Un poisson rouge -2ページ目

台風の夜つぶやき

私がセネガルにいるときに亡くなったおじの法事で、一日出ていた。

 

帰ってきて疲れて変な時間に寝てしまったことが原因か、それとも、些細なことがあってギザギザしてしまった自分の気分が原因か、分からないけれど眠れないのでまたここに逃げ込んでいる。

 

台風で雨と風がすごい音を立てている。遂に来たのか、と思う。

 

書き始めたところで、私の心はもう半分くらい落ち着いている、と思う。

 

書くことの意味は大きい。何はなくとも、高揚した精神を抑える効果があるように思う。

 

お寺の線香の香りを思い出す。あと、木のにおい。あの感じも、何とも落ち着く。

 

静けさは良い。

 

本当の自分は、偽らなくて良い。きっとそうだと、自分に言い聞かせる。

 

眠ろう・・・・・

追いかけて、振り撒いて。

本当はきっと、誰に遠慮することもなくて。

 

本心をもっと語らないと、

きっとそのうち、自分自身すら、自分の本心が分からなくなってしまう。

 

私自身が、素敵だと思うものを、素直に素敵だと言えば良いし、

それを、追いかけていけば良いのではないかと、思う。

 

素敵だと思うことを追いかけて、それを守り抜いていくための、たたかい。

人生は、そういうものなのかなって、思う。

 

素晴らしいと思う人が発している、素敵な空気を真似すること。

 

その人の発する空気というものは、きっと伝染していくから。

 

素敵な空気を、振り撒いて歩こう。

 

良いことは、積極的に。

 

心を静かに、清々しく、また、愛深く。

 

今日も今日という日に、感謝。

夕刻の雲など

セネガルにいたときも、昼から夜に移り変わって行く、夕刻の時間が好きだった。

 

空の色が刻々と変化して、そのうちに飴色の光が、迫り来る濃い藍色の闇を照らす。

 

今日見た雲は立体的で、影を持ち、少し赤みがかって悠然とそこにいた。

 

遠くに行きたいというある種の、自分の思う持病が、治っていないのだということをふと意識した。

 

何十、何百という時間を、わたしはこうして自分の夢想の中で過ごすことに費やしてきたようにも思う。

 

その時間が有意義だったのか全く意味の無いものだったのか、とうとうわたしには分からない。

 

整合性のある体系だった秩序の中から、わたしはとかく遠くへ行きたいと思う性質を持っているということは確か、なのだと思う。

 

セネガルの人たちの顔が浮かんだ。いつでも寛容に受け入れてくれた、彼らのこと。

 

この間、ベリーズという中米の小さな国に派遣されていた隊員仲間と飲んでいて、

やりたいことが沢山あって、でも何を優先すべきかも、どうしたら良いかも分からない、というようなことを言ったら、

やりたいことが沢山あるのは良い事じゃない、と言われた。ありがたいことだと思った。

 

とりあえず関心のあることを行動に移していってみる、という基本的なことがとても大事なのだと思う。

 

そして、そんなことを考えることの出来ること自体に感謝を捧げる。

 

素晴らしい世界を恐れずに、学びながら歩いて行きたい。

 

或る夕刻に。