THOUSAND WINDS -207ページ目

翻訳されしもの

イスラム教などはクルアーンの聖典を翻訳して使う事を禁じている。
つまりアラビア語で神は語られたとの事。
だから真意を知る為にはアラビア語が分かるようにならなければならない。
でも既に日本人などなら、頭の中で既に日本語の思考回路が出来上がってしまっているから、
今から覚えても結局逐次母国語の日本語に訳して理解する事になるのではと思う。
キリスト教の聖書は百何十か国の言葉に訳されている。
だから懸念されるのはそれぞれが本当に正しい信仰があるのか、互いにそれが等しくあるのかが判断つかない。
日本語の聖書にしても何種類もあり、箇所によってはまるで違う意味を感じる事がある。
つまり私なりの意見、聖書ありきな信仰には限界がある。
何もプロテスタント的な信仰が悪いみたいには思ってない。
でも聖書に書いてあるから正しくて、書いてなければ正しくないみたいな、判断材料にはなり得ないと考える。
何か別の言葉に影響されないものがあり、それを共有しているからこそ、
我々は使ってる言葉が違ってても、
同じ信仰を共有していると
私は考える。
それは何も特定の教派に限ったものじゃない。

ここに来て思う事

私はコメントが苦手だからたまに思い出したように人の所にコメントつけに行ってもかどが立つ。
コミュニケーションそのものに問題があるかも知れない。
だから私のブログは現在一切コメントがつかなくなっています。
これで不便だと思う事もしばしばあれど、昔これの影響でいくつかブログもつぶれてしまった。
ここはブランクが間にあるもののかなり長寿ブログと言えなくもない。
ブランク前は非常に淡白に用いていたが今回はあちこち少なからず人に影響を及ぼしている気がしなくない。
まあ私自身変わってて普通の人じゃないから、いいも悪いも色々問題はあるのかと思う。
だからと言って今さら影に引っ込んで生きてるかどうか分からないようなブログにするつもりもない。
私が介入する事により、一体どんな影響が一番考えられるかと思うと、やはり思想にかんする問題であろう。
宗教についてもかなり人とかけ離れたものがあるみたいに
思えなくもなくて
それが外に示された時にどのような反応があるのか
見てみたい気がする。

詩についての微妙な感想

結局の所は分かったようでいて分からない。
意味があるみたいで実はない。
作った人の意味はあるのだがそれを正しくつかめるとは限らないし、
人の評論もその人の感じた事になり、作者の意図と食い違う事もある。
私はそんな分かりにくさにあこがれたのかも知れない。
私の詩はどう書いても分かりやすいものしか書かれなかった。
うまい具合に比喩によって真意を隠しだてするような事が出来なかった。
そんな稚拙な詩であっても自己満足の範疇だったわけだが、
人に公開するようなものじゃないんじゃないかと。
しばらく詩の勉強でもすることにした。
人の詩を見ても何か私には学びにつながるのかと思わなくない。
そんなありさまだから
しばらく休眠に入る模様。
今日もあまり時間のゆとりがないらしい。

あちらにいきなり書くとどうかなと言う感じの

分からないのは
相手が悪霊に取りつかれているか否か
どうやって見分けるかだが、
どうしても主観的な思い込みが含まれてしまう。
自分と意見が異なる、信仰の内容の相違、自分に従わないなど、
そうした個人的な思い込みだけでも普通は
その相手への嫌悪や恨みみたいなもので
普通は終わってしまうものなんだろうが、
宗教関係者のようなその波打ち際にいる人たちの中に
そのような偏見がまかり通ってしまう事は危険だと思える。
世間の目から見ればたかだかまたどこかの宗教団体(教会)でいかがわしい事があったな、
だから宗教なんてのは、だけで片付けられてしまい、その深刻性が問題視されない。
信者の人が「うつ」になってしまい、それを教会の牧師がおまじないみたいな祈祷で治そうとして失敗した、
みたいな報道が面白おかしく流されるだけ、
それもどことなく悪霊の予定調和なんだろうか。
人がこうした事に無関心にさせておく事が、都合よいかのように。

分からない疑問

悪魔払いぐるっぽなる、本来あまり得意としないものを進めていく上で私独自に気になっていた事は、どうしてこんなものがいるのであろうかと言う疑問。
私はその存在を否定出来ない。
悪魔とか天使とかの存在を信じているから。
神はなぜ悪魔を放置するのか。
それが元天使だと言う考えは人間が独自に思い付いた事であって、悪魔自体は元から別の存在であったんじゃないかと
思わなくない。
日頃私は二元論が嫌いで
善と悪だけがいるみたいな、ゾロアスター教的な発想はいかんと思っていたものの、
霊と言う存在自体は人間のように善と悪とが混ざりあったような曖昧な存在であるとは
必ずしも言えないのではないかと思い始めて来た。
よって時々善の側について、時おり悪の側に下るような
生ぬるい霊などいないのかも知れない。
悪霊の正体は恐らく悪魔と言うよりも、本人自体が成仏出来ずにシャバをさまよってるような霊魂で、
大抵は人への恨みを持ったまま死んでいるので、
復讐心みたいな怨念が具体化されたものではないかと思われる。
何せこれまであまり関わらんとこうと思ってた未知の領域なので、
素人なりの見解をまずは述べさせてもらおうかと思う。