ジャニス・ジョプリン
よく、
「本当の自分」というようなことばを耳にするけれど、
「本当の自分」なんて、向き合わない方が良いような、気がする。
それって、凄く体力を消耗することだと思う。ときに自らを、削り取るほど。
きっと、向き合わない方が楽だ。
少なくとも、私は、そんな風に思う。
それでも、向き合わざるをえない人は、いるのだと思うけれど。
ジャニス・ジョプリンの歌声を聞いていて、そんなことをふと思った。
苦しむ人は、苦しむ人を、癒す力も持っているのだろうけれど、
ときどき、苦しみは、命がけのものなんだ。
ジャニス・ジョプリンの歌声を聞いていて、思ったこと。
魂の込められたものは、人の心を激しく揺さぶる。
苦しい程に。
素晴らしい歌声を、残してくれてありがとう。
「本当の自分」というようなことばを耳にするけれど、
「本当の自分」なんて、向き合わない方が良いような、気がする。
それって、凄く体力を消耗することだと思う。ときに自らを、削り取るほど。
きっと、向き合わない方が楽だ。
少なくとも、私は、そんな風に思う。
それでも、向き合わざるをえない人は、いるのだと思うけれど。
ジャニス・ジョプリンの歌声を聞いていて、そんなことをふと思った。
苦しむ人は、苦しむ人を、癒す力も持っているのだろうけれど、
ときどき、苦しみは、命がけのものなんだ。
ジャニス・ジョプリンの歌声を聞いていて、思ったこと。
魂の込められたものは、人の心を激しく揺さぶる。
苦しい程に。
素晴らしい歌声を、残してくれてありがとう。
正しさ、から、Hopeへ。
「正しいこと」
この怪しい響きを持つことについて、私はよく考えてしまう。
正しさとは何なのだろうか。
真面目に生きていることだけが、正しいことではないのかもしれない。
そんな風に思ったりする。
世の中の理不尽さ、不条理を見るにつけ、そのような思いは強まるばかり。
何を書こうとしたんだろう。
義理の姉いわく、「会社に行くのと同じノリで」雲南省に行ったという、珍妙な実兄が、土産を持って義理の姉とともにやって来たため、途中で書くのを中断してしまって、何を書こうとしたか、忘れてしまった。
I tried to write about something 'great', maybe, but I totally forgot it...
思い出せないので、
別のテーマにしよう。
先日借りて観た『ショーシャンクの空に』が、とても良かったので、
スティーブン・キングの本を読んでみようと思って短編集を買った。
その中の一編を読んでみたのだが、
噂に聞いていた通り、スティーブン・キングは怖いのだと思い知らされた。
『スタンド・バイ・ミー』も『ショーシャンクの空に』も、映画がとても良いので、両作品の原作者である(まだこちらは観ていないけれど、『グリーンマイル』もスティーブン・キングが原作者であるそうだ)スティーブン・キングの著作が好きなのかもしれない、と思った。そして、多作である彼の作品のほんの一部の一編を読んでみただけではあるが、とても怖かった。
現代人の誰もが共感するような、うまくいっているように見える日常のすぐ隣に存在する、誰しもが秘めている狂気や不安が、自然に対する畏敬といった、未知なるものに対する怖れ、その普遍的なテーマと絡めて描かれており、見事に人の恐怖を喚起する作品であった。
リアリティと救いの無さが、怖い・・・。
人が秘めるパワーは計り知れないものがある、と思う。
このパワーはうまく操作しなければ大変なことになる、と、何故かスティーブン・キングを読んで思った次第であった。
怖いよう。
でも、怖さ、とはきっと大切な感情だ。
それは何かを示唆しているに違いない。
人が持つ、持ってしまうパワーをよく観察し熟知しているからこそ、
戦慄するようなホラーも、素晴らしい筋を持った人間ドラマも描くことが出来るスティーブン・キングが、大家なのであろうなあ、と思った。
