THOUSAND WINDS -182ページ目

「日常」の4巻が出ていた

まだ買っていない。既に3巻までは揃えてたし、
ブログのネタにも使わせてもらった。
その中で出て来るナノちゃんが好き。
ロボットであからさまに背中にネジ巻きがついているのに、
しらばっくれてまだばれていないと思い込み、
人間のふりをし続ける。
話の内容は省くが、あんなロボットは果たして作れるだろうか。
見た目が人間そっくりなロボットなら最近よく見かける程になったが、
やはりネックがAIだろうか。
人間そっくりなふるまいをして、それらしく話したりするのは、
時間の問題かも知れない。
ただ難しいのは、人間みたいにドジを踏んだり失敗するロボットであり、
人間に対して平気でうそをつけるロボット。
ナノちゃんを見てると天然のドジっ子だし、
人間のふりをするために下手なウソをつく。
上手なウソならまだ論理学を極めれば何とかなりそうだが、
ウソがみえみえなウソを照れ隠しでつく、みたいな器用なんだか不器用なんだか知らないが
そう言う風なのがかえってAIには難しい。
ナノちゃん作った博士がどうみても小学生低学年みたいなんだが、
人は見掛けによらぬもの、
意外と天才なのかも知れない。
ちなみにあの中に出て来るクロネコが好き。

最近フルーツティーばかり飲んでる

たまに思いがけずジャバティーとかを買ったりすると、
あの葉っぱのすっぱさとか苦味みたいなのがいやで、
緑茶なんかもっと苦いだろと思うのだが、
どうもストレートティーは飲みづらい。
それがこないだコンビニで買って来た、Javaティーのオレンジフレーバーバージョンが出ていた。
前のやつと同じだろとだまされたつもりで飲んでみたのだが、
これがなかなかいける。
特に紅茶の葉の独特の酸味がかった味とか苦味がほとんど抜けているし。
それからしばらく私はフルーツティーばかり飲んでいる。
何か水で薄めたフルーツジュースみたいなんだが、
飲みやすいのにこした事はない。
それまでは玄米茶とか麦茶とか飲んでいた。
別に英国びいきと言うわけでもないが、
紅茶大好きなもので。
コーヒーも違う意味で好きなんだが、
あれは時々腹を壊すし、どうもカフェインが多いやつは駄目みたい。
今度のお茶のターゲットはマンゴーミルクティー、
既にどこまで紅茶なのかはかり知れない。

きれいな文字とはなんぞや

自慢じゃないが字は汚い。
良く読めないと文句を言われる。
ちゃんと書けと言うより、
日本語で書けと、失礼な事も言われたりする。
かつてはそれなりに気にしたらしい。
だから通信教育の、ペン習字でも受講しようと思ったが、
なかなか高い。
たかが字がうまくなるかどうかで、そんな金払えるかと、
ペン習字みたいな本を買ったりはした。
ただそうした本て言うのは、見本の字がうすく描かれていて、
その上から大抵はボールペンでなぞるようになっているらしい。
ほんとにこんなので字がうまくなるのか。
人の字を真似て書いてても、結局見ながらだと書けても、
普段の筆記スピードに戻ったら元の木阿弥のように見える。
同じようにすばやく書き取るのに、やはりそれなりに読める字を書ける人もいるが、
早く書いてもゆっくり書いてもあまり違わない、下手な字の私なんかもいる。
結局の所これはトレーニングなわけで、
自分なりの個性的な字でも構わないから、
実用レベルの早さで書いて、
誰にでも読めるみたいな字が書ければ
字が上手と言われるに違いないと思われた。

ヤコブのはしごみたいなの

近くの寺でこないだまでライトアップをやっていて、
私の家の近くの道路から、
天に向かって放たれた一条の光が、雲にまで届いてるのが見える。
よほど強力なスポットライトなんだが、どんな意味があるかは知らないが、
照らされた雲もそのあたりが光って見える。
まるで天国に続く階段みたいなんだが、はしごかも知れない。
天使がそれ使って登り降りしたみたいな記述もあるし。
でも天使て翼があるから、飛んで上がればいいだけのように思う。
前書いたみたいな雲の切れ間から似たような光の帯が見えるけれども
考えてみたら後者の場合、雲の切れ間が分かるから、
下から雲の上の空に舞い上がるのには便利かも知れない。
仮に天使がいたとして、
しょっちゅう地上と天空とを
行き来してるなら、
この光の道、使わない手はない。
良く目をこらして見たら、その天から下った光のはしごの中に、
天使の姿が見えるかも知れない。
そう考えると、何か気が落ち着いた。
不本意な遅帰りに珍しく苛立っていたから。

初代教会についての空想

そんな気分にならんのだが、
宗教の事を考えてるとよくいやされたりするので
落ち着いたりするので
そんな所が救いなのかも知れない。
初代教会へ戻ろう
そんな今の教派なんかないし。
まだ新約聖書すらなかった。
パウロの手紙は回覧されたりしたが、
普段はそう言うのもなかった。
あるとしたら、ユダヤ教にとっての「聖書」これは
旧約聖書ではない。
むしろ七十人訳聖書だったかも知れない。
新約聖書のいくつかの引用箇所は大抵、この七十人訳だったはずだが、
今このまとまった一冊本の聖書を手にする事が出来ない。
それはともかく
初代教会はまだユダヤ教的なものが残っていたろうし、
朗読箇所は旧約のみ、
パウロの手紙が回ってくれば、
それみんなで囲って感想を言い合ったり、代表の者が仕切ったりする。
まだ司祭とか主教とか言うのもいなかったろうし、
教皇もいたにせよ、全ての教会を管理するには力が及ばなかったかも知れない。
そのうちカトリック教会がべーリング海峡を渡り、
イングランドに伝わる前に、
なぜか既にアングリカンの教会が建てられていた。
パウロがローマに着くまでにも、きっとペテロが着くまでにも、
ローマに既に教会が作られていた。
もし戻るとするならそうした
小さくされた集いのエクレシア、
それを志向しないと、
メガチャーチみたいな所が
初代教会がどうたら言うのも
おかど違いに映る。