自分が、「これを実現したい」と思うことをイメージする時のイメージする場所に注意する。視界の真ん中上か左上か胸の辺りか。

つぎに舌の付け根を危険から自分を守ろうとする感じで少し緊張させてみる。

舌とのどの筋肉に引っ張られて目線が下がるのが分かるだろうか。

舌と目の間の引っ張り合いを感じてから呼吸を吸って吐く息と共にリラックスする。

やりたい事を思い浮かべようとしてみる。目の動きが楽になっていることに気づくだろう。

引きこもりの人、落ち込んでいる人はほぼ100パーセント目が固まっている。次に行きたい場所に目が動かせない人にどんなアドバイスをしても無駄だ。

その人に言うべきことは「君、目が固まってるよ」と言ってから目を大げさに固めて真似してみせる事だ。傾聴カウンセリングでは決して同じ効果は得られない。

顔にゴミが付いている人がいたら「何か顔の辺りに感じますか」などと言ってないでただ取ってやればいいのだ。

自分が小さく無力で孤独な存在だと感じる時は、自分を黒い点に喩えてみる。
自分の背景には広大な空間が広がっている。
自分の背景にある広大な空間になったつもりで話してみる。
「私は広大な空間です。私の目の前にある小さな黒い点は寂しいとか無力だとか言っているが、正直言って私は黒い点などどうでも良い。世界にはもっと大きなもの、素晴らしいものがたくさんある。私は大きく外に開いていたい。素晴らしいものに触れて驚いていたい。」
自分の呼吸が深くなり、目の前が明るくなるのを感じる事が出来るだろうか。

怒りを飲み込んで舌の付け根にためると憎しみになる。
自分の憎しみに触れたければ、舌の付け根を緊張させて、そのまま吐くときの要領で思い切り舌を前に突き出すと吐きたいような憎しみを感じる事が出来るだろう。
その感覚を自分で気付かないまま誰かと結びつければ誰かを猛烈に憎むことが出来るだろう。元は自分の怒りに伴う舌の緊張なのだから、誰かを憎んでも憎んでも終わらない。憎悪はエスカレートしていくだろう。知らずに憎悪を自分に向けると人生はうまくいかない。

自分の舌の緊張に気付いて、舌を突き出してから呼吸と共に緩めれば心の底から平和を感じることができる。

人は自分を世界に投影して生きている。私が楽しければ世界も楽しいし、私の価値が高ければ世界の価値も高い。
ではどうやって自分を楽しく、自分の価値を高くするのか。
産まれた時から退屈して、「私なんか価値低いです」と思っている赤ちゃんはいない、と仮定すると、
私たちの退屈さや低い自己評価はその後の生活の中で外部の人間に呑み込まされたものなのだろう。
私たちは思う存分楽しむことを禁じられながら、自分たちには思う存分楽しみながら生きる価値などないと思い込まされて成長する。
かつて持っていた生きる楽しさや高い自己評価は心の奥にしまい込まれて周囲には怒りが渦巻き、触ってはいけない場所になっている。
歯を軽く食いしばりながら頬とアゴの筋肉の緊張を感じ、つぎに舌をそのまま奥に引くようにして舌の付け根を緊張させる。これを交互に数回繰り返すだけでうつや無感動、虚無感の下から生きるエネルギーが上がってくるのを感じる事ができる。

私の親の世代は、自分が怒っている事に気付かずに、顔と筋肉を慢性的に固めたまま「まあ自分の人生はこんなものだろう」と思いながら死んでいった人がたくさんいた。
自分が顔と肩と腿の筋肉を固めて怒っている事に気付いて緩めることが出来るのは何と幸せなことだろう。