

放映前に町田義人が生で
「男は誰も皆、無口な兵士・・・」という
主題歌「戦士の休息」を歌った
町田義人は黒いニット帽をかぶっていた
暑くないかと思った
その後黒いニット帽が好きになった

 

開場と同時に最前列センターのシートを確保し
パンフレットを買い
ロビーで来場者を出迎える健さんの前に行き
パンフレットとマジックペンを差し出し

 

「サインして下さい」

 

 と図々しくも言った

 

「今日はあいさつのために来ているので
 サインはしません」

 

 健さんらしい淡々とした口調だった

 

「あ、そうですか。すいません」

 

 あきらめた

 

ふと薬師丸ひろ子の前に行き

 

「サインして下さい」

 

 とまたまた図々しくも言った

 

「えー、恥ずかしいなぁ」

 

と言いながらもサインしてくれた
可愛かった
当時中学三年生
サインというよりは記名だったが

 

健さんにサインはもらえなかったが
コミュニケーションを交わすことが出来た
僕は忘れないが
健さんは覚えていないだろう

 

ご冥福をお祈りいたします

 

健さんに関する心温まるエピソードが
沢木耕太郎のバーボン・ストリートに載っている
ネタばれになるのでエッセイ15編のうちのどれかは言わない
興味のある方はご一読を

 

*****

 

2014/11/22(土) 午後 3:40

名古屋へ行ったついでに「おか茂」へ行く
カレーうどんとミンチカツを頼む

 

店主は「よっちゃん」という
正確な名前は知らない
ウチの親父や祖父がそう呼んでいたから
僕もそう呼んでいた
僕より10歳ほど上のはず
昔から爽やか系の男前
今も男前

 

おか茂の北隣は現在空き地
四半世紀前は僕の生家があった
名古屋高速道路の買収のため
取り壊しになった

 

小さな頃はざる蕎麦が有名だった
当時中日新聞に先代が写真付き記事で
紹介されてた
身近な人が新聞で紹介されるのを初めてだった
近くに有名店があったんだと感心した

 

隣にあったとはいえ
外食が嫌いな家族だったので
食べに行った記憶は
今回を含めて10回も無い
祖父に連れて行ってもらって食べた
ざる蕎麦がおいしかった

 

大学の頃、同級生のO君が
カレーうどんがおいしいと言っていたが
何故か行かなかった
4,5年前に行ってカレーうどんを初めて食べた
おいしかった
でも、よっちゃんに声は掛けなかった
よっちゃんも気が付いてないようだった

 

「お久しぶりです。隣に居た**です。」
と声を掛けたらすぐ思い出したようだった
「そういえば、叔父さん亡くなったそうですね」と
数年前に亡くなった叔父のことを気遣ってくれた
確かほぼ同じ歳&隣同士
誰かが知らせてくれたのだろう

 

何でメンチカツ&カレーうどんという
めったに無い組み合わせにしたのか
「メンチカツはどれくらい前から出してのですか」
と聞いたら
「30年以上前からです」
へぇー全然知らなかった(行かないから当たり前)

 

クチコミで誰かがマルコのメンチカツだ、と書いてた
確かなら円頓寺商店街にある肉屋のマルコだ
そういわれればそんな味

 

コロッケとメンチカツが有名なお肉屋さん
小学校の頃夕食のおかずを買いによく行かされた
買い物カゴとお金持たされて

 

夕方頃は行列ができてて
いつも30分以上は並んでいた
その向かいには現在
後輩の経営する沖縄料理居酒屋「サキアテジョーグー」ができている
40年前と現在が同居する不思議な空間
先週の日曜日も貸し切りで宴会させてもらった

 

「写真撮らせてもらっていいですか」
と聞いたら、はにかんで微笑んでくれた
よっちゃん ありがとう


 

*******

 

2014/5/30(金) 午後 6:10