高倉健さんが亡くなった
近親者のみで密葬をすませた
というのはいかにも健さんらしい死に様だ

 

健さんとは一度だけ会話したことがある
1978年9月、当時高校1年生
映画「野生の証明」の試写会
場所は名古屋の名鉄東宝

 

普通、試写会はほとんどが文化会館とかで
開催されていた
映画館で行う試写会は「劇場試写」と呼ばれ
配給会社が気合を入れる超大作のみだった

 

何故か高校生にして映画界にコネがあったので
ほとんどの試写会は会場に行けば知り合いに
入れてもらえた
でも劇場試写はコネが効かなかったので
応募して当選したんだろう

 

一番乗りするために開場一時間以上前から並んだ(確か)
公開にあわせた全国キャンペーンで
高倉健、薬師丸ひろ子、夏木勲、佐藤純彌監督という
凄いメンバーが目の前に並んでいた

 

放映前に町田義人が生で
「男は誰も皆、無口な兵士・・・」という
主題歌「戦士の休息」を歌った
町田義人は黒いニット帽をかぶっていた
暑くないかと思った
その後黒いニット帽が好きになった

 

開場と同時に最前列センターのシートを確保し
パンフレットを買い
ロビーで来場者を出迎える健さんの前に行き
パンフレットとマジックペンを差し出し

 

「サインして下さい」

 

 と図々しくも言った

 

「今日はあいさつのために来ているので
 サインはしません」

 

 健さんらしい淡々とした口調だった

 

「あ、そうですか。すいません」

 

 あきらめた

 

ふと薬師丸ひろ子の前に行き

 

「サインして下さい」

 

 とまたまた図々しくも言った

 

「えー、恥ずかしいなぁ」

 

と言いながらもサインしてくれた
可愛かった
当時中学三年生
サインというよりは記名だったが

 

健さんにサインはもらえなかったが
コミュニケーションを交わすことが出来た
僕は忘れないが
健さんは覚えていないだろう

 

ご冥福をお祈りいたします

 

健さんに関する心温まるエピソードが
沢木耕太郎のバーボン・ストリートに載っている
ネタばれになるのでエッセイ15編のうちのどれかは言わない
興味のある方はご一読を

 

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2014/11/22(土) 午後 3:40