もう一回読みたい&フランス行きたい。ー映画『レ・ミゼラブル』
お勉強の手をしばし休めて休憩中に書きました。
既に何度もしつこくブログに書いていますが、
2012年に大々的に宣伝&上映されて話題となったあの『レ・ミゼラブル』という作品についてです。
私はあの作品を高校生の文化祭でミュージカルとして上演したのですが、
その頃から、とても思い入れの深い作品となったのでした。
岩波文庫版の原作を読み、DVD(2012年公開のものではない別のもの)を見、ミュージカルを3回程見に行きました。(この作品のミュージカル大ファンの人は追っかけのようなレベルでもの凄く沢山見ていらっしゃる人もいるようです。わたしなんて足下にも及びません。)曲を聞けばすべて口ずさむくらいCDを聞きました。
高校を卒業してからもう一度、小さな劇場を借りてメンバーで集まって再公演を行いました。
ちなみに女子クラスだったので、宝塚のようなことになっていて、私は、コゼットとの恋と革命の間で揺れ動く学生、マリウス役を演じさせていただいたのでした。
2012年に公開され、『英国王のスピーチ』のトム・フーパー監督、ヒュー・ジャックマン、アン・ハサウェイ、ラッセル・クロウが出演していた言わずと知れたあの『レ・ミゼラブル』、実は私は映画館に行きませんでした。。。
自分の中で筆舌に尽くし難い程、実は思い入れが深すぎて、涙どころか心を鷲掴みにされて、戻って来れなくなり、やるべき目の前のことに取り組む際に支障を来すのが怖かったので、なかなか足を踏み込めずにいたら、
なんと、終わってしまった・・・のでした。。。(ちーん)
その後DVDとCDを買ったのですが、それでもなかなか踏み出せず、
開封せずに置いたままにしておりました・・・
しかしついに、昨日解禁(約1年越し)、見てしまいました。。。
もう曲を聴くだけで泣きそうになる感じなのですが、
映画はまたミュージカルとは違ったスケール、壮大さがあって、良かったです。
今も頭の中にずっと曲が流れている。One day more…
バルジャンが少々格好良すぎるような気がしないでも、ない・・・(?)
何度見ても、物語に込められた宗教的価値観や、人間に対する深い洞察に、心を打たれます。
疲れたときや、もう駄目だ、と思ったとき、音楽や本が心の支えになってくれるということは、あると思います。
私の場合、この作品に高校生のときに出会えたことは、本当に大きかったのだ、ということに、様々な場面で、後々気付きました。
教科書で習うくらい著名な19世紀の文豪が編んだ物語の普遍性も、何も知らなかった高校生のときからしたら、今、少し理解できるようになったような気がします。
また、貧富の差が酷く、民衆が飢えと貧困に苦しんでいた時代、社会の底辺で生きている人びとに目を向けた作家が、一体どれだけいたであろうか、と思うのです。
ヴィクトル・ユーゴーという人がどんな人物であったのか、ということも、とても興味をそそられます。
ということで、思わず、フランスに行きたくなったのでした。
ネットでちょっと検索してみたら、ファンティーヌの故郷として作品の中に登場するモントルイユ・シュールメールという場所は、あの映画が公開されてから、観光客が殺到したとか・・・
バルジャンがマリウスを助け、運んだパリの地下道なんかも、見れるのでしょうか。
もう一回原作を読みたい。
そして、フランスに行きたい。レミゼの世界を肌で感じたい。
そんな気持ちになったのでした。
私は、血なまぐさい革命の暴力的な手段を、賛美するわけではありません。
しかし、史実は史実として存在し、そして、時代が現代とは全く異なる、という背景があり、そのやり方が正しかったかどうか、ということは、現代から過去を見ればいくらでも、それに対して何かを言うことはできると思いますが、そのとき生きていた人びとが、こんな未来が来るとは、当然知り得なかったことです。
暴力的な手段に対する価値判断は別にしても、民衆たちが自ら立ち上がって、権利と社会の改善を求めて体制に対して命がけで闘った歴史は、人類が存続して現代に繋がれていく大切な過程だったのだと思います。
また、そういった革命の要素を抜きにしたとしても、人びとがそれぞれの立場で、ときに深い苦悩や哀しみに打ちひしがれながらも、与えられた人生を懸命に生きようとする姿は、善悪ではなく、真に美しいと、思わせてくれる物語です。
その時代に生きた人びとの情景。
ひとりひとりの人生。
この作品を鑑賞すると、その存在自体の尊さに改めて気付かされるような気がします。
若者たちの 歌がきこえるか
光もとめ 高鳴る 歌の声が
世に苦しみの炎 消えないが
どんな闇夜も やがて朝が
ー日本語版「エピローグ」歌詞より
既に何度もしつこくブログに書いていますが、
2012年に大々的に宣伝&上映されて話題となったあの『レ・ミゼラブル』という作品についてです。
私はあの作品を高校生の文化祭でミュージカルとして上演したのですが、
その頃から、とても思い入れの深い作品となったのでした。
