翻訳されしもの | THOUSAND WINDS

翻訳されしもの

イスラム教などはクルアーンの聖典を翻訳して使う事を禁じている。
つまりアラビア語で神は語られたとの事。
だから真意を知る為にはアラビア語が分かるようにならなければならない。
でも既に日本人などなら、頭の中で既に日本語の思考回路が出来上がってしまっているから、
今から覚えても結局逐次母国語の日本語に訳して理解する事になるのではと思う。
キリスト教の聖書は百何十か国の言葉に訳されている。
だから懸念されるのはそれぞれが本当に正しい信仰があるのか、互いにそれが等しくあるのかが判断つかない。
日本語の聖書にしても何種類もあり、箇所によってはまるで違う意味を感じる事がある。
つまり私なりの意見、聖書ありきな信仰には限界がある。
何もプロテスタント的な信仰が悪いみたいには思ってない。
でも聖書に書いてあるから正しくて、書いてなければ正しくないみたいな、判断材料にはなり得ないと考える。
何か別の言葉に影響されないものがあり、それを共有しているからこそ、
我々は使ってる言葉が違ってても、
同じ信仰を共有していると
私は考える。
それは何も特定の教派に限ったものじゃない。