また、人にとって如何に、精神的支柱となるものが重要であるか、と思わせられる節もとても感じる。
『ショーシャンクの空に』で、主人公アンディの精神を支えたものは、その、ずばりストレートな台詞が象徴していたように、「hope(希望)」に他ならない。
アンディは誰がどう見ても、元来、真面目な人間である。
しかし、彼がその真面目さ、そして才能故に窮地に追い込まれた際に、
彼を奮い立たせ、支えたものは、hopeであった。
人が生きることを支えるもの、その最期は本当にhopeなのだろうなあ、と勇気付けられる映画でした。
アンディが素敵すぎて、何日もその余韻に浸ってしまった私です。
きっとこの映画は語り尽くされているので、改めて何かを言うことが憚られるくらいだけれど、モーガン・フリーマンの渋さにも、やはりぐっと来たのでした。
この怪しい響きを持つことについて、私はよく考えてしまう。
正しさとは何なのだろうか。
真面目に生きていることだけが、正しいことではないのかもしれない。
そんな風に思ったりする。
世の中の理不尽さ、不条理を見るにつけ、そのような思いは強まるばかり。
何を書こうとしたんだろう。
義理の姉いわく、「会社に行くのと同じノリで」雲南省に行ったという、珍妙な実兄が、土産を持って義理の姉とともにやって来たため、途中で書くのを中断してしまって、何を書こうとしたか、忘れてしまった。
I tried to write about something 'great', maybe, but I totally forgot it...
思い出せないので、
別のテーマにしよう。
先日借りて観た『ショーシャンクの空に』が、とても良かったので、
スティーブン・キングの本を読んでみようと思って短編集を買った。
その中の一編を読んでみたのだが、
噂に聞いていた通り、スティーブン・キングは怖いのだと思い知らされた。
『スタンド・バイ・ミー』も『ショーシャンクの空に』も、映画がとても良いので、両作品の原作者である(まだこちらは観ていないけれど、『グリーンマイル』もスティーブン・キングが原作者であるそうだ)スティーブン・キングの著作が好きなのかもしれない、と思った。そして、多作である彼の作品のほんの一部の一編を読んでみただけではあるが、とても怖かった。
現代人の誰もが共感するような、うまくいっているように見える日常のすぐ隣に存在する、誰しもが秘めている狂気や不安が、自然に対する畏敬といった、未知なるものに対する怖れ、その普遍的なテーマと絡めて描かれており、見事に人の恐怖を喚起する作品であった。
リアリティと救いの無さが、怖い・・・。
人が秘めるパワーは計り知れないものがある、と思う。
このパワーはうまく操作しなければ大変なことになる、と、何故かスティーブン・キングを読んで思った次第であった。
怖いよう。
でも、怖さ、とはきっと大切な感情だ。
それは何かを示唆しているに違いない。
人が持つ、持ってしまうパワーをよく観察し熟知しているからこそ、
戦慄するようなホラーも、素晴らしい筋を持った人間ドラマも描くことが出来るスティーブン・キングが、大家なのであろうなあ、と思った。
また、人にとって如何に、精神的支柱となるものが重要であるか、と思わせられる節もとても感じる。
『ショーシャンクの空に』で、主人公アンディの精神を支えたものは、その、ずばりストレートな台詞が象徴していたように、「hope(希望)」に他ならない。
アンディは誰がどう見ても、元来、真面目な人間である。
しかし、彼がその真面目さ、そして才能故に窮地に追い込まれた際に、
彼を奮い立たせ、支えたものは、hopeであった。
人が生きることを支えるもの、その最期は本当にhopeなのだろうなあ、と勇気付けられる映画でした。
アンディが素敵すぎて、何日もその余韻に浸ってしまった私です。
きっとこの映画は語り尽くされているので、改めて何かを言うことが憚られるくらいだけれど、モーガン・フリーマンの渋さにも、やはりぐっと来たのでした。
楽しく!
