Un poisson rouge -3ページ目

救い出す。

自分の心の一番奥にあるものを、大切にしなきゃ。

 

それ以外のことは、大きなことではないのだと思う。

 

それこそが、生きていく意味。

 

この世で見聞きするもの、音、空気。

 

そういうことの中から、自分が大切だと思うもの。大切にしたいもの。

 

情景や、ことば。

 

それを救い出していくという、こと。

 

それは、自分をも救う、ということなんじゃないかって。

 

 

秋冬感ずる夜。

こんなに涼しくて良い感じの気候の夜であるというのに、眠れないので、むくりと起きて、もう長い仲となった愛機のmacに向かう。

 

秋冬、という言葉が思わず浮かんでしまうような、ひんやり感の今日だった。秋冬。その響きはいつぞやぶりであろうか。セネガルには、その言葉は似つかわしくないのであった。12月や1月頃は、朝晩が20度前後、ときには17度くらいになることがあったけれど、それで十分に「寒い」と感じていて、毛布にくるまって眠るときもあった。けれど日中は太陽光がきらきらと照りつけるので、やはり夏のようになるのだった。(でもその時期は乾季なので空気がとても乾燥していて、日陰は涼しい。だから、その頃がセネガルにおける、秋冬と言えば秋冬なのではないかと、思う。)

この感じは懐かしい。日本の「秋冬」。人びとの装いが段々ともこもことしていく、重ね着の季節。食べ物の温かさが身にしみる季節。この空気のひんやり感は本当に久しぶりな気がする。冬服すら、わたしは久しく着ていないのだ。セネガルでは、長袖は替えの分を含めても3枚くらいあれば良いという感じだった。それ以上は全く必要ない。本当に。

 

不安なんて放っておけば良い。そう言い聞かす。ただただ、物事は流れていくだけ。万物流転の法則なのであるから。この世なんて諸行無常であるのだから。うん、全く、そうだと思う。

 

美しく、快活に、朗らかに、愉しんで生きていきたいなあ、と。

 

そうすることで自分も周りも、ハッピーとなる道が出来ていく、のではないかと、思うから。

 

THANK YOU :)

 

 

 

 

落ち着かないときこその。

良い意味でとても落ち着かない展開に自分の人生が進んで来ている感があって、

 

そういう落ち着かないときこそ文章を書くと精神が落ち着いたりするような気がする。

 

そして自分のブログのトップ画像を見て、自分でセネガルに行きたくなった。(笑)

 

しかし、矛盾するようだけれどわたしの場合、落ち着かないとき程何とかなるや精神がどこかに芽生えるというのも事実で、脳の中で何かそういった類の物質が放出されているのだろうか。

 

セネガルの人たちはよく踊っていたけれども、踊るなど体を動かすというアクションなんかも、どこかで精神を落ち着かせる効用があるのでは、と思う。

 

セネガルの人たちの人間的なエネルギー。やっぱり人はエネルギーというものを持っているから、それを与え合ったり、交換し合って生きているのではないかと、思う。

 

セネガルの人たちからわたしは沢山の、生きる強いエネルギーを受け取った気がするので、そのエネルギーをこれからわたしはどう活かしていくか、ということを、思う。

 

あの強烈な人と太陽と大地。じりじりと照らされた村への道。

 

その情景はわたしの中に色濃く写し出されている。