life | Un poisson rouge

life

今でもときどき襲ってくる、薄ら寒い感覚がある。

生きている意味なんて無いな、もっと早く、死んでしまえば良かった。

それは、そういう感覚である。

こんな自分ならば、生きている意味は無いから、死んでしまえば良かったのだ、と。
大した悲しみの感情も無く、ふと、思う。
何とも、投げやりな態度であるかもしれないけれど。

そういう虚無感が、ときどき、襲ってくる。

しかし、わたしには多分、死ぬ勇気は無かった。
痛いのも苦しいのも、わたしにはきっと耐えられなかった。
そう思う。

生命体としての、生物としての自分は、死ぬことを望んではいないのだと思う。
身体は元気だし、「痛い」のも、拒絶するのだ。

でも、だから何なのだろう、と、意識のわたしは思う。
意識のわたしは、シットな自分に対する嫌気が相当来ていて、自分の駄目さ加減にもう懲りている。生きていても意味が無い、と思う。

そう思いながらも、身体はそれを拒否している。
お腹がすくし、疲労するし、眠くなる。至って健康体だ。

襲ってくる感覚をやり過ごしつつ、文章を書く。そして、本を読む。
英語を読む。声に出して。

そうすると、意識がどこかに飛ぶ。
ただの、肉体の塊の存在である自分が、キーボードを叩いている。
ただ音声を発している。
そこに、余計な意識は介在しない。

祈りは、これに似ているかもしれない。
写経や読経のようなものかもしれない。




先日、難民キャンプで生まれ育ったパレスチナの若者が、
自爆攻撃へと向かうこととなるまでを題材とした映画『パラダイス・ナウ』を観た。
監督はパレスチナ人。
国際的な賞を受賞している作品で、世界から高い評価を受けているが、公開当時は、様々な議論と波紋も呼んだそうだ。

今現在ガザで起きていることに、必然的に想い至る、とても重い映画であった。
撮影時の、ロケ現場で起きたパレスチナ住民とイスラエル軍の衝突の映像も、DVDに収められていた。パレスチナとイスラエルの状況が全体として、当時から好転していないことを、毎日のニュースが今、物語っている。

抑圧とは。
希望の無さ、とは。
神とは。
家族とは。

普遍的な問いを否応無く突きつけられる作品だった。

自分がもし、難民キャンプで生まれ育った、パレスチナの若者であったら。

思わず、それを考えてしまう。

生きている意味が無い、という思いに捉われる自分が、
ふと、思い出したこと、それが、この映画のことだった。

世界は、不思議な場所だ、と思う。
人間は、とても、不可解な存在だ、と思う。

特に罪も無い、日常を生きる市民が、ある日突然爆撃で殺される。

正義なんて、言葉だけが浮いていて、そんな概念は、もはやこんな世界で意味を成さないような気がする。




人は何のために生きているのだろう。