怒りを恨みとして胃の奥に沈めて隠して自分から切り離したあとには心に大きな穴が出来る。

何かが足りなくて虚しい。


どうにかして埋めたいが、何が足りないのかどうやって埋めるのかが分からない。


それを食べ物や酒やギャンブルや薬や勉強や金に投影して埋めようとするが、やってもやっても埋まらない。飢えが終わらない。


自分がそれをどうやって切り離したのか、今も切り離しているのかに焦点を当てると自分という防衛機能が見えてくる。


自分を2つに割って、心が傷つくことから自分を守るシステムを身に付けた人は、常に半分の自分をもう半分の自分が冷静に批判的に観察している。

なので自分まるごと我を忘れて何かに猛烈に感動する事が無い。


自分でもそのことにコンプレックスを感じ、周囲の人に対しては、ここでは見せないけれど他の場所では感動する事があるのだという作り話を語ったりする。


我を忘れて何かに夢中になったり、夢を持つことも無いので、将来は常にどんよりと安全で退屈で常識的である。

たまに夢を語る時は捨てバチで、他人事として愚かな事として語る。

足場が半分の自分しかないし、常にもう一人の自分からの批判に晒されているので、夢に向かって地面を蹴って飛ぶ余裕が無いのだ。

試験に受かっても恋愛しても結婚しても就職しても自分は2つに割れたまま、何かの本に書いてある「生命の躍動感」は自分には無縁だと思いながら義務と役割と気晴らしの人生を生きて行く。


喉の奥で自分を2つに割って外側の課題には外の自分で対処して感情を作って相応しい自分を演じる。

内側からの暗い恨みや怒りは抑えたり無いふりをしたり酒や薬やギャンブルや暴力でごまかして何とか30代までたどり着く。

しかし、そこからはもう一杯一杯、動かない。

自分を外と内に分けたことが悪いのではなく、分けたのを忘れているのが問題なのだ。

自分の戦略に気付いて指令塔としてのパワーを取り戻せばまだまだあなたはイケるのだ。


ブラジルの演出家アウグスト・ボワールは主著「被抑圧者の演劇」の中で「人は職業に相応しい筋肉の鎧を着ている」と書いている。

医者は医者の身体を、サラリーマンはサラリーマンの身体を、工場労働者は工場労働者の身体を着てそれぞれにふさわしく呼吸をしている。

自分を解放するとはまず自分の適応させられた身体と呼吸を解放する事だ。

自分の置かれた困難な状況をあなたは言葉で表現して来ました。

しかし、その言葉の元になった身体感覚を吟味する事は無く、「こういう場合はこう言うもんだ」という紋切り型の表現で済ませて来たと思います。


しかし、あなたの感じる身体感覚は状況の重要な一部です。

もし、身体感覚の方が先にあって、あなたはその感覚がふさわしいような状況を創り出して生きて来たとしたらどうでしょうか?

あなたの人生はあなたの身体感覚の投影です。息を殺している人は息を殺さなければならない就職をして息を殺すような結婚をします。

身体感覚と呼吸に意識を向ける事は、同じ苦境を繰り返して来た人生を変えるための大きな助けになります。