岩波文庫版の原作を読み、DVD(2012年公開のものではない別のもの)を見、ミュージカルを3回程見に行きました。(この作品のミュージカル大ファンの人は追っかけのようなレベルでもの凄く沢山見ていらっしゃる人もいるようです。わたしなんて足下にも及びません。)曲を聞けばすべて口ずさむくらいCDを聞きました。
高校を卒業してからもう一度、小さな劇場を借りてメンバーで集まって再公演を行いました。
ちなみに女子クラスだったので、宝塚のようなことになっていて、私は、コゼットとの恋と革命の間で揺れ動く学生、マリウス役を演じさせていただいたのでした。
2012年に公開され、『英国王のスピーチ』のトム・フーパー監督、ヒュー・ジャックマン、アン・ハサウェイ、ラッセル・クロウが出演していた言わずと知れたあの『レ・ミゼラブル』、実は私は映画館に行きませんでした。。。
自分の中で筆舌に尽くし難い程、実は思い入れが深すぎて、涙どころか心を鷲掴みにされて、戻って来れなくなり、やるべき目の前のことに取り組む際に支障を来すのが怖かったので、なかなか足を踏み込めずにいたら、
なんと、終わってしまった・・・のでした。。。(ちーん)
その後DVDとCDを買ったのですが、それでもなかなか踏み出せず、
開封せずに置いたままにしておりました・・・
しかしついに、昨日解禁(約1年越し)、見てしまいました。。。
もう曲を聴くだけで泣きそうになる感じなのですが、
映画はまたミュージカルとは違ったスケール、壮大さがあって、良かったです。
今も頭の中にずっと曲が流れている。One day more…
バルジャンが少々格好良すぎるような気がしないでも、ない・・・(?)
何度見ても、物語に込められた宗教的価値観や、人間に対する深い洞察に、心を打たれます。
疲れたときや、もう駄目だ、と思ったとき、音楽や本が心の支えになってくれるということは、あると思います。
私の場合、この作品に高校生のときに出会えたことは、本当に大きかったのだ、ということに、様々な場面で、後々気付きました。
教科書で習うくらい著名な19世紀の文豪が編んだ物語の普遍性も、何も知らなかった高校生のときからしたら、今、少し理解できるようになったような気がします。
また、貧富の差が酷く、民衆が飢えと貧困に苦しんでいた時代、社会の底辺で生きている人びとに目を向けた作家が、一体どれだけいたであろうか、と思うのです。
ヴィクトル・ユーゴーという人がどんな人物であったのか、ということも、とても興味をそそられます。
ということで、思わず、フランスに行きたくなったのでした。
ネットでちょっと検索してみたら、ファンティーヌの故郷として作品の中に登場するモントルイユ・シュールメールという場所は、あの映画が公開されてから、観光客が殺到したとか・・・
バルジャンがマリウスを助け、運んだパリの地下道なんかも、見れるのでしょうか。
もう一回原作を読みたい。
そして、フランスに行きたい。レミゼの世界を肌で感じたい。
そんな気持ちになったのでした。
私は、血なまぐさい革命の暴力的な手段を、賛美するわけではありません。
しかし、史実は史実として存在し、そして、時代が現代とは全く異なる、という背景があり、そのやり方が正しかったかどうか、ということは、現代から過去を見ればいくらでも、それに対して何かを言うことはできると思いますが、そのとき生きていた人びとが、こんな未来が来るとは、当然知り得なかったことです。
暴力的な手段に対する価値判断は別にしても、民衆たちが自ら立ち上がって、権利と社会の改善を求めて体制に対して命がけで闘った歴史は、人類が存続して現代に繋がれていく大切な過程だったのだと思います。
また、そういった革命の要素を抜きにしたとしても、人びとがそれぞれの立場で、ときに深い苦悩や哀しみに打ちひしがれながらも、与えられた人生を懸命に生きようとする姿は、善悪ではなく、真に美しいと、思わせてくれる物語です。
その時代に生きた人びとの情景。
ひとりひとりの人生。
この作品を鑑賞すると、その存在自体の尊さに改めて気付かされるような気がします。
若者たちの 歌がきこえるか
光もとめ 高鳴る 歌の声が
世に苦しみの炎 消えないが
どんな闇夜も やがて朝が
ー日本語版「エピローグ」歌詞より
gift/present
もらったものを、生かそう。
生まれたとき、頂いたもの、授けていただいたものを、生かそう。
きっと、意味があるから。
今の連続が、生きるということ。
授けられたものに感謝して、生かして、生きていこう。
生まれたとき、頂いたもの、授けていただいたものを、生かそう。
きっと、意味があるから。
今の連続が、生きるということ。
授けられたものに感謝して、生かして、生きていこう。
life
今でもときどき襲ってくる、薄ら寒い感覚がある。
生きている意味なんて無いな、もっと早く、死んでしまえば良かった。
それは、そういう感覚である。
こんな自分ならば、生きている意味は無いから、死んでしまえば良かったのだ、と。
大した悲しみの感情も無く、ふと、思う。
