てんとう虫とトラックの言葉。
以前、職場の取引先だった方に、もう使わないという理由で頂いた、i podの小さいもの(nanoではないけれど、どれか、ちょっと私は分からない・・・)を、今も使っていて、それで音楽や英語を聞いたりしている。セネガルでも使っていた。例えば首都に上がるときなど、長い旅の友にさせてもらっていた。
いつものように、イヤホンを耳に入れようとしたら、また、イヤホンの先のゴムのカバーの部分がとれている。以前も、そんな風にイヤホンの先が無くなってしまって、困ったのだった。ああ、また落としたかな・・・と、カバンの中を探ると、他の荷物にまぎれてそれは見つかって、ほっとした。
それは電車の中の出来事で、
下りる駅になったので立ち上がったら、私の目の前にも立ち上がった人がいて、その人の足元にふと目をやると、てんとう虫がいた。小さな、丸い粒。
生きているのか、生きていないのか、確認できなかったけれど、てんとう虫を見ることが出来たのは、なにか嬉しい出来事であった。
そして同じ日、歩いていたら、ボブ・マーリーの顔が印刷された大きなトラックが走っていた。
そこには、恐らくボブ・マーリーの言葉と思われる、次のようなフレーズが、あった。
(どちらのセンテンスが先だったか、少し記憶があやしい。ゴメンナサイ。)
Live the life you love.(あなたの愛する人生を送りなさい。)
Love the life you live.(あなたが送る人生を愛しなさい。)
生きていると、こんな風になにかのことばを受け取ることもあるのだと感じ得なかった。
性別のあれこれ。
性別というものは、曖昧なものであると私はつくづく思う。
自分の中の、女性・男性という分別が分からなくなってきた。
私は、女性として社会の中で育ってきたわけだけれど、
学校の制服でスカートをはかされるからはいてきただけで、
小さいときはスカートというものが好きではなかったし、兄がいたことも影響してか、所謂、男の子っぽいおもちゃが好きだった。
周りの影響を受けやすい人、受けにくい人、という人がそれぞれ存在するのかもしれないけれど、
私は大きくなるに従って、周りの友人の影響を受けて、
少しずつ、スカートをはいたりするように、変わってきた気がする。
でも、それは人の影響というものを受けた結果であって、
本来の、素の自分というのは、
スカートよりズボンが好きで、赤やピンクより青や緑が好きであると思う。
割と好き嫌いがはっきりしていて、自分の意見をはっきりと持っているタイプだった私は、
たぶん日本女性の中では少数派なのだと思う。
だからかどうかは分からないけれど、自分の思いをはっきりと持っている私は、男の子にモテない人だった。むしろ若干いじめられるくらいな感じだった。
だから中学校くらいになって猫をかぶるようになった。
意見をはっきり持ってそれを言う女はモテない、ということを本能的に悟った自分は意図的にそうでない大人しくか弱そうな女性を演じてみた。効果はてきめんであったことを覚えている。しかしそんな自分は本当の自分ではないことを何よりも自分が分かっていたので、ぼろは出て来るものである。
しかし私は今でも男性に対してはものをはっきり言う自分を出すのは少し怖い。
自分は見た目は女性だけれど、中身は多分に男性的なところがあるということを自覚していて、でも見た目が(顔含め)女性っぽいので第一印象で勘違いされやすいと思う。
私って何なんだろう、と未だに思うけれど、
そんなに気にしなくてもいいのだろうか、などなど、、、、、。
毎日の中にあるもの。
生きているだけで、毎日は忙しい。
だけれど、だからこそ、
これは、確か、『PRESENT 世界で一番大切な自分の見つけ方』(坂之上洋子著、中経の文庫、2016)という本に書いてあったことだと思うけれど、
毎日の中にある幸せを、そういう瞬間を、ちゃんと拾って歩くということが大切なんだ、と思う。
散りばめられた光る幸せ、沢山あるんだ。
セネガルに2年間滞在して、余計に思うようになったことがある。
それは、生きているということは、それだけで奇跡だということ。
セネガルでは、
日本の社会より、平均寿命が短いし、
病気や、事故など、色々なリスクがあって、
死というものが、身近な社会なのだ、と感じた。
知り合った人のfacebookのプロフィール写真が、その人本人のものじゃなくて、誰かの写真に文字がデコレーションしてあって、
これ、誰?って聞いたら、
死んでしまった友人だよ、って言われたりすることがあった。
セネガルの友人は、facebookで誰かの写真にR.I.P(Rest in peace.安らかに眠れ、といった意味)と書いていることも結構、ある。きっと誰かその人の知り合いや友人が亡くなったのだと思う。
誰かの顔の写真がTシャツに印刷されていて、そこに「R.I.P」と書いてあって、それも、亡くなった友人に捧げたものだと言われたこともあった。
まだ若い友人が、友だちの葬式に行ってきた、って言うのを聞いたこともあった。
彼らは、こともなげにそれを言うし、「悲しいね」と言うと、「(悲しいけれど)、La vie est comme ça.(人生はそういうもの)」って答えたりしていた。
いつかは亡くなってしまうというのは、生まれたことの宿命でもある。
でも、亡くなった人はちゃんと、生きている人の心の中には生きているし、
その人が残したことは、現世に生き続ける、と、私は思う。
それでも、だからこそ、この毎日にちゃんとある幸せってものに感謝して、ちゃんとキャッチして生きていくべきなんだって思う。