支配からの卒業!?
支配なんて、すこし大袈裟かもしれませんが、興味あるかたは、お付き合いくださると嬉しいです自律神経ってところから、出来事をシンクロさせ、スピリットへと繋がり、実際の自律への疑問に思うはなしをしようと思います神経にも、簡単に言うと、自律しているからそんななまえがついてる体調と事象がリンクしてそうでわたしは、『なぜ?』となぜ、そんな字で名前なのか、すごぐ気になったのですそしてモノは言いようです勝手に動いてる、と、意味を受けとれば、わがまま、とも、奔放とも、受けとれます支配を受けず、自分の行為を主体的に規制して、外部からの制御から脱して自身の立てた規範に従って行動すること、だとなれば、なんかしっかりしたイメージにもなりませんか?自律神経は、自分の本質のダイレクトなセンサーだと前から思っていましたそして、生きとし生けるものの源泉であるスピリットも、他からの支配をされず、そして依存もしていないはずです本来、私たちのひとりひとりが、主体的な独自のリズムを刻み続け、全体へと司っているものが在りますもしも、この神聖なセンサーに外部から『正しいことはこれだから!合わせなさい!乱すな!』のような外部からの主観的な命令伝達、ジャッジが、頻繁に無理に毎日毎日流れ続けたらどうでしょうか『なんか感じ悪い』って圧力とか感じませんか?そのストレス(圧力)からリズムが乱れて、病んでしまうと言うこともありそうです病むのは、悪いことではなく体がもとの状態に、自然に戻ろうとして起きてるんですよね社会や、学校、などでは長い間、誰にとっても当たり前で、良しとされ続けてきたことがありその集団、状況、状態、環境にあわせられなければ、空気よめないとの言葉が生まれ、ひどいと適応能力に障害が生じたとなってしまうのですね話をもどしますねそもそも自律って?それはどうやってしてゆくのかその自律への筋道に対し、社会へ、監護者へ、からだを張って、人生をかけて『そのやり方はどうなの?』『そのシステム、風潮のままで、本当に社会奉仕となる、貢献となる大切な人材を育みたいと思っているのかな?』『あなたは本当に今のままで苦しくはないのかい?』と疑問を投げ掛けてくれてる人々の中に、ひきこもりや不登校の方たちも少なくないのではないかとも私はおもっています『外部の権威や自然的欲望に拘束されず、自ら普遍的道徳の法則を立ててこれに従う』またその主体的な本質をむき出しに持ったがゆえに馴染めず画一的な歯車のなかで、自分が見えなくなってしまう危険を感じて逃げる人がいても不思議ではないなって思います!甘えた反逆児にも映るかもしれませんねですがこの道、レールに乗るよりも、実は孤独で厳しく険しいのです自分を制御してゆく、並外れた理性が要りますし頑固とも違う、大地から天へと、ど真ん中を貫く、個のリズム、それをかもしだし、その風合いをまとって、全体のパズルとなって戻って広がってゆく『私自身が、私のより所』だと、自分の中にくつろぐまでこの地球に太い根を張る自分の哲学の中で枝を高くのばしながらほんとうの愛の理解者と出会い、穏やかな日々を迎えてゆくことを願ってやみません感謝