舌の付け根を意図的に緊張させると、かつて10代の頃の自分が体験した「自分が今何をやりたいか全く分からなくなって立ち尽くした体験」「歩き続けることがやめられない体験」が蘇ってくる。
無意識に舌の付け根を緊張させる癖がつくと呼吸が不十分になり、その感じは「自分が不十分」な感じとして感じられる。
自分は何をしても充分ではなく、何がしたいのかも分からなくなる。
図書館に行きたいような気がして図書館に行けば何かがあるような気がするが、行ってみると何かが足りない感じはそのままで、徒労感が残る。そのうち何かを食べたいのではないかという感じがしてラーメン屋に入ろうとするが入る寸前にお腹は空いてないことに気付く。
そのうち歌舞伎町に行って怪しい店に入ればスカッとしそうな気がして歌舞伎町に行ってみるが、目の前の店は私の頭の中の怪しい店とは全然違うので入れない。
店の前で立ち尽くしていると、とにかく何処かに行かなくてはという思いが起こり、歩き出すのだがどこに行けばいいのかも分からず、歩くのを止める事もできず、ヘトヘトに疲れるまで歩いてはまた立ち尽くす。
多くの人が気づかずに、自分を守ろうとして自分の喉を内側から締め、呼吸を殺して生きている。
喉を締めて息を殺して生きていると、自分が偽物のような感じがする。
自分の核心に触れずにその場を誤魔化しながら生きている感じがする。
その「偽物感」は投影されて親や学校や会社や社会や権力のせいだと感じられるので、自分を痛めながら戦ってみたりするが、戦っても戦わなくても自分が奥で感じる偽物感、自分の核心に触れずに生きている感じが変わることは無い 。
すべての出来事には背景と前景がある。
良い事続きで人生バラ色の時に書類にお茶をこぼすのと、解雇寸前の絶望的な時に書類にお茶をこぼすのとでは「お茶をこぼす」ことのインパクトが全然違ってくる。
バラ色の時なら「あらいけない」で済むことが、解雇寸前なら「分かった、もうどうせ俺はダメなんだ、全部めちゃくちゃにしてやる〜」となる可能性がある。
もしあなたが知らずに自分の人生の背景を辛く苦しい色に設定していたとすればどうだろう?
「自分はどうせうまくいかない」という色の背景、「自分は価値が低い」という背景だとしたら…。
背景の前でどんなにあなたが努力して演じたとしても常に暗く惨めな雰囲気が漂ってしまうだろう。
あなたの人生は今どんな色の背景だろう?背景の色を取り替えるならどんな感じの色にしたいでしょうか?
試しに自分の人生の背景がまばゆい金屏風であるとイメージしてみよう、自分の姿勢や目線、気持ちはどう変わるだろう。
あなたは金屏風の前でもうつむいて下を向いているだろうか?
私が専門としているゲシュタルトセラ ピーでは、悩みや問題は「こうするべき」だけど「できない」で表される。〜べき→できない、これが頭の中で延々グルグル回る。
自分の抱えている悩みを
「〜べき→できない」のかたちに言い変えてみる。
例えば
「お金を稼ぐべきなのに稼げない」とか
「働くべきなのに働けない」
とか
「子供に優しくするべきなのに優しくできない」という風にして3回頭の中で言ってみて4回目に「できない」を先に言ってみる。
するとどうなるか?「働けない」の次に出て来る言葉は「〜べき」ではなく「すごく困っている」とか「もうどうして良いかわからない」「もともと私は自信がない」
など、悩みの奥に隠れていて以前から感じていた自分の中の深く本質的な問題が姿を表してくる。
深い自分の欲求、自分の価値観に触れる事で表面的なグルグル回りは終わり、世界との一体感が戻ってくる。以前の問題はいつの間にか問題では無くなっている。