THOUSAND WINDS -172ページ目

丸善の思い出

京都も昔から見ればすっかり寂れた。
駅前の近鉄百貨店もなくなった。まだ丸物と呼んでいた頃を知ってる。
寺町の電気街もほぼ壊滅状態で、電化店が軒並み姿を消した。
市内中央部も主要な店が無くなった。
丸善、外国語書籍のメッカ、これが潰れた時には、
京都在住の外国人の方は困った事だろう。
何か寺町側に小さな外国語専門書店が出来たが。
さっきの近鉄と言い、軒並み書店が消え去るのが顕著だった。
いっときは宗教書を探すのも困ったものだ。
確かに今はBALがそれに代わったが、丸善は知的な休日の楽しみになっていた。
ろくに英語も読めんのにあの外国図書フロアに入りびたり、
かなり外国人比率の高い売り場となってるその雰囲気を味わうために行ってた。
確かにそれなりに本屋の数は以前と違わなくなった。
一体その代わりに建ったビルと言うのは何かと思ったら、
あちこちやたらカラオケBOXみたいなビルが乱立した。
いくつかは過当競争で潰れたが、
結局京都は観光地でしかなく、外部から来る観光客相手にこびを売るみたいな、
娯楽の殿堂を提供する事でしか
生き残れないらしい。
どこかケアンズのホテル街をふと思い出してしまった

精霊について

よく聖霊と間違う。聖霊は命の与え主らしい、神の触手、人と神とを結びつける目に見えないへそのおみたいに認識している。
精霊を信じる人と信じない人とではやはり宗教観も違う事を知った。
キリスト教を信じてる人は聖霊は信じても精霊はあまり信じてない。
その存在を認めても、キリストに属してないものは、
悪霊扱いをする。
良い霊として天使を、悪い霊として悪魔をつい考えてしまうが、
霊が存在すると信じるならそんな
幼稚臭い毎度の二元論に縛られずに、
中間勢力の霊もいる事を認めなきゃならない。
天使にしたってだ
必ずしもキリスト教的な霊とは限らない。
そんなキリスト教だけで天使を独占しちゃいけない。
色んな宗教で天使の記述が見つかるから。
別にわざわざ人間の宗教に縛られたくはないし、おっと。
だから善でも悪でもないような霊がいると、信じるか信じないかで、
よその多神教的な宗教を受け入れられるか、拒絶するかが決まる。
精霊や別の指導霊など、
キリスト教以外の霊的存在があると思えるなら
もう別の宗教の事はいい意味で
ほっとける、無干渉でいられる。
別に迫害を加える事もない。
お互いに勝手に思い込んでる方を信じ合いましょうで終われる。
キリスト教の信者がよその宗教を認めたがらないのは
どうもそんな精霊などの霊を、特定の宗教に結びつかないものを
認められないせいだろうと
考える。

教派の縛りとは何か

プロテスタントでも星の数程教派があって、
一概にプロテスタント限定と言ったって、どこまでを含むのか分からない。
カトリックはプロテスタント以外の教派として明確に線引きされる。
私らはプロテスタントだよ、とささやかな主張をしてみるけれども、
カトリックの人から見れば、
聖公会はプロテスタントでも
カトリックでもない
別の教派だとされる。
いつもはそんな事意識した事がない。
良くも悪くも自分がどこの教派であるか、
明確な線引きをした事がない。
たぶんそれが聖公会的な立場なんだろうと、
教派として主張出来る基準が
ないo(^-^)o
ただ集まって、まったりやってる感じ。
エキュメニカルなんかくそ食らえな感じだ。
どっちでもいい。
そんなに
教派で目くじら立てて
線引きしなあかんのか。
自分とこの教派を際立たせて
主張せんとあかんのか。
うちとこはそんな明確なラインがなさ過ぎるので、
主張したくとも出来ないo(^-^)o
キリスト教のぐるっぽ見てて感じる事。
結局カトリックとプロテスタントで
いがみあわないよう
切り離されないと
いけないらしい
さて
うちらは
どちらにつこうか
どうでもいいんだが

バベル以前の言語

英語でさえ苦労するのに
第2外国語で他のヨーロッパ系言語を適当にあたってみても
つまづきの元になるのは文法のややこしさ。
どうしてあんな無意味にややこしく作られているのか。
特に名詞の性別やら人称による動詞の不規則変化など
一体誰があんな無意味なものを考え付いたか知れない。
エスペラントがいい線行ってるがあれは発音が難しかったりで、それは置いといて。
私は思う。
最初はもっと単純な文法ではなかったかと。
それがそれぞれの国で改良をこらし、訳の分からないものへと変貌したのではと。
エスペラントじゃない、新しい人工言語は作れないだろうか。
文法の容易さはエスペラントを参考にして
アルファベット26文字だけで記述が出来て、
書いてある通りに発音すれば、意味の知らない単語でもそのまま通じるとか、
発音も日本人に難しい音がないようなもの、
そんなのがもし出来て
国際共通語にでもなったら、
我々はバベルの前の時代へ
立ち返る事が出来るかも知れない。
この地上の全ての人と話が出来る。
ただ
同じ言語を使ったにせよ、話が通じるかは別の問題。
分かり合えるかは

あちらの悪霊払いはどうなってるのか

もはやうちことのぐるっぽは終わったなと思う。
必要性がないし。
あちらなぜあんなに盛り上がってんのか分からない。
管理人さんがいつになく張り切ってるからだろうか。
私はもうぐるっぽであれこれやって盛り上げる気にはなれない。
まああちらがはやり、こちらがすたれるのも自然のことわりか。
しょせんはあちらのぱくりだったし、有力な支持者がいない状態だし、
プロテスタントの見解だけで、
うまく悪魔払いが解決出来るような気がしないのだが。
プロテスタントばかりで盛り上がってるが
やはりそれそのものが
悪魔に踊らされてるんじゃないのってね。
私から見たらどうでもいいみたいな事で盛り上がってるように
まあ人んとこのぐるっぽだからどうでもいいけど
あちらも一般公開したか、こちらに真似たかな。
いずれにせよあまり一般受けはしないはずだから
あんまし意味がないな。
私んとこも無期限閉鎖だろうか。
ある意味こちらで出来る事もないとは言えないか、
カトリック側からの情報提供を元に
巻き返せるのかどうか