何とも、投げやりな態度であるかもしれないけれど。
そういう虚無感が、ときどき、襲ってくる。
しかし、わたしには多分、死ぬ勇気は無かった。
痛いのも苦しいのも、わたしにはきっと耐えられなかった。
そう思う。
生命体としての、生物としての自分は、死ぬことを望んではいないのだと思う。
身体は元気だし、「痛い」のも、拒絶するのだ。
でも、だから何なのだろう、と、意識のわたしは思う。
意識のわたしは、シットな自分に対する嫌気が相当来ていて、自分の駄目さ加減にもう懲りている。生きていても意味が無い、と思う。
そう思いながらも、身体はそれを拒否している。
お腹がすくし、疲労するし、眠くなる。至って健康体だ。
襲ってくる感覚をやり過ごしつつ、文章を書く。そして、本を読む。
英語を読む。声に出して。
そうすると、意識がどこかに飛ぶ。
ただの、肉体の塊の存在である自分が、キーボードを叩いている。
ただ音声を発している。
そこに、余計な意識は介在しない。
祈りは、これに似ているかもしれない。
写経や読経のようなものかもしれない。
先日、難民キャンプで生まれ育ったパレスチナの若者が、
自爆攻撃へと向かうこととなるまでを題材とした映画『パラダイス・ナウ』を観た。
監督はパレスチナ人。
国際的な賞を受賞している作品で、世界から高い評価を受けているが、公開当時は、様々な議論と波紋も呼んだそうだ。
今現在ガザで起きていることに、必然的に想い至る、とても重い映画であった。
撮影時の、ロケ現場で起きたパレスチナ住民とイスラエル軍の衝突の映像も、DVDに収められていた。パレスチナとイスラエルの状況が全体として、当時から好転していないことを、毎日のニュースが今、物語っている。
抑圧とは。
希望の無さ、とは。
神とは。
家族とは。
普遍的な問いを否応無く突きつけられる作品だった。
自分がもし、難民キャンプで生まれ育った、パレスチナの若者であったら。
思わず、それを考えてしまう。
生きている意味が無い、という思いに捉われる自分が、
ふと、思い出したこと、それが、この映画のことだった。
世界は、不思議な場所だ、と思う。
人間は、とても、不可解な存在だ、と思う。
特に罪も無い、日常を生きる市民が、ある日突然爆撃で殺される。
正義なんて、言葉だけが浮いていて、そんな概念は、もはやこんな世界で意味を成さないような気がする。
人は何のために生きているのだろう。
生きている意味なんて無いな、もっと早く、死んでしまえば良かった。
それは、そういう感覚である。
こんな自分ならば、生きている意味は無いから、死んでしまえば良かったのだ、と。
大した悲しみの感情も無く、ふと、思う。
何とも、投げやりな態度であるかもしれないけれど。
そういう虚無感が、ときどき、襲ってくる。
しかし、わたしには多分、死ぬ勇気は無かった。
痛いのも苦しいのも、わたしにはきっと耐えられなかった。
そう思う。
生命体としての、生物としての自分は、死ぬことを望んではいないのだと思う。
身体は元気だし、「痛い」のも、拒絶するのだ。
でも、だから何なのだろう、と、意識のわたしは思う。
意識のわたしは、シットな自分に対する嫌気が相当来ていて、自分の駄目さ加減にもう懲りている。生きていても意味が無い、と思う。
そう思いながらも、身体はそれを拒否している。
お腹がすくし、疲労するし、眠くなる。至って健康体だ。
襲ってくる感覚をやり過ごしつつ、文章を書く。そして、本を読む。
英語を読む。声に出して。
そうすると、意識がどこかに飛ぶ。
ただの、肉体の塊の存在である自分が、キーボードを叩いている。
ただ音声を発している。
そこに、余計な意識は介在しない。
祈りは、これに似ているかもしれない。
写経や読経のようなものかもしれない。
先日、難民キャンプで生まれ育ったパレスチナの若者が、
自爆攻撃へと向かうこととなるまでを題材とした映画『パラダイス・ナウ』を観た。
監督はパレスチナ人。
国際的な賞を受賞している作品で、世界から高い評価を受けているが、公開当時は、様々な議論と波紋も呼んだそうだ。
今現在ガザで起きていることに、必然的に想い至る、とても重い映画であった。
撮影時の、ロケ現場で起きたパレスチナ住民とイスラエル軍の衝突の映像も、DVDに収められていた。パレスチナとイスラエルの状況が全体として、当時から好転していないことを、毎日のニュースが今、物語っている。
抑圧とは。
希望の無さ、とは。
神とは。
家族とは。
普遍的な問いを否応無く突きつけられる作品だった。
自分がもし、難民キャンプで生まれ育った、パレスチナの若者であったら。
思わず、それを考えてしまう。
生きている意味が無い、という思いに捉われる自分が、
ふと、思い出したこと、それが、この映画のことだった。
世界は、不思議な場所だ、と思う。
人間は、とても、不可解な存在だ、と思う。
特に罪も無い、日常を生きる市民が、ある日突然爆撃で殺される。
正義なんて、言葉だけが浮いていて、そんな概念は、もはやこんな世界で意味を成さないような気がする。
人は何のために生きているのだろう。