どこに着目するかで、世界はびっくりする程、違って見えてくるのではないかと思う。
わたしは夢見がちな方だけれど、
どう言ったらいいか、この世界にある、自分が、美しいと思うものを感じて、生きていきたい、と、思う。
それはときに簡単なことでは無かったりするけれど、
でも、そうすることが、楽しく生きる秘訣なのではないかと思う。
最近、もう少し、「楽しんで」生きてみてもいいのではないか、と、
思うようになった。
それはわたしにとっては、大きな「発見」であった。
たとえば、
わたしは、来年西アフリカの国に行くことになったので、
フランス語を学ばなければならないのだけれど、
昨日、体験レッスンを受けた若いフランス人の女性の先生の、
話すフランス語の響きが、本当に、チャーミングであった。
よく、フランス語という言語の美しさについての「噂」は耳にしていたけれど、今までフランス語を学んだことはなかったので、あまり実感はなかった。
ベルギーに行ったときに、お店の人の言う「ボンジュール」が、歌の一節みたいで、可愛いなあ、と思ったことはあったけれど、しかし、本当に、可愛らしい言葉なのだなあ、と、昨日思った。
アフリカの国でフランス語が使用されている理由は、フランスによって植民地にされたからに他ならない。
その歴史を経験した上で、現在の公用語がフランス語となっているのであり、
それはきっと皮肉な現実であって、酷い歴史の産物であると言えるであろう。
西欧が、アフリカやアジアや中南米の国ぐにを植民地化した歴史は、様々な本で読む限り大抵、本当に惨いものであって、それ自体当然、現地の人びとから見たら正当化されうるものではないのだと思う。それをきちんと、踏まえておきたい。
その歴史的事実を踏まえた上での、フランス語である。
もちろん、言語は道具なのであるが、
しかしその言語の持つ響きや、単語の成り立ちを知るということは、とても面白い、と単純に思う。
新しい言語を学ぶことはとても奥深い世界に足を踏み入れることだけれど、
その過程も楽しんでいきたい、と思う。
わたしは夢見がちな方だけれど、
どう言ったらいいか、この世界にある、自分が、美しいと思うものを感じて、生きていきたい、と、思う。
それはときに簡単なことでは無かったりするけれど、
でも、そうすることが、楽しく生きる秘訣なのではないかと思う。
最近、もう少し、「楽しんで」生きてみてもいいのではないか、と、
思うようになった。
それはわたしにとっては、大きな「発見」であった。
たとえば、
わたしは、来年西アフリカの国に行くことになったので、
フランス語を学ばなければならないのだけれど、
昨日、体験レッスンを受けた若いフランス人の女性の先生の、
話すフランス語の響きが、本当に、チャーミングであった。
よく、フランス語という言語の美しさについての「噂」は耳にしていたけれど、今までフランス語を学んだことはなかったので、あまり実感はなかった。
ベルギーに行ったときに、お店の人の言う「ボンジュール」が、歌の一節みたいで、可愛いなあ、と思ったことはあったけれど、しかし、本当に、可愛らしい言葉なのだなあ、と、昨日思った。
アフリカの国でフランス語が使用されている理由は、フランスによって植民地にされたからに他ならない。
その歴史を経験した上で、現在の公用語がフランス語となっているのであり、
それはきっと皮肉な現実であって、酷い歴史の産物であると言えるであろう。
西欧が、アフリカやアジアや中南米の国ぐにを植民地化した歴史は、様々な本で読む限り大抵、本当に惨いものであって、それ自体当然、現地の人びとから見たら正当化されうるものではないのだと思う。それをきちんと、踏まえておきたい。
その歴史的事実を踏まえた上での、フランス語である。
もちろん、言語は道具なのであるが、
しかしその言語の持つ響きや、単語の成り立ちを知るということは、とても面白い、と単純に思う。
新しい言語を学ぶことはとても奥深い世界に足を踏み入れることだけれど、
その過程も楽しんでいきたい、と思う。